5 泣く石膏像

 もうすぐ1時半。

 次の怪異体験の時間に合わせて、5階のAルームにやって来る。

「みなさん、揃って……おや、1人来ていないみたいですね」

 萩野さんが、部屋の中を見渡す。

 釣られるようにして俺も見渡しながら、人数を数えてみた。

 俺を入れて9人。

「遅刻かもしれないので、もう少しだけ待ちましょう。もし感想を書き終えている子がいれば、いまのうちに受け取ります。内容を読み上げたりはしないのでご安心を」

 俺をふくめた何人かが、持ってきていた紙を萩野さんに渡す。

 そうこうしているうちに、5分くらい経って――

「……1人は、お休みでしょう。みなさんも、体験を休みたいと思ったら遠慮せず休んでください」

 萩野さんは、そう判断した。

 5つ正しく体験しないと、6つめの体験はできないみたいだけど、中には1、2回参加するだけで充分って子もいるのかもしれない。


 俺たちは、1回目のときと同じように真っ白い部屋へと移動して、ゴーグルとヘッドフォンをセットした。

 目の前に広がった景色は……学校の美術室。薄暗いけど、見えないほどじゃない。

 大きな机と、絵を立てかけるためのもの、そしてすぐ近くには何体かの石膏像。

 遠くの方から誰かが近づいて来るような足音と、話し声が聞こえた。

 廊下に数人いるようだ。

「美術室の怪異は、泣く石膏像だって。赤い涙を流すらしい」

「そんなの聞いたことないよ」

 世の中にはいろんな怪談があるみたいだし、そのひとつなんだろう。

 赤い涙を流す石膏像を探し出そう。

 そう思った俺は、近くの石膏像に目を向けた。

 どれもただの石膏像にしか見えないし、泣く気配はない。

 そのとき、美術室の扉がガラリを開いた。

「わ、いた! 石膏像だ」

 男の子の声がしたかと思うと、いきなり懐中電灯を向けられる。

 俺はあまりのまぶしさに、目を細めた。

「何体もいるね。この石膏像のうちのどれかがきっと、泣く石膏像なんだよ」

 別の子が答える。懐中電灯を持った子は、4人くらいいるみたい。

「なあ、俺も一緒に――」

 そう口にした瞬間、ふと違和感に気づく。

 声は出しているはずなのに、頭の中で響くだけ。

 近くにいる男の子たちが、まったく反応してくれないところを見ると、聞こえていないようだ。

「これってもしかして、また……」

 花子さんのときと同じで、俺が怪異側?

「泣く石膏像と普通の石膏像を見極める方法は1つ。泣く石膏像は目をつぶるらしい」

 まるでマニュアルでも読んできたみたいに1人の男の子が言う。

「懐中電灯の明かりを目に当て続ければ、いずれつぶるはずだよ。眩しいだろうしね」

 そうして、4人の子はそれぞれ石膏像に懐中電灯を当ててきた。

 ……眩しい。

 目をつぶれば、ここで怪異決定だ。

 なんとなく、見つからない方がいいような気がして、我慢していると――

「こ、こいつだ!」

 誰かが叫んだ。

 俺に懐中電灯を当てていた子じゃない。

 みんなが一斉に、叫んだ子の視界の先に目を向ける。

 そこには、たしかに赤い涙を流す石膏像がいた。

「つぶるのを我慢しすぎて、涙が出てきたんだよ」

 目が乾燥してしまったんだろうか。普通の石膏像ならまずありえない。

「みんな、アイスピック、持ってきてるよね?」

 アイスピックって……たしか氷を削る道具だっけ。

「うん。目を潰せばいいんだよね?」

 ……え、目を潰す?

 俺が耳を疑っている間にも、石膏像の目に、アイスピックが突き刺さる。

 ガツ……ガリ……ギリ……!

 石を削る音がする。

「こ、これで……涙をとめられる! 怪異に勝てるぞ!」

 4人は代わる代わる順番に、目にアイスピックを突き立てる。

 ガリ……ゴリ……ギリ……ガツ……!

 淡々と繰り返される作業のような光景。

 俺はそこから目が離せなくなっていた。

 相手は石膏像。そもそも、石膏像を作るときには、こうして石を削ったはずだ。それなのに、すごく怖い行為のように感じる。

 気づくと、視界がなぜかじんわり赤く染まっていた。

 泣く石膏像の赤い涙が飛び散って、俺の目に入ったのか?

