第4話 運命の日(後編)
「あ……」
アレシュの頬に血が一筋伝った。
あの客の男がどうして。そしてもう一人居たはずだ。痩せぎすの中年男。
アレシュは素早く辺りを見渡したが、その男の姿は見当たらない。
黒いローブの大男は再びナイフを振り下ろした。
「ちょっ……!?」
床を転がってアレシュはその攻撃を躱す。
「何があったんだ。あんたは何なんだ!」
「……」
男が答えることは無かった。ただ分かっているのは、この男がアレシュを害そうとしているということ。
(どうにかして止めないと)
アレシュは部屋を見渡した。すぐ目の前の机には大量のメモと重い燭台がある。
アレシュはメモを掴むと男に向かって投げつけた。空を散らばる紙が視界を奪う。その隙にアレシュは燭台を男に向かって投げつけた。
アレシュはそのまま部屋の角へと移動する。そこには作りかけや納品間近の錬金アイテムが置いてある。
「これでも食らえ!」
アレシュは小瓶を掴んで男に向かって投げた。足下で瓶が割れると雷精玉が発動する。護身や動物を生け捕りにする時などに使う攻撃アイテムだ。小規模な雷が発生し、食らった相手はしばらく動けなくなる。
アレシュはさらに樽の中から「いばらの鞭」を使った。これは対象に投げつけると勝手に巻き付いて相手の動きを奪う。
痺れて動かない相手を縛り上げる。その間にミレナが消火を始めるだろう。その間にここを脱出してエアハルトの手当をする。
これで全部上手くいく。
「な……なんで」
だがアレシュが目にしたのはいばらの鞭を真っ二つに切り裂いた男の姿だった。普通、人間は雷精玉の雷を食らってまともに立っていられる訳がない。
「まさか……ホムンクルス?」
ホムンクルスの利用は多岐に渡る。中には護衛や兵士として使われるものもあるという。だが人を殺める目的のホムンクルスを好んで作る錬金術師は少ない。まず国に目を付けられるし、そういうホムンクルスを持っている人間もまた武器をため込むのと一緒で目を付けられる。それよりそういう目的には高価なホムンクルスを使うよりも金で人間を雇った方が安いしてっとり早い。
アレシュは目の前の男を睨み付けた。人間とホムンクルスの見分け方はいくつかある。その一つが首元の印章だ。そしてホムンクルスは人間にない鮮やかな色の髪をしていることが多い。
「炎よ、我が敵を焼き尽くせ!」
アレシュが唱えた火の呪文。こぶし大の火の玉が男を襲う。それは人を害するには威力は弱かった。だが、男のローブにぶつかり、炎をあげた。
「グ……」
男が燃え下がるローブを脱ぎ捨て、床に捨てた。冷たい銀色の瞳。そしてサファイアのような青い髪。ホムンクルスだ。
「なんでこんなところに……」
このホムンクルスはあの痩せた男が連れてきたのだ。人を殺めるホムンクルスを。
(考えてる場合じゃない。倒さないと……!)
