7 期待はだいぶ前に捨ててきた
「……バッハくんだよね?」
エレベーターで、隣の子にそう聞いてみる。
「ああ。ベートーヴェンくんか?」
「そう。本当は勇矢だけど。きみは?」
「智樹だ。やっぱり、同じ空間を共有することもあるんだな」
「プログラムの可能性もあったけど、さすがに人っぽかったからね。次は、離されるかもしれないけど」
あのとき、名前も確認できなかったし、声もなんだか違って聞こえた。
俺たちがこうしてわかりあえたのは、運がよかったかもしれない。
「……見損なっただろ」
隣で突然、そんなことを言う智樹に、俺は首を傾げた。
「なんで? 見損なう理由なんてないよ」
「やるべきことがあるなんて言っておきながら、さっき、なにも言えなかった」
燃やされるなんて経験をした後だ。心変わりしてもおかしくはない。
「別にいいよ」
「次もまた怪異だったら……いや、たぶん怪異だ。どうすればいい?」
智樹はそう言いながら、俺を見た。
「……もしかして、怖くなってる?」
からかうつもりはない。あんなの怖くて当然だ。
だから俺は、少し真面目な口調で智樹にそう聞いた。
「……かもな。俺はこれまで、怖いのを楽しんでた。お化け屋敷も好きだし、お化け役にだって興味あったよ。みんなを怖がらせるのは、楽しいだろうなって思ってたのに……」
「俺もだよ。まさかあんなことになるなんてね……」
図書ルームにつくと、玲士と桃井さんが、すぐ見える位置にいた。
「玲士!」
「あ、お疲れー」
玲士は、とくに怖い思いなんてしていないのか、いつもの調子で手を振ってくれる。
俺は智樹と一緒に、玲士と桃井さんがいるテーブルについた。
「玲士、桃井さん。同じクラスになった智樹」
「玲士です。勇矢と同じ学校で一緒に来たんだんだけど、別のクラスになっちゃった」
「アンケートが関係してるんじゃないかって言ってたやつだよな」
1回目の体験の後、教室で話していたのを智樹も聞いていたようだ。
「うん。たぶん、間違いない。Bクラスは――」
言っていいか、玲士と桃井さんを窺う。すると桃井さんが口を開いた。
「見えてる子たちが集められてる」
「そっか。やっぱりそうなんだな」
智樹は、興味深そうに食いついてきた。
「私は桃井百合。2人とはここで知り合ったんだけど……ねぇ、春香は?」
しまった。智樹のことを紹介しようと後回しになってしまっていた。
「城崎さん、部屋で少し休むって。桃井さんに会ったら伝えるよう言われてたんだった」
俺は慌てて説明する。
「画面酔いしちゃったのかな」
玲士はそう心配していたけど、精神的に疲れちゃったのかもしれない。
「城崎さんの友達?」
智樹が桃井さんに尋ねる。
「うん。一緒に申し込んだのに、離れ離れになっちゃったんだよね」
「そっか。せめて最初からわかってたらよかったのにな」
智樹の言う通りだけど、わかっていたらアンケートをごまかす子もいそうだ。
「そういえば、智樹は1人で来たの?」
「いや、2人で参加だよ。Aクラスで一緒だったけど、そいつは泊まりじゃなくて、2つ目の体験の後、帰ったよ。明日また、来るかもしんないけど……」
「思ってたのと違ったのかな」
その気持ちは、俺もちょっとわかる。
「その子、そういうの得意じゃないの? 怖いのに付き合わせてたとか」
桃井さんが、疑うみたいに智樹の顔を覗き込む。
「無理に付き合わせたわけじゃない。ホラーもお化け屋敷も好きだし、心霊スポットだって前、一緒に行った」
「それなのに、コレで帰っちゃうんだ?」
桃井さんは、ちょっとあきれてるみたい。
「ただの体調不良かもしれないよ」
あきれた様子の桃井さんをなだめるみたいに玲士が言う。
体験が理由で休むなんてこと、まるであるはずないみたいな口調。
少し前から、ちょっと引っかかってた。玲士と桃井さんと、俺たちの温度差。
普段から見えているから慣れてるだけ?
