3 花子さん、遊びましょう

 萩野さんの案内で通された部屋は、なにもない真っ白な空間だった。

 バスケットコート1つ分くらいはありそうだ。

「こちらをどうぞ」

 手渡されたのは、なんかごついゴーグルとヘッドフォン。

 言われるがままはめてみると、そこは別の空間が広がっていた。

「ここ……学校の校舎?」

 夕方だろうか。

 赤く照らされた廊下に、俺は立っていた。

 歩いていないはずなのに、勝手に景色が進んでいく。

 まるで本当に歩いているみたいで、すごく変な感覚だった。

「これが、怪異体験……?」

 そう声に出してみるけれど、ヘッドフォンをしているせいか、自分の声もよく聞こえない。萩野さんの声も、他にいるはずの子たちの声も、なにも聞こえなかった。

 俺は、勝手に進む視界に促されるようにして、トイレの個室に入る。

 なんでこんなところに……そんなことを思っていると、遠くの方でなにか音がした。

 足音?

 じょじょに近づいてくる。誰か来るんだろうか。

 俺は個室に入ったまま。

 いったいなにをすればいいんだろう。

 どうすれば、自分を動かせる?

 わからないでいると、

「……花子さん。遊びましょう」

 震えた子どもの声が聞こえてきた。

 女の子?

 なんだか怖がっているみたい。

 花子さんといえば、学校の七不思議でよくネタにされる女の子だ。

 どうやら、トイレの花子さんを体験させたいらしい。

 だったら、俺も花子さんを呼びに行かないと。

 ……行く?

 どこに?

 花子さんが出るとされているのは、女子トイレの個室。

 いま俺がいるのって……男子トイレだよな?

 あいにく確認できていない。

「花子さん、遊びましょう」

 もう一度、女の子の声がする。

 さっきよりもはっきり聞こえた。

「「花子さん、遊びましょう!」」

 今度は2人。

 まるで俺を急かすみたいに、大きな声で同じセリフを繰り返す。

 ……なんで俺が急かされるんだ?

 俺はそっち側の人間だ。

 俺も一緒に花子さんを探して、遊びましょうって言う側だ。

 頭ではそう思っても、声は出ないし体もまったく動かない。

 個室の中、立ち尽くしていると――

「「「花子さん、遊びましょう」」」

 すぐ近くで、数人の声がした。

 怪異である花子さんを呼ぶ声。

 恐怖と好奇心が混じったその呼び声に、背筋がゾッとする。

 あいつらが捜しているのは、花子さんだ。

 俺じゃ――

「花子さん、聞こえてるんでしょ?」

 近くから聞こえてきたその一言に、俺の心臓は跳ね上がった。

 まるで誰かに……花子さんに話しかけてるみたい。

 さっきまでとは違う。

 花子さんが、すぐそこにいるものとして、話しかけている。

 見つかるのも時間の問題だ。

 そもそも、なんで俺は隠れてるんだろう。

 おかしくないか?

 俺は花子さんじゃないし、なにも隠れる必要――

 ドンドン!

 突然、叩かれたドアの音で思考が停止する。

 目の前……いや、すぐ近くのドアか。

「いるんですよね?」

 ドンドン! キィ……。

 ドアを叩く音と、ドアが開く音。

 ドンドン! キィ……。

 音は、どんどん近づいてきて、すぐ隣まで迫ってきていた。

 次、開かれるのはこの扉に違いない。

 そう思った瞬間、俺は気づかれないようにそっとドアのカギをかけていた。

「やっぱり、一番奥の個室だよ」

 相談している声が聞こえてくる。

 直後――

 ドンドンドン! ドアを叩く音が頭に響いてきた。

 隣じゃない、目の前のドアだ。

「花子さん、遊びましょう!」

 ガチャガチャ。

 ドアノブが捻られる。

「ねぇ、ここだけ開かないんだけど」

 俺の心臓はバクバクしたまま、なかなか治まってくれなかった。

 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。

 さっきから、ドアノブが不快な音を立て続ける。

 入ってます、花子さんじゃないです。

 そう言えばいいのに、声が出てこない。

 出しているのに、かき消されているようにも感じた。

 ガチャガチャと振動を与えられて、古いドアのカギが次第にずれていく。

 もう一度、カギを締め直して、ドアを押さえて……そう思うのに、体は動いてくれない。

 そうしてとうとう、ドアがキィ……と音を立てて開いた。

「きゃあああああ!」

 数人の女の子が、目の前で叫んだかと思うそとのまま逃げていく。

 どうやら俺が怖いらしい。

 ……っていうか、やっぱり俺が花子さんなのか?

 それは違う。

 そう告げようと、一歩足を踏み出してみる。

 実際に足を出していたのか、出していると思わされたのか、それはわからない。

 ただ、見えないなにかにぶつかって、俺は個室に戻される。

 開いたはずのドアが、音を立ててゆっくり閉まった。

「お、おい……ここから出せよ!」

 赤く照らされていた空間が、真っ暗になっていく。

 暗い。

 いまはもう、誰の声も聞こえない。

 なんとなく、体が硬直していくのを感じた。


 そうしてどれくらい真っ暗闇に捕らわれていただろう。

 もしかしたら、たった1分くらいだったかもしれない。

『終了します』

 機械的なアナウンスの音声で我に返る。

 いつの間にかつぶっていた目を開くと、視界は真っ黒から真っ白に変わっていた。

 誰かの手で、ゴーグルとヘッドフォンを外される。目の前にいたのは、荻野さん。

「お疲れさまです。1つめの怪異、終了になります」


 その後、最初の部屋に戻ると、紙を渡された。

「こちらはアンケート用紙になります。感想や質問など、あれば記入してください。提出はいつでも構いません。僕はだいたいロビーにいるので、急ぎの場合は遠慮なく声をかけてください」

 渡された紙には、恐怖を感じたか、続けたいかなど、さまざまな項目が書かれていた。

「だいたい理解していただけたと思いますが、このような形で、体験を繰り返してもらいます。プログラムも渡しておきますので、参加を決める参考にしてください」

 次に渡された紙には、1回から5回まで、体験が行われる時間と、怪異の場所が書かれていた。

 1回目 1日目AM10時~ 女子トイレ

 2回目 1日目PM1時半~ 美術室

 3回目 1日目PM4時~ 音楽室

 4回目 2日目AM10時~ 理科室

 5回目 2日目PM1時半~ 教室

 そして最後に『この5つの怪異体験は、実際の現象ではないのでご安心ください』と、小さい文字で書いてある。

 萩野さんが話していたやつだ。

 場所しかわからないけれど、どれも学校の怪談がテーマみたい。

「ちなみに食事はみんな同じ場所で取りますが、今回の体験のことは、Bクラスの子に話さないようにしてください」

 荻野さんに言われて、紙に向けていた視線を萩野さんに向ける。

「すべての体験を終えた後、情報共有するのは構いません。ただ、今の段階ではやめてください」

 俺が顔をあげたせいか、萩野さんは目を合わせてそう付け足した後、

「では、みなさん筆記用具など持ってきていないでしょうし、各自、部屋に戻っていただいて構いません。宿泊部屋の引き出しに、筆記用具が入ってますので、そちらを使っていただくか、図書ルームとロビーに置いてあるものを使ってください。2回目の怪異体験は1時半からですので、よろしくお願いします」

 授業を切り上げるみたいに、荻野さんは話を終わらせ、部屋から出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る