9 動く人体模型

 翌朝8時、俺は朝食を取るため1階の食堂に向かった。

 入り口近くのテーブルで、透が男の子に子に話しかけられているのが目に入る。

「体験、怖くない? ボクが誘ったから、気になって……」

 耳を覆う長めの髪が特徴的で、少し気弱そう。

 見たことないし、たぶんBクラスの子だ。

「怖くねぇよ。全然。ってかニセモノじゃん」

「そう……だよね。透は、これくらいのことじゃビビらないと思ってたよ。いつもボクの話も全然ビビらないし。じゃあ、最後まで体験、するよね?」

「最後まで?」

「5つ、全部だよ」

「もちろん、最後まで体験するよ。あと2回だし。5つ全部体験したら、6つめも体験できるかもしんねぇしな」

「6つめ……」

「ああ、そうだよ。5つ体験したら、6つめの怪異も体験できるかもしれないって言われてる」

「そっか……そういう扱いなんだ……」

 俺は、2人の会話が気になって、つい足をとめていた。

 するとそこにスーツ姿の女の人がやってきて、口を挟む。

「きみたち、違うクラスよね? 他のクラス同士で体験の話はダメだからね?」

「……わかってます。じゃあ、またね、透」

 男の子が去っていった後、透は小さくため息をついているように見えた。

「……透、おはよう」

 俺が声をかけると、ハッとした様子で顔をあげる。

「勇矢か。おはよう」

「さっきの子、一緒に来て1人だけ別のクラスになっちゃったって言ってた子?」

「ああ。もともとあいつが調べて誘ってくれたんだけど、俺がビビッて途中でやめんじゃねぇか、気になったみたい」

「途中でやめてもいいと思うけど……」

「いまんとこ、やめる理由もないしなー」

 やめる理由はない。

 やめた方がいいとか、やめろとか、姿も見えない相手に言われたところで、従う必要ないだろう。

「そうだね……」

 そうしていると、俺のもとに玲士がやってきた。

「おはよう、勇矢。ご飯まだだよね?」

「おはよう。まだ食べてないよ。取ってこよう」

 俺と玲士は、すでにご飯を取ってきていた透に見送られるようにして、食事を取りに向かった。


 怪異体験が始まる10時ちょっと前に5階のAルームへと移動する。

 部屋には、俺、透、城崎さん、智樹、あとは名前を聞いていない男の子が1人いるだけだ。

「おはようございます。紙を持ってきた子は、そのまま机に置いて、移動しましょう」

 萩野さんは、5人しかいないにも関わらず、とくに気にする素振りも見せないで、白い部屋へと向かう。

「城崎さん、大丈夫?」

 白い部屋へと移動する途中、俺は城崎さんにそう声をかけた。

「う、うん……なんとか」

 あまり乗り気じゃないように見えるけど、桃井さんに合わせてるんだろうか。

「無理、しないようにね」

「うん……」


 白い部屋に入った後、俺たちは促されるようにしてヘッドフォンと、ゴーグルのセットに取り掛かる。

「……ヤメロ……ヤメロ……」

 また、声のようなものが聞こえてきた気がして、振り返ってみたけど、そこにいるのは、ヘッドフォンとゴーグルを装着し終えた透だった。

 やめた方がいいなんて優しい言葉遣いじゃない。

 まるで命令だ。

 いまなら、3回目の体験の前に、部屋に入ろうとしてやめた子の気持ちもわかる。

「どうかしましたか? やめておきますか?」

 なかなかゴーグルとヘッドフォンをセットしない俺を気にして、萩野さんが声をかけてくれた。

「ヤメロ……」

「いえ、やります。大丈夫です」

 聞こえてくる声を遮るようにして返事をすると、今度こそゴーグルとヘッドフォンを装着する。

 目の前に、学校内の景色が広がった。

 今日の怪異は、理科室が舞台だ。薄暗い教室内は、非常灯だけがついている。

 なぜか、お腹のあたりがスース―するのを感じた。

 風でも当てられているのか。

 なんだろう、この感覚。

 わからないまま、俺はどうにか1歩前へと足を踏み出す。

 実際には、踏み出そうと思った瞬間、視界が動いてくれた。

 教室の外に出て、廊下を進んだところに、大きな鏡が設置されている。

 なにげなく覗き込んだ瞬間――