「2人は、怖くないのか?」
智樹が桃井さんと玲士を窺う。
「ホラーゲームみたいなもんだし、ニセモノでしょ」
桃井さんがそう言うと、玲士も同意するように頷いた。
「ニセモノでも、あんなことされたら怖いだろ。俺の友達は、別にビビりじゃない。優しいだけだ」
俺は、智樹の言ってることがなんとなく理解できた。
怖いのは怪異じゃない、人だ。
花子さんだって、俺のときはみんな逃げてくれたけど、もしかしたら意図的に閉じ込められたり、攻撃された子もいたかもしれない。
「あんなことされたら? 脅かされたらってこと?」
玲士が聞き返す。
「いや、そうじゃなくて……」
「……待って」
智樹がなにか言いかけるのは、俺は止めた。
なんとなく、言っちゃいけないような気がして。
「体験の話はできない。けどわかったよ。俺たちは違う体験をさせられてる」
「まあ話せないくらいだしね。それで? そっちの方が怖い体験してるって?」
そう桃井さんに聞かれる。
「わからないけど、不思議だったんだ。桃井さんも玲士もあまり怖がってない。そもそもこういうのに慣れてるとか、いまさらニセモノなんかでってことかもしれないけど」
俺は一呼吸おいて、核心をつくのをやめておいた。
「……勇矢? どういうこと?」
玲士が、俺の顔を覗き込む。
「これ以上は、体験の内容になっちゃいそうだから、今度にするよ」
「わかった。話せるようになったら話して」
怪異体験できるだなんて言われて、普通、思い浮かべるのは、怪異に出会う側。怪異を訪ねて、ときに怪異に立ち向かう……そっち側の人間だ。
そんな最初に思い浮かべた体験をしているのが、Bクラスなのかもしれない。
その後、俺たち4人で食堂へと向かった。
玲士と俺と、桃井さんと智樹でご飯を食べていると、そこへ城崎さんがやってくる。
あんまり顔色がいいとは思えない。
「春香、大丈夫?」
すぐに桃井さんが声をかける。
「う、うん……」
「体調悪いなら、無理しないで休んでなよ」
「体調は……大丈夫……」
城崎さんはなにか迷っているのか、少しおろおろしているように見えた。
「私……その……百合ちゃんのこと……ちょっとでもわかることができたらって、そう思って参加したけど……無理かも……」
3つの怪異体験が、かなりきつかったようだ。
「……なにそれ。いつもすごい聞き出してくるくせに、いざ自分が体験して怖気づいたってこと? ニセモノなのに?」
桃井さんがあきれた様子で呟く。もしかしたら、少し怒ってるのかも。
「そういうわけじゃ……」
「その程度ってことね」
少しキツい口調で桃井さん言われて、城崎さんは口を閉ざしてしまった。
「まあいくらホラー好きでも、立て続けに3本もホラー映画観るのはキツいし。体験談を聞きたいのと、自分が体験するのとでは違うよ」
そう玲士がフォローするけど、俺たちがしている怪異体験は、怪異になって人間に倒されること。たぶん、玲士たちが思っていることとは違う。
「あんなの……百合ちゃんだって普段、体験してないでしょ」
城崎さんがそう反論した直後、
「他のクラスの子と、体験の内容について話さないでくださいね」
どこからともなく現れた荻野さんが、割り込んできた。
「……すみません」
城崎さんがご飯を取りに向かうと、荻野さんも離れていく。
「……勇矢も、もし怖くなったならやめていいから」
隣に座っていた玲士が、小さい声で言った。
「玲士……」
「無理に合わせてくれる必要ないし……」
玲士は友達で相棒だ。
ちゃんと理解したい。
そのつもりで参加したことも話していた。
正直、この体験で本当に玲士のことが理解できるのかわからないし、怖いけど。
「俺は続けるよ。ただ、AクラスとBクラスじゃ体験内容が違う。もしかしたらBクラスの方が怖いかもしれないし、Aクラスの方が怖いかもしれない。全部終わって、どんな体験をしたか、話せるようになってからじゃないと……」
俺がそう告げると、桃井さんは、少しバツが悪そうに下を向く。
「……ちょっと強く言い過ぎたかも。春香に謝ってくる」
城崎さんの方へと向かう桃井さんを見送る。
少しホッとしたけど、隣にいる玲士は、難しい顔をして口を開いた。
「そもそも僕らは同じじゃない。正しく全部理解してもらおうなんて、思ってもしかたないんだよ。そういう期待はだいぶ前に捨ててきたし、思っちゃダメな気がしてる」
「ダメではないだろ」
俺は玲士のことを理解したくて来たわけだし、遠慮なんてして欲しくない。
「たとえばだけど……ケガをしたとするよ。骨折とか。勇矢、骨折したことある?」
「ないよ」
「智樹は?」
「俺もない」
「まあ、僕もないんだけど、どれだけ痛いか、そんなの本人か、実際に骨折した人しかわからないよね? 大変なんだろうなぁって理解はするよ。それで寄り添ってくれたら充分で、同じ思いをして欲しいとまでは思わないし、思っちゃダメだろ」
たしかに、骨折の痛みを完全に理解することは難しい。
それに、ちゃんと理解して欲しいからって、骨折して欲しいなんて思うのはダメだ。
「つまり……無理しないでってこと」
「……うん」
玲士の言うこともわかるけど、第六感とケガは違う。
第六感ってそんなに悪いもの? そう聞きたかったけど、やめておいた。
玲士がケガに例えるくらいのものだ。
それを『別に大したことない』とか、羨ましがるのは、たぶんよくない。
「あくまで体験だから。寄り添うとこまでしかできないよ」
俺がそう伝えると、玲士は納得した様子で頷いた。
「それもそうだね」
結局、理解できないって言ってるようなもので、少し残念な気持ちにさせられる。
俺は平気なフリをしようと、残りのご飯を勢いよくかきこんだ。
「明日また図書ルームで会うとして……この後、どうする? なんかちょっと見張られてる感じもするし、今日はこのへんにしようか」
ご飯を食べ終えてしばらくすると、玲士はそう言いながら、ちらっと視線を横に向けた。
視線の先には、スーツの女性が立っている。萩野さんみたいな立場の人だろう。
俺たちの会話が聞こえる距離とは思えないけど、話を聞かれていそうな気もする。
VRで怪異体験させてくるくらいだし、机に盗聴器があってもおかしくはない。
「そうだね」
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