6 音楽室の怪異
3回目の怪異体験が始まる4時ちょっと前に5階のAルームへと移動する。
結構、ギリギリの時間だってのに、6人しかいない。
そんなことを考えていると1人来て、7人になったところで萩野さんが来た。
「3人は、お休みのようですね。紙を持ってきた子は、そのまま机に置いて移動しましょう」
2回目の怪異の後、少し話した啓太が来ていないことに気づく。
いつもの部屋に移動しようと、みんなが席を立つ中、俺は透に聞いてみることにした。
「啓太、来てないみたいだけど……3回目の体験は休みかな」
「一応、声かけにいったんだけど、とりあえず休んどくってさ。まあ、5回もあるから、数回だけでいいって思ってんのかも」
俺はどうせなら全部参加したいけど、こういうのは無理強いするもんじゃない。
しゃべりながら、萩野さんと一緒に白い部屋へと向かっていると、部屋に入る直前で、目の前にいた男の子が急に足を止めた。
「うわ……!」
あまりにも急すぎて、ぶつかってしまう。
「ご、ごめん。ぶつかっちゃった」
「いや、俺こそ……でも……」
なにかあったんだろうか。
まるで怖がってるみたい。
「……さ、先、入って」
なぜかそう言われて、俺は言われるがまま、先に部屋へと入った。
そのすぐ後を、透がついてくる。他の子たちも、その子を横目で確認しながら、部屋に入ってきた。
その子以外、全員が部屋に入った後、萩野さんがその子のもとへと向かう。
「無理は禁物です。休みましょうか。みなさん、ちょっと待っていてください」
そう言い残すと、2人は部屋から離れてどこかへ行ってしまった。
「大丈夫か……?」
眼鏡の子がドアから顔を出しながら、心配そうに見送る。
俺を含めた他の子たちは、イスもないその部屋の床に座り込んだ。
さっきの子、いったいなにが怖かったんだろう。
部屋の中を見渡してみるけれど、もちろん、いつもの白い部屋で、怖いものなどなにひとつ見当たらない。
入る直前に足を止めたから、原因は、部屋の中だと思ったのに……。
そんなことを考えていると、萩野さんが戻ってきた。
「では、はじめましょう」
「あ、あの、さっきの子は……」
気になって質問してしまう。
「別のスタッフに任せたので、ご安心を。今回の体験は、きみたちだけになります」
どうやらお休みということらしい。
昨日と同じで、ゴーグルとヘッドフォンを装着する。
目の前に広がった空間は……音楽室だ。
夜なのか薄暗いけど、ピアノや、いくつも並んだ机が確認できる。
そしてなぜか俺は教室内を見下ろしていた。
教室を見下ろすなんてこと、普通ない。
天井か上の方に貼られている展示物でもない限り……。
そういえば、うちの中学校の音楽室に、有名な作曲家の絵が飾ってあったっけ。
絵が笑うとか泣くとか、そういう怪異か。
いまは身動きできないせいで、隣の状況まではよくわからない。
「せめて声でも出せたらな」
ついそうぼやいた直後だった。
「誰かいる? 聞こえてるのか?」
隣から声が聞こえてきた。
「いるよ。ここだ。話せる?」
「ああ、やっぱり同じ空間に他のやつもいるんだな」
声だけじゃそれが誰なのかわからなかった。
俺の声も、まるで加工されているみたいに、なんだか違って聞こえる。
「……Aクラスの子?」
「ああ、×××だ」
なにか雑音みたいなもので、言葉が一部、遮られてしまう。
「ごめん。よく聞き取れなかったよ。俺は×××」
そう自分も名乗ったところで、違和感に気づく。
たしかに名前を言ったはずなのに、聞こえてきたのは雑音だ。
「名前? 聞こえなかったぞ! もう一回言ってくれ」
「×××……×××だよ。ごめん。自分で言っててなんだけど、名乗れないみたい」
「変なノイズが入って聞こえないな。×××……くそ、俺も言えない」
もしかして、そういうシステムなんだろうか。
「……名前は言えないのかも」
「なんでだ、名前くらい言ったっていいだろ」
「身バレ防止とか。もしくは……いま俺はベートヴェンなのかも」
冗談っぽくそう言うと、近くの声が少し笑ってくれて、空気が和む。
「じゃゃあ俺はバッハか」
「そうかもしれない。音楽室って、作曲家の絵が飾ってあったりするよね? その絵が勝手に笑うとか、そういう怪異かな」
「なるほど」
近くの声……とりあえずバッハくんと呼ぼう。
バッハくんが納得していると――
キーンコーンカーンコーン。少し歪んだチャイムの音が鳴り響いた。
「……なにか始まりそうだな」
バッハくんが言う。
「うん」
俺は頷きながら、隣を見た。
……あれ、隣が見れる?