 いや、違う。

「こいつも、赤い涙を流してるぞ!」

 ……泣いてる。

 俺も、泣いてるんだ。

 石膏像をかわいそうだと思ったわけじゃない。

 何とも言えない気持ちになったけど、泣くほどのことじゃない。

 相手はただの石膏像だ。

 それでも涙がとまらないのは、俺の意思とは関係なく流している涙だからだろう。

「次はこいつだ!」

 俺めがけてアイスピックが振り上げらえる。

「待っ! やめろ……!」

 なんとか抵抗しようと思っても、いまの俺は石膏像。なにもできない。

 尖ったアイスピックの先が俺に迫って、とうとう突き立てられた。

 ガツ……!

「…………っ!」

 衝撃は、声にならなかった。

 痛いわけじゃない。痛みなんて感じるはずがない。

 それでも、痛くて、怖くて。

 視界を失った俺は、音を聞くことしかできないでいた。

 ガリ……ギリ……ギリ……ガリ……!

「次はこっちの石膏像だ!」

 そうしてまた、別の石膏像が狙われて――

 結局、何体いただろう。

「よし、俺たちの勝ちだ!」

 最後に、喜び合う子たちの声を耳にした。


『終了します』

 機械的なアナウンスの音声。

 萩野さんがゴーグルとヘッドフォンを外してくれるまで、俺はまったく動けずにいた。

「2つめの怪異体験、お疲れさまです。部屋に戻りましょう」

 萩野さんに言われて、最初の部屋へと戻る。

 萩野さんはまた俺たちに質問が書かれた紙を配った。

「次回、3回目の怪異体験は4時からになります。参加の子は、遅れないように来てください。もう一度、言っておきますが、休みたい子は、休んでくれて構いません。無理は禁物ですからね」