「うわぁあっ!?」

 俺は思わず叫んでいた。

 目の前にいたのは、人体模型だ。

 裸以上に丸見えな体と、頭から覗く脳。

 なんだか不気味で気持ち悪い。

 薄暗いせいで、よけいにそう思うのかもしれない。

 そのとき、懐中電灯の光が視界の隅に入り込んできた。

 やつらだ……いつも怪異を倒そうとしてくる子たち。

 Bクラスの子かもしれない。

 前回と違って、こっちに相談できる仲間はいないみたいだし、どうするか俺1人で考えるしかない。

 懐中電灯の光へと近づいて行くと――

「だ、誰だ?」

 不安そうな声が響いた。

 俺が答えるより早く、懐中電灯の光に体を照らされる。

「う、うわぁああああ!」

 懐中電灯を持った子は、俺を確認すると、大きな声をあげて逃げ出した。

「……もしかして、今回は勝てたりするのか?」

 ひとまず、早く追いかけないと見失う。

 俺はその子を追いかけようと、なんとか階段をのぼった。

 のぼり切ったところで、それが罠だったと気づく。

 男の子は1人じゃない。

 そこに数人、ほかにも仲間がいた。

「よく連れてきた! みんな、かかれ!」

 待ち構えていた1人がそう言ったかと思うと、数人が持っていたホウキで、俺の体を突く。

 数人からの同時攻撃をかわせるはずもなく、俺の体は階段を転げ落ちていった。

「やったぞ!」

 落とされた俺を見下ろしながら、みんなが喜ぶ。

 人を落として、それでいて喜ぶなんて……そう思ったけど、今の俺は動く人体模型だ。怪異だ。

 相手の反応も対応も、とくに変わったものではないのかもしれない。

 どうにか体を起こそうとしたそのとき――

「駄目だ、動くぞ! 臓器を抜け!」

 1人がそう言った。

「え……?」

 別の子が階段を駆け下りてきて、指示に従うみたいに俺の腹からなにか奪っていく。

 ……臓器だ。

 なんの臓器かまではわからないけど、俺の体から臓器が奪われているのだと理解する。

 怖い。

 俺は恐怖を感じた。

 でも、その恐怖の対象は怪異じゃない。

「心臓を取れば、動かなくなるんじゃないか?」

「だったら最初に心臓を取るべきだったな」

「いや、脳だよ。脳がなきゃなにも考えられないし、体を動かすこともできないでしょ」

 たとえ心臓が残っていても、脳が残っていても、いまの俺に体を動かす力はない。

 負けだ。

 降参する。

 だからもう、なにもしないで欲しい。

 口を開こうとした瞬間、息が詰まった。

「心臓はそれじゃない。こっちだ」

 やめろ。

 やめてくれ。

 心の中で訴える。

 ただ、その訴えが届くことはない。

 目の前の男の子が、俺の体から心臓を奪い取っていく。

「一応、脳も取っておこう」

 ダメ押しと言わんばかりに、脳が奪われる直前――

「よし、怪異に勝った!」

 勝利宣言を耳にした。


 気づくと、俺の目の前に笑顔の萩野さんがいた。

「お疲れさまです」

 もしかして、気を失っていたんだろうか。

 一瞬、意識が飛んでいた?

 ゴーグルとヘッドフォンを外してもらったのだと気づく。

 俺はいつの間にか、床で横になっていた。

「……大丈夫ですか?」

 萩野さんに言われて息を吸い込む。

 詰まることはない、ちゃんと呼吸できていた。

「大丈夫です」

 そう答えた後、ゆっくり体を起こす。

「では、そのまま少し待っていてください」

 萩野さんはそう言うと、別の子のところへと向かった。

 そこでやっと、何人か寝転がっていることに気づく。

 俺より先に起こされていたのは……透だけか。

 透は、なんとも言えない顔をしていた。

 悔しいとも違う。

 茫然としていて、少し青ざめているみたい。

 そりゃそうだ。

 もし俺と同じなら、疑似的とはいえ内臓を取られたんだから、平然としていられるはずがない。

 それが人体模型をとめる手段……怪異に打ち勝つ方法なのかもしれないけど。

 俺はそんなことをする子たちが怖くてたまらなかった。

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