第37話 倉庫

 次の日、アレシュは早朝からデルフィーノ侯爵の邸宅の近くに向かった。屋敷の前の通りにさしかかると、受信機は光り始めた。無事に作動しているようだ。


「さて、ずっとうろうろしていると怪しまれるぞ……」


 アレシュは建物と建物の間に身を潜め、侯爵が出てくるのを待った。


「全然出てこないな……」


 アレシュが待ちくたびれて大きなあくびをした途端、受信機がチカチカと点滅し始めた。


 慌てて隙間から這い出すと、屋敷の前に馬車が止まっていた。


「どこかに行くのか」


 アレシュは馬車の後を走って追いかけ始めた。


(きっっつ!!)


 馬車は全力疾走している訳ではないが、人の足ではどんどん距離が離されていく。


「くそっ」


 アレシュは靴を脱いだ。そして義足を馬の足のように形に変化させる。通りすがりの人々は驚いていたが、構うものか、とアレシュは走り続けた。


「はぁ……はぁ……」


 馬車は住宅が密集した地域に入っていった。下水の据えた匂いがする。治安のあまり良くない地域であろうことは、初めて来たアレシュにもすぐに分かった。


 アレシュは周囲の様子を警戒しながら馬車を追い続けた。馬車はやがて古びた倉庫の前で止まり、デルフィーノ侯爵が降り立った。


「ここで何をしているんだ?」


アレシュは心の中で問いかけながら、慎重に距離を保って観察した。


 デルフィーノ侯爵は倉庫の扉を開け、中に入っていった。アレシュはその隙を見て、倉庫の裏手に回り込んだ。窓から中を覗くと、侯爵が誰かと会っているのが分かった。


「こんな金が払えるか!」


 デルフィーノ侯爵の怒鳴り声が聞こえる。割れた窓ガラスの隙間から目をこらすと、彼は倉庫の中央にある不釣り合いに豪華なソファに座った男と対峙していた。男のコートは上質で、そして目を奪うほど赤い。そんな派手な身なりに飲まれない只者ではないオーラを発している。


「困りますね。以前も殺人ホムンクルスを壊したでしょう。しかしあなたが詮索も口封じもいらない刺客が欲しいというから特別にお貸ししたのに。その対価を払えないと言う」


 アレシュは窓の隙間からそのやり取りを見守りながら、緊張感を感じていた。


「一週間差し上げましょう。なんとか金策をしてください。……ああ、そうそうお嬢様は婚約したばかりでしたっけ。無事に結婚式をあげられるといいですね」


「……なっ、私を脅す気か」


「もし、金がないなら代わりでもいいですよ。そうですね貴方が軍部に働きかけている新兵器……その情報でもいい」


「なぜそれを知っている……!」


「我々、裏の稼業の人間は情報と信用が命。それぐらい調べるのが当然です。……では、また一週間後に、ここで」


 男が立ち上がった。アレシュは慌てて窓から身を離し、息を殺した。倉庫から出てきた男の姿が遠くなっていくのを確かめてから、アレシュは再び中を覗き込んだ。


「くそっ……なんで私がこんな目に……何としても崩壊石を手に入れなければ。ドメニコは一体どうしたのだ」


 デルフィーノ侯爵は地面をイライラと蹴り飛ばしていた。アレシュは一回大きく深呼吸をして気合いを入れると。そのまま倉庫の中に入った。


「デルフィーノ侯爵ですね」


 アレシュが声をかけると、侯爵はぎょっとした顔でこちらを見た。


「なんだ小僧!」


「お初にお目にかかります。……本当は初めてじゃないんですけど、俺の名はアレシュ・フィレンツ。エアハルト・フィレンツの息子です」


 デルフィーノ侯爵は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し、にやりと笑った。


「ドメニコの報告にあったエアハルトの息子か。なるほど、君がここまで来るとは思わなかった。」


「父を殺したのは貴方ですね」


「証拠も無しにそう言うことを言うのはよくないな」


 アレシュは冷静に書簡を取り出し、侯爵の前に差し出した。


「これが証拠です。あなたが父に崩壊石の軍事転用を依頼し、彼がそれを断ったこと。そして、最後には脅し文句まで書かれています。」


 デルフィーノ侯爵は書簡を読み、一瞬顔色を変えた。


「なるほど、確かにこれは厄介だ。しかし、君は賢い少年だ。私と敵対するよりも、協力する方が得策だとは思わないか?」


 アレシュは警戒しながら、


「どういう意味ですか?」


 と尋ねた。


「君が私の後ろ盾になることを条件に、崩壊石を渡せ。軍部がそれを手に入れれば、戦争は早期終結する。私たちは共に大きな力を手に入れることができる。もっとも平和で賢明だと思わんかね。君の父親もきっと誇りに思うだろう。」


 アレシュはその甘ったるい声に吐き気を覚えながら、毅然として答えた。


「あなたの甘言には乗りません。俺は父さんの遺志を示す為にここに来たのです。」


 デルフィーノ侯爵の表情が、苛立ちの憤怒で塗りつぶされていく。


「……そうか、それは残念だ。書簡はどこへなりと報告するといい」


 そして彼は笑った。仕込み杖の刃でアレシュの腹を深々と貫きながら。


「出来るものならなぁ! 馬鹿め、こんなところに手ぶらで来ると思ったか!」


 アレシュのシャツが血に染まっていく。デルフィーノ侯爵は剣を引き抜くと、アレシュを突き飛ばした。力なく横たわる彼を、侯爵は容赦なく踏みつけていく。


「どいつもこいつも生意気だ! この私にたてつくとは、地獄に落ちればいい!」


「……ぐっ」


 アレシュは口から血を吐き出した。生暖かい鉄の味。アレシュは必死に立ち上がろうと、もがいた。


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