 萩野さんは茫然としている俺たちを気に留めることもなく、部屋を出ていく。


 少し間をおいて、誰かが口を開いた。

「……なんだよ、これ」

 知らない男の子だ。

 午前中もいたんだろうけど、全員を覚えているわけじゃない。

「みんな、また同じ怪異を体験したってことだよな? 俺は石膏像だった」

 そう言ったのは、午前中にも話した眼鏡の男の子。

「俺も、石膏像を探す側じゃない……俺自身が石膏像だった」

 俺は、眼鏡の子と、みんなに聞こえるように発言する。

 花子さんの時と立場は同じだけど、少し気になることがあった。

「1つめの花子さんと違って、泣く石膏像は複数体あったよね。もしかしたら、同じ空間にこの中の誰かがいたのかも……」

 あたりを見渡してみたけれど、誰も名乗り出ることはない。

 それもそのはず。

 俺自身、石膏像だったし、わかる方法なんてない。

「一応、確認しておこう。みんな……石膏像側で、間違いないんだな?」

 眼鏡の男の子が尋ねる。

「それって、アイスピックを持った側の子が、いるかもしれないってこと?」

 俺がそう告げると、みんな近くにいる子を疑うように視線を走らせた。

「可能性としては、ありえるだろ」

 眼鏡の男の子がそう言うと、城崎さんが、オロオロした様子で口を開いた。

「も、もしいたとしても……向こうに悪気はないんだよね?」

「なんでやつらのこと庇うんだ? もしかして君だったのか?」

「ち、違う……私も石膏像だった。庇ったんじゃなくて……悪気、なかったならいいなって思っただけ……」

 もし、あの行動に悪気や悪意があったなら。

 ……考えるのはやめにしよう。

 なんだかもっと怖くなるような気がする。

「まさか石膏像の中身が俺たちだなんて思ってないだろうし、たぶん、悪意はないよ。ただ、怪異に勝とうとしただけだ」

 俺がそう告げると、眼鏡の子が首を傾げた。

「怪異に勝つ?」

「俺の目を刺した子は、そう言ってた。そこにいる泣く石膏像を全部やっつけたあと、怪異に勝ったって……」

「勝つことが目的か。もし次もそうなら、逆に俺たちが勝ってもいいよな?」

 負けず嫌いなのか、どうやら眼鏡の子に火をつけてしまったようだ。

「勝てるものなら勝ちたい……というか、負けたくないよ。でも、今回みたいに石膏像だったら、勝ちようがないだろ」

「それを言うなら、花子さんは、俺たちの勝ちじゃね?」

 俺たちの話を聞いていた明るい髪の男の子……たしか3人で来たって言ってた子が、話に入り込んでくる。

「相手は怖がって逃げてったし、勝ちといえば……勝ちかな」

 俺は、あんまり納得してなかったけど、そう言った。

 勝ったところで、ずっとあそこに閉じ込められたまま。

 石膏像だって、自由になるわけじゃない。

 怪異に勝ちなんて、あるのかな……。

 とりあえず、内容を覚えているうちに感想も書いておきたいし、また図書ルームにでも行こうか。

 そんなことを考えていると――

「図書ルームって、どこ?」

「食堂とロビーしか、覚えてねぇし」

 明るい髪の子たちの会話が耳に入ってくる。

 さっきの休み時間は、ずっと食堂にいたんだろうか。

 友達同士みたいだし、この部屋でしゃべっていたのかもしれない。

「俺、いまから図書ルーム行く予定なんだけど、一緒に行く? 午前中にも行ったから、場所、わかってるし」

 俺は、2人に向かってそう提案してみる。

「お、マジか。よろしく頼む!」

 明るい髪の子にそう言われて、俺は2人組と一緒に部屋を出た。


「お前、名前は? 俺は透な」

 エレベーターを待つ中、明るい髪の子が、そう名乗ってくれる。

「勇矢だよ。ここへは泊まりで来てる」

 俺が名乗ると、次に長袖の子が、こっちを見た。

「俺はね、啓太。泊まりだよ」

 そうして、簡単な自己紹介が終わると、

「……あー、なんかまだ目が変な感じする」

 啓太が、そう言いながら目元を指で押さえる。

「実際、やられたわけじゃないのに、変な感じするよな」

 その隣で、透が答える。

 俺も、直接されたわけじゃないけど、なにかされた余韻が残ってるみたい。

「……やっぱり俺、ちょっと部屋で休憩しようかな」

 啓太が、少し申し訳なさそうに告げた。

「なにお前、影響受けすぎじゃね?」

 透は冗談っぽく笑っていたけれど、長袖の子は、そんな余裕もないのか、笑い返せていない。

 その様子を見ていて、心配になった俺は、口を挟ませてもらうことにした。

「俺たちが見せられてるのって、景色も、やっぱりニセモノだから、合わない人は、かなり画面酔いしちゃうんじゃない?」

 怖いとか以前に、目が慣れなくて、気持ち悪くなることもあると思う。

「あー……じゃあ、無理せず休んどけ。次までまだ1時間以上あるし」

 透はそう言うと、ちょうど来たエレベーターに乗り込んで、4階のボタンと1階のボタンを押した。

「俺は一応、図書ルームの場所確認しておくよ。啓太、1人で大丈夫か?」

「そこまで弱ってないよ。大丈夫」


 そうして啓太を見送ると、俺と透は1階の図書ルームに向かった。

「ここだよ」

「お、ありがとな!」

 図書ルームのドアを開けて、中に視線を走らせる。

 入り口近くの席にいた玲士が、俺に気づいて手を振った。

「玲士!」

「ん? 勇矢の友達?」

 すぐ後ろにいた透が、俺に尋ねる。

「うん。Bクラスだから、体験のことは話せないんだけど……」

「ま、しかたないよなー。じゃあ俺、図書ルーム探索すっから。次は勝とうぜ、勇矢」

「うん。またな」

 漫画コーナーに興味津々の透を横目に、俺は玲士の前の席に座った。

 玲士の手元には、紙が置いてある。

「玲士、それ、感想? 見たらまずいよね」

「まあ、そうなるね。さっき一緒にいたの、Aクラスの子?」

「うん。図書ルームはじめてみたいで、案内してきたんだ。なんか3人組らしいんだけど、1人だけBクラスなんだって」

 玲士は、少し迷うように視線をさまよわせた後、

「聞こえちゃったんだけど。次は勝とうって……」

 窺うようにして、俺に聞く。

「……どこまで話していいのか、わかんないけど」

 俺も近くを見渡して、萩野さんやスタッフ、他の子がいないのを確認する。

「なんか、ちょっと勝負みたいになってんだ。勝ち負けの問題じゃないんだろうけど、相手に勝ったって言われて……」

「相手に……」

 玲士が、考え込むように眉をしかめる。

 さすがに話しすぎたような気がして、後ろめたくなった俺は、話を変えることにした。

「そういえば、クラスって何人くらいいるの? Aクラスは10人だったよ」

「うちは5人。もっと少ないよ」

 玲士のいるBクラスは、みんな第六感を持っている。たぶん自己申告だし、本当かどうかなんてわからないけど、そういう子たちだって思うと、5人でも多い気がした。

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