第3話 運命の日(前編)

「似合ってるわ、すごく」


「そ、そうかな……」


 新しい服に袖を通したアレシュは照れくさそうに笑った。いままでの服が合わなくなったので、ミレナが古着を買ってきて手直しをしてくれたのだ。


 姿見の前で格好つけるなんて初めてのことだ。鏡の中のアレシュはなんとも言えない顔をしていた。


「マスターと街まで行くんでしょう? キチンとした格好をしないと」


「そうだよね……」


 週末にはエアハルトと一緒にウェルシーの街まで行くことになっている。とても楽しみな反面、人前に出ることに関しては非常に緊張している。本当なら近隣の村くらいなら一人でも行けそうだが、初めての外出はどうしてもエアハルトと一緒が良かった。


「楽しみね」


「ミレナも行こうよ」


「家事があるわ。それに私がいない方がいいと思う。私の手助け無しで、アレシュは外に出るの」


「……そっか、そうだね」


 義肢を装着した今も、アレシュは気を抜くとミレナを呼んでしまう。長年の癖ではあるものの、甘えてばかりではよろしくない。


「よし、仕事だ」


 アレシュは気分を切り替えて研究所に向かった。




「アレシュ、来たか」


 エアハルトはごちゃごちゃとした机の上の本や書き付けに埋もれていて、頭の先しか見えない。


「右から二番目の棚から五番と十三番の瓶を持ってきてくれ」


「はい」


 アレシュは言われた通りに棚から遮光瓶を持って、作業台まで運んだ。


「父さん、持って来ました」


「ああ」


 そこで初めてエアハルトは立ち上がってアレシュの姿を見た。


「なんか変だな?」


 エアハルトは怪訝な顔をしている。


「……ミレナが新しい服を用意してくれました」


「それでいつもと感じが違うのか」


 アレシュは苦笑した。そんなことを言ったら手足がついたことの方がよほど大きな変化だと思うのだが。


「そうだ。今日は客が来る。魔素石膏の材料を合成したら、戻っていいぞ」


「お茶とか出そうか? 俺も……」


「いや、いい。そういう客じゃない」


 エアハルトは顔を歪めて嫌そうにしている。そもそもこの館に来る客は少ない。大体はゲオルグが窓口になって、そこで依頼は終わる。本当は断りたかったのに断り切れなかった、とエアハルトの顔には書いてあった。


「わかった。それじゃあ義肢の練習をしてます」


「もう普通の手足と遜色なく動いているように見えるが? 楽士にでもなるのか?」


「違いますよ」


 アレシュは笑って、シャツの袖口をまくり上げた。


「見てて下さい」


「……?」


 エアハルトの前に手を突き出して、アレシュは集中し目をつむった。背中と上腕の魔方陣が淡く光り出す。


「じゃん!」


 アレシュが手を振ると、手の指の数が増えた。まるで蜘蛛のように沢山の指が動いている。


「わっ! ……なんだこれは」


「俺の血の印が常に更新されてるって聞いて試してみたんだ。依頼者の要望で形や硬度を変えることがあるだろ? だったら好きなふうにいつでも変化させられるんじゃないかって」