「うわぁ!」
思わず声をあげてしまう。
俺が目を向けた先には、ぼんやりと男の人が浮かび上がっていた。
「いきなり大きい声出すな……うぉおっ?」
「バッハくんも、大きい声出してるだろ」
「……バッハくんてなんだ、それ」
「名前わかんないし。でも……やっぱりバッハみたい」
バッハの顔なんて覚えてないけど、こんな感じだった気がする。
「じゃ、お前はベートーヴェンくんだな」
「俺、ベートーヴェンっぽい?」
「なんか怖い顔したおじさんだ」
「バッハくんも、結構怖い顔してるよ」
笑っていると、普段より低い声が辺りに響いた。
「……これって怪異?」
浮かんだ疑問を口にする。
「音楽室でしゃべる絵に、浮かび上がる人影、響く笑い声っていったら怪異だな」
「全部、俺たちがしてることだし、さすがに怖くないけど」
「俺らは怪異側だ。怖がるんじゃなくて、怖がらせる方だからな」
バッハくんはそう言うと、胸から上しかない体でゆっくり下へと移動していく。その体は少し透けて見えた。
自分で自分を見ることはできないけど、たぶん俺もあんな感じなんだろう。
バッハくんに続いて俺も下へと移動する。
足もないのにどうやって移動しているのかわからないけど、俺が思うように、視界が下へと移動してくれた。
「もうすぐ、たぶんやつらが来るだろ?」
バッハくんが言う。
「やつらって?」
「花子さんのときも石膏像のときも来た……なんか楽しんでるやつらだよ」
そういえばそうだった。
遊び半分で花子さんを覗きに来た子たち。泣く石膏像の目を潰しに来た子たち。
「俺も、怪異じゃなくあっち側のつもりだったんだけど」
「俺もだ。けどいま俺たちは怪異だ。怪異には怪異のやるべきことがある」
バッハくんに言われて、考えてみる。
「じゃあ……ピアノでも弾いて歓迎する?」
「いいな、ベートーヴェンくん」
俺とバッハくんで、ピアノの鍵盤を押してみる。半透明でもちゃんと押せるらしい。
「なんか弾けるのか?」
「弾けないよ。バッハくんは?」
「弾けない。俺たち名前負けしてるな」
笑いながら、適当に音を鳴らしていると、俺たち以外の声が聞こえてきた。
「ここだよ、音楽室! ピアノが鳴ってる」
誰か来たようだ。
「大事なのは第一印象だ。ベートーヴェンくん、君はそのまま弾いててくれ。俺がいきなり目の前に現れて、ビビらせてやる」
「わかった」
俺は素直にそれを受け入れ、音楽室の隅にあるピアノで音を出し続けた。
バッハくんはドアの前で迎え撃つ気満々だ。
「怖がることないよ。音楽室の怪異は大した怪異じゃない」
「だよね。対処法もわかってるし」
ドアの向こうで油断している子たちの話し声がする。
大した怪異じゃないってのはちょっと引っかかるけど、対処法ってなんだろう。
ピアノの音を適当に鳴らしたまま、ドアの方へと目を向ける。
ドアについている小窓越しに、なにかぼんやりとした明かりのようなものが見えた。
「いくぞ!」
掛け声とともにドアが開かれる。
「う……うわぁああ!」
叫んだのは……バッハくんだった。
こればっかりはしかたない。目の前に突然、火を突きつけられたのだ。
懐中電灯かなにかかと思ってたけど、数人が柄の長いガスライターを手にしていた。
「い、いまなにかいたぞ!」
「変な叫び声もした!」
向こうもさすがにびっくりしたようだ。だったら怯んでる場合じゃない。
ジャーン、バーン! 俺はより激しくピアノの音を鳴らし続ける。
「いいぞ、ベートーヴェンくん! くそう……あとは……」
どうすればいい? 俺たちはどうすれば、やつらをおどかせるんだろう。
わからないでいると、1人の子が大きな声をあげる。
「見つけたぞ! 悪さをしているのはこいつらだ!」
その子は、ライターじゃなく懐中電灯を持っていた。
照らした先は――
「俺たちの肖像画……!」
運んだ机の上に乗ると、並んで貼られていた数枚の肖像画をめくっていく。
「2枚だけなんか絵が薄いような……」
「そいつらが戦犯じゃない?」
「さっき目の前に飛び出してきたやつ、こいつっぽい!」
そうして、一番最初に目をつけられたのは、バッハくんの肖像画だった。
「おい……なにする気だ?」
バッハくんが紙を持つそいつらに詰め寄る。