明らかに自分に殺意が向けられている。だが、相手がホムンクルスならば――壊せばいいのだ。
「食らえ!」
アレシュは風の魔法を唱えた。鋭い疾風が敵へ飛び、切り裂く。だが、アレシュの未熟な魔法では深刻なダメージを与えることができない。
「……フッ!」
その間に距離を取られ、ナイフの切っ先がアレシュに向けられる。
「くっ」
すんでのところで躱すものの、アレシュはそれだけで必死だった。男の動きには無駄が無い。殺す為に躊躇の無い動き。
アレシュは次第に部屋の隅へと追い詰められていった。
まっすぐに、アレシュの命を刈り取ろうとナイフが襲いかかる。アレシュは水の魔法で自らの体を包み込み、素早く後退した。
「ガアア!」
だが男のナイフが水の盾を切り裂いた。これはただのナイフの攻撃ではない。魔法を付与し、強度を上げた攻撃だった。
アレシュは一歩後ずさったが、もう後ろには逃げ場が無かった。
男は冷酷な笑みを浮かべ、アレシュの首を掴みひねり上げる。苦しさと痛みでアレシュに冷や汗が浮かぶ。
ホムンクルスの目が冷たく光り、ナイフを振り下ろした。アレシュは反射的に義手を前に突き出す。そこにナイフは深々と突き刺さった。
「――かかったな」
アレシュはナイフの刺さってない右手を掲げた。それは一瞬で鉤のような形に変化する。
「あああ!」
アレシュの右手がホムンクルスの首元を貫いた。ホムンクルスの
「――……」
ホムンクルスの目から光が無くなった。力を失い、地面に倒れる。アレシュは倒れ込んできたホムンクルスの体の下から這いだした。
「……やった」
そしてすぐにエアハルトの元に駆け寄った。
「父さん……父さん。今……回復させるよ」
アレシュは父の手を握る。だが、その手は冷たくぐったりとしている。
「あれ……なんでかな……回復魔法が効かない」
「アレシュ……」
エアハルトがうっすらと目を開けた。
「父さん、喋ったら駄目だ。今治すから……」
「いいや……俺はもう駄目だ。血を失い過ぎたし、全身に毒が回ってる。俺の解毒解毒魔法も効かなかった……体が動けば解析するんだが……ふふ」
「やめて……やめてよ」
「アレシュ、ごめんな。週末の約束は守れそうにない。ここから逃げろ。俺が死んだら血の印を仕込んだ爆薬が爆発する。俺と……俺の研究はここに封じる」
アレシュは目の前で何が起こっているのか理解できなかった。俺が死んだら? そんなこと、ある訳ない。あってはならない。
「父さん! しっかりしてよ!」
「アレシュ……愛してるよ」
エアハルトは微笑んだ。そして一つ息を吸うと、もう……動かなくなった。
「父さん! 父さん!」
アレシュはエアハルトを強く揺すぶったが、彼はもう目を覚ますことはない。
「嘘だ……」
アレシュはエアハルトを抱き留めたまま、動けずにいた。
そんなアレシュの背後で爆発が起きた。だが、アレシュは振り向きもしなかった。
エアハルトがいなくなるのなら、自分も消えてなくなりたい。このままここで燃え尽きてしまいたい。
――ドオオオン!
またひとつ爆弾が破裂した。それでもアレシュは動かなかった。
「なにしているの!」
だが、そこに飛び込んで来たのはミレナだった。
「死んでしまうわ! アレシュ……ここを出ましょう」
「ミレナ……いいんだ俺はもう……」
「駄目! アレシュは生きて。私……私がいるじゃない!」
ミレナはアレシュの手を引き、必死に訴えかけた。
「お願いよ。私の為に生きてよ。私はホムンクルスだけど……私はマスターの代わりにならないけど」
「ミレナ」
「逃げよう。アレシュには沢山の未来がある。それをそこで捨てちゃ駄目」
ミレナの涙が、アレシュの手に落ちる。今まで生きてきて、ミレナが泣くのを見るのは初めてだった。
「分かった……」
「アレシュ」
「そうだね……俺、やることがある。立派な錬金術師になって……父さんを殺した奴を……仇を取らなくちゃ」
あのホムンクルスを連れてきた男。あの男を探さなくては。人の為に錬金術を使ってきたエアハルトが何故殺されなければならなかったのか。その理由を知るまでは――死ねない。
アレシュは立ち上がった。
「行こう。ミレナ」
「……うん!」
爆発と炎の中、アレシュとミレナは外へと逃げ出した。
と、同時に離れの研究室が音を立てて崩れていく。エアハルトの遺体と研究を飲み込んで。
「母屋にもその内燃え移るわ。最低限のものだけ持って」
アレシュは自分の部屋から着替えとお気に入りの箱を鞄に詰め込んだ。本当は週末街に行った時にお土産でいっぱいにしようとしていた鞄だ。そう思うと胸が締め付けられそうになる。
「アレシュ……行くよ」
「うん。あとこれだけ」
アレシュはベッドサイドの引き出し机の中から、錬金ガラスの板を手にした。そのガラスには、まだ手足のないアレシュと珍しく笑顔のエアハルト、そしてミレナの姿が映っている。
「お待たせ!」
火の手が迫ってきていた。アレシュは煙を吸い込まないようにしながら門の外に出る。
「……やっと家を出れた」
それがこんな形になるとは思わなかったけれど。アレシュは唇を噛みしめた。
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