第10話 宿屋のホムンクルス
「あの、あの……ご夕食です」
扉がノックされ、エルナがそう告げに来た。
「ありがとう」
階段を降りて食堂に向かうと、テーブルの上には料理がいっぱい並んでいる。
「お腹いっぱい食べてね」
「食べきれるかな……」
テーブルに着くと、アレシュは早速煮込みに手をつけた。
「あ、美味しい」
鯛と貝とイカがトマトで煮込んである。旨味たっぷりで臭みもない。アレシュは残った汁もパンに吸わせて平らげた。
「こっちのフライも食べて」
香ばしいハーブ入りのパン粉で揚げた小魚は、頭からまるごと食べられる。さくさく香ばしくて、大人だったら酒が欲しくなるような味だ。
「ハーブは何を使っているんですか?」
味見が出来ないミレナは女将さんに聞いた。
「パセリとオレガノと乾燥ニンニクだね」
「へえ……ありがとうございます!」
もう一品あるのだが、アレシュはそれに手をつけるのを躊躇っていた。
「これ……生ですよね」
「そうだよ。生の鯛に塩と胡椒とオリーブオイル」
「生か……」
アレシュが難しそうな顔をしていると、女将さんは笑った。
「港街ならではの食べ方だよ。試してみな」
アレシュは意を決してそれを一切れ口に運んだ。
「う……なんか甘い……?」
淡泊な身は甘みすら感じるほどだった。塩と胡椒がそれをさらに引き立てる。
「いや~美味しかった……」
アレシュが満足げにお腹をさすっていると、そこにエルナが食後のお茶を運んできた。
「おまたせしま……あっ」
お盆の上のカップが倒れて、アレシュの腕にぶつかった。
「ああっ!」
「大丈夫、ちょっとかかっただけだよ」
「申し訳ございません」
すぐに女将さんが駆け寄ってきて拭いてくれたし、アレシュはちっとも気にしなかった。だが、エルナはもう顔を真っ青にして今にも倒れそうなくらい震えていた。
「お客様、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「大丈夫だよ」
アレシュが声をかけても、エルナは泣くばかりだった。
「まったく困った……」
女将さんはそう呟くと深いため息を吐いた。
「看板娘になると思って大枚はたいて買ったのに、こんなに仕事ができないなんて、本当に損したよ」
「うーん、少し調整してみますか?」
「調整?」
女将さんはきょとんとした顔でアレシュを見た。
「俺、錬金術師なんです。ホムンクルスならいくつも見てきました」
正確にはホムンクルスを造ったり、調整や修理をしていたのはエアハルトなのだが、アレシュはずっとその様子を見てきた。なにがどうなっているか理屈も分かっている。
「例えばもっと単純作業に限定すれば失敗も減るでしょうし、何かうまく動かない理由があるのかも」
「お客様、あたし直りますか!? 仕事できるようになりますか!?」
「うん、まず見てみるからね」
「あたし、良くなりたい! 女将さんの役に立ちたい」
再び泣き始めたエルナを宥めながら、アレシュは首筋の印を確かめた。場合に寄っては中の精霊を入れ替える必要があるかもしれない。その場合、今のエルナは
「ふんふん……なんだ」
「何か分かりましたか」
女将さんが覗き込んでくる。
「ええ。単純でした。魔法陣が不完全です」
「……え?」
「所々間違ってるし、形もゆがんで良くないです。よく精霊が固定したな」
正直、これを売りつけた錬金術師は無能だ、とアレシュは思った。
「お客様、これを直したらエルナはきちんと動きますか?」
「うん。できるよ」
「お願いです。直して下さい!」
エルナは腕にしがみついてアレシュに懇願した。だが女将さんは首を縦に振らなかった。
「だけど……ご迷惑かけられません。お金もかかるし……」
「お金……そっか……ごめんなさい……エルナ稼げないから……」
エルナはしょんぼりと肩を落とした。
「いいよお金なんて。ちょっと魔法陣をいじるだけさ。錬金術師としてこんな適当な仕事は放っておけないよ」
「でもお客さん……」
「いいんです。俺の父はホムンクルスを造る仕事を主にしていました。すべてのホムンクルスが幸せになれるように、丁寧に丁寧に仕事をしていました。俺はまだ半人前です。経験を積ませてください」
アレシュはミレナに頼んで、二階から鞄を取ってきてもらった。
「さあ、そこに座って」
エルナを座らせ、首元の魔法陣を露わにさせる。アレシュはナイフでその印を慎重に削り取った。そこに水で練った魔素石膏を塗り、乾くのを待つ。その間にインクを用意する。普通のインクでも魔法陣は作動するが、こすれたり濡れたりしても大丈夫な耐水インクを使用する分だけ小皿に移す。さらにエーテル体の伝導を高める為、魔法銀の粉を少量加える。そして欠けた魔法陣を正しく書き直していく。
「さ、これで出来た。インクが乾ききるまであんまり動かないでね」
こわごわと目を瞑っていたエルナはそっと目を開けた。
「……まるで霧が晴れたようです」
「つまりがとれたみたい?」
「そう、そんな感じがします」
エルナは晴々とした顔をしていた。そして口調も小さな子供のようなものから、ハッキリとしたしゃべり方になっています。
「女将さん。何か私に命じてください」
「え……と、そしたらお茶を淹れてきて」
「はい!」
エルナは厨房に行き、お茶を淹れてきた。ポットからカップにお茶を注ぐ動作はなめらかだ。
「女将さんが何を言ったかすぐ分かります。そして何をすればいいかも」
「エルナ……」
「私、きっと宿のお仕事キチンとできます。私、女将さんの役に立てる……。ありがとうございます!」
その後、女将さんからは何度もお金を払う、と言われたが、アレシュはあれは練習だからと断った。実際、自分の手で修復が出来るか確証がなかったのは本当だ。
女将さんはシャキシャキと仕事をこなすようになったエルナに戸惑いながら、うれしそうにしていた。
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