「なんかいま、気持ち悪い声しなかった?」
「ああ……歪んだ声。こいつの声だよ」
俺には、低いだけで比較的まともな声に聞こえたけど、もしかしたら怪異側じゃないやつらには、変な声に聞こえたのかもしれない。
「とっとと燃やそう。それで終わりだよ」
「そうだね。早く始末しよう。長引かせて攻撃されたらたまったもんじゃない」
俺は、紙を持つ子たちから目が離せなくなっていた。
いつの間にか、ピアノを弾く手もとまっている。
「やめろ!」
バッハくんの叫びは、たぶんやつらに正しく届いていないだろう。
バッハくんが自分の肖像画の端を掴む。
「ダメだ、取られるな!」
「その前に燃やせ!」
そもそもそんなに引っ張ったら破れてしまう。
「危ない……!」
やっと動いた体で、みんなのいる方へと向かったそのとき――
ビリリ……! 肖像画が破れてしまう。
「うぁ――!」
バッハくんの叫び声が、途中で消える。
それもそのはず、紙は首から上と下に分かれ、それと同時に、バッハくんも分裂してしまったのだ。
首から上と、首から下。半透明のバッハくんが力なく床に転がった。
もともと俺たちに足なんてものはないし、なんで動けていたのかわからないけど、半分にされて、動力を失ったみたい。
バッハくんの目が、助けを求めるように俺を見る。
「そうだ、紙をまた繋げれば……!」
男の子が手にした半分を奪おうと、飛び掛かろうとした直後、
「こっちも破れ!」
自分の肖像画が、やつらの手に渡っていたことを思い出す。
ビリリリ……!
無残にも、バッハくん同様2つに破られ、俺もまた床に転がった。
ごめん、バッハくん。そう謝りたかったけど、もう声は出なくなっていた。
俺たちは、頭の向きだけをなんとか動かして、やつらを見あげる。
「これを燃やせば、消えてなくなる」
「やったね、俺たちの勝ちだ!」
ライターの火が、肖像画に燃え移ると同時に、感じるはずのない熱を感じた。
熱くてたまらない。
それでも、声を出す機能を失った俺たちは無言のまま、滲む視界で、炎を見つめる。
「怪異に勝ったぞ!」
赤くなった視界が真っ暗になる直前、遠くで勝利を宣言する声を聞いた。
体験を終えて、いつもの部屋へと戻ってくる。
「今日の怪異体験はこれで終了です。明日は10時からになりますので、通いの子は、それまでにロビーで受け付けを。泊まりの子は、朝7時から9時の間に朝食を取って、10時にまたここへ来てください」
萩野さんの説明が、右から左に通り抜けていくみたいだった。
頭に入らない。みんなも、ちゃんと聞いていないみたい。
まだ、余韻が残ってる。燃やされた余韻。
萩野さんが出て行ったあとも、しばらくみんな動かなかった。
1つめ、わけがわからないまま終わって。
2つめ、敵対心を覚えた。
3つめ、迎え撃つ気満々だった俺たちは、見事に心を折られてしまう。
「負けを認めて、引くのも手……だったのかな」
1人の子が呟いた。
「なんだよ、それ」
透が、少し不満そうに言う。
「だって勝てないよ。どうがんばったって向こうが有利だし、負けは決定事項なのかも」
反論する子は誰もいない。
俺は1つ試してみようと、バッハくんの言葉を口にした。
「でも、俺たちは怪異だ。怪異には怪異のやるべきことがある」
俺のその言葉に、一番反応したのは、よく発言していた眼鏡の子だ。
ハッとした様子で俺を見る。
「きみ……」
彼がバッハくんに違いない。
「そう中で言われた。俺も納得してる。それに怖がらなければ、負けないよ」
負けないことが勝ちとは言わないけど。
「……図書ルーム、行こうと思うんだけど、一緒にどうかな」
俺は、眼鏡の子をそう誘った。
「あ、ああ。行こう」
眼鏡の子が立ち上がる。
「あ、城崎さんも行く?」
図書ルームには、また桃井さんがいるかもしれない。
すぐ近くにいた城崎さんにそう声をかけてみたけれど、城崎さんは小さく首を振った。
「ちょっと部屋で休憩しようかな。もし百合ちゃんに会ったら休んでるって……」
「わかった。伝えとく」
そう言い残すと、俺は眼鏡の子と一緒に、図書ルームへと向かった。
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