「くくく……だからってぶっ飛び過ぎだろ……」


 エアハルトは必死に笑いを堪えている。


「ただまだ自由自在って訳にはいかないんだ。これも本当は十本指にしたかったのに九本しかない」


「……さすがは俺の息子だ」


 エアハルトは笑いながらアレシュの頭を撫でた。


「あの雪の日、お前を拾って良かった」


「……父さん、どうして俺を拾ってくれたの。父さんって人嫌いじゃない。俺が来るまで召し使いのホムンクルスすら居なかったんでしょ」


「試されてるって思ったんだ。お前には出来ないだろうってな。俺はそういうのは燃えるタチなんだよ。ま、結果こんなに楽しいとは思わなかった」


 エアハルトはそのままアレシュの頭をぐしゃぐしゃにして、心底愉快そうに笑っていた。




「あら、もう仕事終わったの?」


 午後になる前に引き上げてきたアレシュを見て、ミレナが駆け寄ってくる。


「うん、お客さんが来るんだって」


「あら、珍しいですね」


「だから昼食は庭で食べるよ」


 アレシュは朝に持たせて貰った昼食の包みを持って庭に出た。


「アレシュ、ミルクをどうぞ」


「ありがとう」


「私も一緒に」


 ミレナは水を持ってきたようだ。


「それじゃ乾杯」


 二人はカチリとカップを合わせた。


「初めての乾杯だ」


「そうね。アレシュはいっぱい初めてがあるわね」


「料理もしてみたい。ミレナには食べて貰えないけど……」


「ふふふ」


 昼食を食べた後もしばらく、二人は庭でゆっくりとしていた。庭の木々は葉が生い茂り、夏が来ようとしている。


「あれ……?」


 門のところに人がいる。痩せた中年の男と、その後ろに背が高く、身幅も大きな黒いローブの男だ。


 しばらくするとエアハルトが迎えに出て、彼らを連れて行った。


「あれがお客さんか……」


「お茶を出さないと」


「いや、それはいらないって父さんが」


「そうですか……?」


 二人は研究所の中に消えて行く彼らをしばらく見つめ、家の中に引き上げた。


「ねぇ、ミレナ。街で何か買って来て欲しいものある? 俺、何かミレナに贈りたいんだ」


「そう言われても……所有欲自体、精霊はあまりないから……」


 それでもミレナは一生懸命考えていた。アレシュの初めての買い物、初めての贈り物にふさわしいものは何か。しばらく唸った後、ミレナはようやく思いついて手を叩いた。


「では櫛を下さい。ずっと使っている櫛がいくつも歯が欠けているの。まだ使えないこともないんだけど」


「わかった。櫛だね。うんと綺麗で丈夫なやつにするよ」


「うん、楽しみにしてる」


 ミレナが微笑んだ、その瞬間。


 ――ドオオオオン!


 突然、耳をつんざくような爆発音が聞こえた。


「なんだ!?」


「アレシュ、大丈夫!?」


 ミレナがアレシュにしがみつく。


「俺は大丈夫。今の爆発は……」


 二人は庭へと駆け出して行った。


「研究所だ!」


「行きましょうアレシュ!」


 研究所が近づくにつれ、焦げ臭い匂いが鼻を突く。


「薬品が燃えてる」


 煙が目に染みる。激しく咳き込んだアレシュは首元のスカーフを口に巻いた。


「ごほっ……父さん」


 何があったのか。エアハルトは無事なのか。お客さんはどうなったのか。不安が大きく膨らんで喉元から飛び出しそうだ。


「ミレナ。この火事を消せる?」


「私が生み出す水魔法では……あ、でも井戸の水を運んで飛ばせばできるかも」


「分かった。すぐに水を運んで。俺は父さんの様子を見てくる」


 研究所からは黒い煙が上がっていた。爆風からか、窓ガラスが割れている。その中に人の姿がふっと見えた。


「父さん!」


 アレシュは半泣きになって研究所のドアを開けた。物が燃える匂いがより一層濃くなる。


「父さん!」


 本に、書き付けに埋もれたいつもの姿を思い浮かべつつ、部屋の扉を開ける。


「うっ……」


 煙の中で、チラチラと炎が上がっている。父の姿を探し、アレシュはあたりを見渡す。


 そこで、床に横たわっているエアハルトを見つけたアレシュは、転がるようにして彼の元に駆け寄る。


「父さん! 大丈夫? 父さん!」


 抱き起こすと、エアハルトはゆっくりと目を開けた。


「……アレシュか」


「そうだよ。何があったの」


 おかしい。何かがおかしい。アレシュの心臓はうるさいくらいに跳ね回っている。痛い。


「ここは危ないよ」


「アレシュ……逃げろ……」


「うん、だから……」


 ああ、なんで父さんは起き上がらないんだろう。この手に触れるぬるぬるしたものはなんだろう。


 エアハルトの下には血だまりが出来ていた。早く助けなければ、そう思うのにアレシュの足はすくんで動かない。


「アレシュ逃げろ!」


 エアハルトはアレシュの腕を強く掴み、叫んだ。その次の瞬間、アレシュの頬を何かが掠める。


「え……」


 一体何が起きたのか、とアレシュは振り向いた。そこには黒いローブの大男がいる。手に、大振りのナイフを携えて。


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