迷走
@tasumania
自分って誰だろう
私は小学生の頃いじめられていた。
いじめっていってもテレビで紹介されるような壮絶ないじめではなく、出会い頭にキモイって言われたり私が触ったものは不浄なものとして扱われたり、特に女子の間ではあるが俺の有る事無い事噂されて女子の部活内で嫌われていたりとかだ。
その中でも今でも覚えているのは、5年性の時に委員会の仕事で3.4年性の校舎へ赴いた時に、全く会ったこともない女子二人組に「うわ、噂の〇〇だ!」って叫ばれながら逃げられたことだ。あれは流石に多分効いた。
今となってはそんな昔のことはどうでも良いのだが、最近困ったことに気づいた。
私には自分がないことだ。
いじめを受けた私は出来るだけ他人に嫌われないように、敵にならないように生きてきた。自分で何か考えて行動することもなくなった。
私が自分で考えて何かしようものなら、「どうせ〇〇のことだからダメに違いない」「〇〇がやることは全て失敗する」と言われ続け、自分への信頼は完全に失せてしまった。
私はうまく生きるために他人の行動を真似するようになった。ネットやテレビで善人とされる行動を徹底するようにした。自分の考えはどうせ失敗とするとわかったから、他人の考えを真似、意見が食い違えばすぐに相手の言う通りにした。
私は社会の一員として認められた。挨拶をしてもキモいと言われなくなった。手が触れてしまっても手を洗われなくなった。私と目を見て話してくれる人がたくさん出来た。
全て順調である。……はずなのに、何とも言えない虚無感がたびたび私を襲う。
今の私は誰かの写鏡であり、私の本心はそこにない。私は誰かが良い人だと感じた人を演じているだけになった。望んでそうなったわけではない。ただ、生きるために、人間として見てもらうためにこうなった。
今の私ならわかるのだが、あの時のいじめは私の奇怪な行動と周りの精神年齢が幼かったために起こったことでおり、成人した今では気にする必要のないことである。
しかし、精神が未熟で人格形成真っ只中の時期に自分を見つめ直すのではなく、他人の振りに全力注いだ私は今更自分が本当にしたいこととか、自分がどうなりたいかとか、全く分からないのである。
趣味もない、気力もない、何なら人間にもあまり興味ない。他人を観察する能力はあっても他人の心情とか、気持ちを察するとかよく分からない。
私は生きながらに死んでいる。仲間のない空っぽ人間であると気づいた。
ここまでダラダラと書き連ねておいてなんだが、これが全てくだらない言い訳であり、全て他人のせいにしているということは理解している。
ただ、どうしても人のせいにしなくては自分が保てないような気がして、ここでダラダラ愚痴を吐いている。
迷走 @tasumania
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