第2話 新しい手足

「いいか。これがアレシュの身体だとするな」


 エアハルトが夕食のパンをテーブルの上に置いた。そしてその上からワインに浸した指で図を書く。


「まず手足の接続部分に印を彫り込む。ようするに刺青だ。こすって取れても困るからな。そしてそれを背中の魔方陣に繋げる。そしてその魔方陣から首筋から頭にかけて印を結ぶ。こうしてアレシュの思う動きを義肢に命令させることができる。この義肢はホムンクルスの素体と同様のものだ。アレシュは半分ホムンクルスの身体になるということだ」


「父さん、そうしたら血の印が必要だということ?」


「その通り、それはアレシュの血で行う。常にアレシュの血で結ばれていることになる」


 通常、ホムンクルスは一定期間、もしくは所有者が変わった際に血の印を結び直す必要がある。血の印が薄れると、素体と精霊を固定する力が弱まるため、ミレナも年に一度はエアハルトの血の印を首筋の魔方陣に受けていた。


「なるほど。常に血の印が更新されている状態になるわけだ」


「さすが飲み込みが早いな。……アレシュ、本当にいいのか?」


「うん。もちろん怖いよ。でもわくわくしてる。こんなことが出来るなんて、父さんの息子で良かったと思ってる」


 エアハルトは決して商売向きの愛想がないけれども、腕はピカイチの錬金術師だから、こんな街道の外れにまで依頼を寄越す人は絶えない。その隙間を縫って、エアハルトはずっと研究を続けていたのだ。いつか愛する息子が大きくなるまでには、と。


「アレシュ、人生は一度きりだ。そしてその人生はとても価値ある大切なものだ。どんな人間も。自分の人生を、悔いなく生きろ」


「……うん。父さん」


 アレシュはしっかりとエアハルトの目を見て頷いた。


「ああっ、パンがびしゃびしゃじゃないですか!」


 そして二人はミレナから叱られた。




 ――三日後。施術の日がやってきた。前日から飲食を断って、アレシュは研究所の作業台の上に横たわった。


「アレシュ、これを」


 エアハルトは透明な液体の入ったカップをアレシュに差し出した。


「眠り薬だ。施術の痛みはこれで分からない。しかし、その後義肢が身体に馴染むまでの痛みは消せない。義肢も始めは思い通りには動かないだろう。本当にいいか?」


「うん。覚悟は出来てる。でも……眠るまで額に触れていて」


「ああ」


 薬の効果はすぐに現れた。エアハルトは意識を失いぐったりとしたアレシュを作業台の上に横たえた。


「さて、時間はあまりない」


 エアハルトは特製のペンでアレシュの身体に印を刻み始めた。複雑な文様が見る間に描かれ、アレシュの皮膚を染めていく。


 彼は迷いのない手さばきで作業を進めていく。魔方陣が完成するとアレシュの新しい手足を装着する。夏でもないのに、エアハルトは汗びっしょりになっていた。


「これで完成だ……」


 最後に、エアハルトはアレシュの肩を傷つけ血を出すと、魔方陣の中央に塗りつけた。一瞬文様が輝き、手足の方に向かってやがて消える。


「マスター」


 事の次第を見守っていたミレナが駆け寄る。


「これでアレシュは……」


「ああ。あとはこいつ次第だ」


 昼に始めた施術だったが、終わる頃には月が昇っていた。




***




「……ん」


 アレシュが目覚めたのは夜半だった。見慣れた天井で、ここが自室のベッドの上だと言うことが分かる。


「うううっ!」


 意識がハッキリした瞬間、猛烈な痛みがアレシュを襲った。


(まるで無数の針で刺されているみたいだ……!)


 手足を繋いだ部分を中心に鋭い痛みが走る。それだけではなく、頭もガンガンと殴られたように痛い。アレシュは脂汗をかきながら、ふうふうと荒い息を吐いた。


「……アレシュ? 目が覚めた?」


 暗がりの中からミレナの声がした。


「ミレナ……」


「痛いのね。待って下さい」


 ミレナはカップに何かを注いで飲ませてくれた。


「痛み止め。強いので、一日に二度までです」


「うん……うっ……」


「アレシュ……変わってあげたい」


 ホムンクルスは痛みを感じない。だからミレナには痛いという感覚はよく分からなかったけれど、苦しそうにしているアレシュの様子を見て、なんとか救いたいと思った。


「俺……頑張る」


 脂汗を浮かせながら、アレシュはもう付いているはずの手足を動かそうとした。しかし、生まれてから一度も手足を使ったことのないアレシュにはどうしたら動くのかよく分からない。動かない義肢が付いているせいで、今まで出来ていた寝返りや起き上がることも出来ないで居た。


 そんな痛みに苦しんでベッドで寝たままなのが三日。ようやく痛みが少し引き、ミレナの助けで起き上がることが出来るようになると、アレシュは指の一本を動かすことから始めた。


「ぐぐぐ……」


「精霊の固定には成功している。アレシュ、命じるんだ。動けって」


 エアハルトも仕事の合間はアレシュの部屋につきっきりになって、アレシュの訓練に付き合った。


「父さん、手足が使えるようになったら……一緒に街に行ってよ」


 アレシュは外に出たことがなかった。ゲオルグ以外のよその人と話したこともない。それで不便もなかったとは思っていたが本当は怖かったのだ。外の世界が。だけどこの手足があれば、知らない街を旅することもできる。


「いいよ。ウェルシーの魔道具店に行こう。書店にも。近くに美味い料理屋がある。そこにも行こう」


「うん!」


 その言葉を励みにアレシュは訓練を続けた。動かす度に激痛の走っていた手足で、物を掴み、廊下を何度も往復した。


 やがて細かい作業も出来るようになり、走ることも出来るようになった。魔素石膏で出来た義肢は、軽く丈夫でまるで本物の人間の皮膚のような弾力もある。


 アレシュは生まれた時からその身に備わっていたかのように、ついに義肢を自分のものにした。


「よくやったな、アレシュ」


 エアハルトが右手を差し出す。アレシュは誇らしい気持ちでその手を握り返した。


「ありがとう父さん」


 見上げるばかりだったエアハルトと視線が近くなった。成長に合わせて魔素石膏の手足を調整していけば、やがて追いつくだろう。


「父さんはすごいよ」


「お前が頑張ったんだ」


「今日から父さんの弟子になる。そして父さんみたいな錬金術師になる。それが俺の新しい夢だよ」


 アレシュとエアハルトは固く抱き合った。そうして輝かしい未来の道をともに歩もうと誓い合った。




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