後篇 どうして、そうなったのか

 私の名前は山寺ヤマデラ恵莉エリ、今日は西暦二〇四四年の七月六日。日本の元号という数え方がまだ続いているのなら、令和の二十六年ということになる。しかし、もう〝全て〟において意味などないようにも思う。


 名前。そんなものに意味も価値もない。この世界ではもう言語も瞳や肌の色も関係なく人間は二種類の差異で判断するしかない。それは性別でも幼いか老いさらばえたかという違いでもなく、魂が宿っているか空虚な亡骸かという違い。


「何か、書かれているのですか?」

義為ヨシタメさん、起きたんだ? ちょっと……日記をね」


 魂の有無うむ以外で人間を区分するなら、それは能力。私は〝あの日〟まだ十四歳で人を助ける能力など持たない中学生だった。木々の青い香りとカビの匂いの混じる廃屋で、放置されたままのベッドに横たわる義為ヨシタメさんは誰かを救う能力を持つ男性。いや、持っていたという過去形の方が正しい。今の彼は、死を待つ以外に何もできない。


「日記……ですか。私も昔はよく文章を執筆したものです」

「そういえば、そうだっけ。義為ヨシタメさんだったら万年筆とか……かな?」


 いえ、パソコンやスマートフォンを使っていましたと返す義為ヨシタメさんの声を聞いた私は「そういえば、そんな機械もあったな」と物悲しい気持ちになる。当時は、家族を亡くし途方に暮れていた私を助けてくれた頃は若々しくお洒落しゃれなサングラスをかけて髪を染めていた義為ヨシタメさんも、二十年が経った今は白髪が増えてきた。


「どうして……恵莉エリはまた日記を?」

「ちょうど二十年になるから、たまには……手記みたいなものも悪くないかなって」


 なるほど、と微笑ほほえんだ義為ヨシタメさんは壁のカレンダーに目をやる。彼にもう少し元気が残る状態だったなら「あの日にった分が無駄にならなかったようで光栄です」なんて笑っていたのかもしれない。



 戦争という事象に明確な〝始まり〟や、ある日いきなり「これが原因で起きた」という転機はあまりないらしい。義為ヨシタメさんが言っていた。多くの命が失われて、取り返しのつかない状況におちいっていくらか時間が経った後に「思えば、あの時にこの事件がなければ争いは発生しなかったのかもしれない」と学者達が過去を紐解ひもといていく。でも、相手が人間以外の何かで「防ぐことが出来なかった戦争」には、はっきりとしたスタートが存在した。


「二十年、ですか」

「そう、今日は七月六日」


 あの日、西暦二〇二四年の七月六日に地球は〝何か〟から侵略を受ける。考えてみるとそれは戦争ですらなく、一方的な蹂躙じゅうりん虐殺ぎゃくさつだった。映画やアニメで見てきたような巨大円盤えんばんや高い科学水準を思わせる兵器でもあれば、立ち向かう〝敵〟が可視化されることでまだ防衛も反撃も目標や方針を打ち出せたのかもしれない。実際はそうではなく、唐突に主要軍事施設が壊滅する。世界は、日本の他にも多くの国々は半日足らずで爪や牙の一切を剥奪はくだつされていた。


「そんなに、経つのですね」

「私は……まだそんなもんなのか、って気持ちかな」


 若いですからね恵莉エリは、と義為ヨシタメさんは再び微笑ほほえむ。若くはない、私はもう三十四歳だ。そうは言っても、あの日に日本や地球という世界が崩壊して、私の社会性もいちじるしくそこなわれ成長が止まってしまった。その点をかんがみるに、いつまでも歳不相応で未成熟なままの小娘を表現する意味では義為ヨシタメさんの言う若いという語句もうなずける。成人式などなく飲酒喫煙も未経験な私の姿を若いととらえることは、あながち間違っていないのかもしれない。


恵莉エリ、私は貴女あなたに一つ……頼み事がございます」

「言ってみて、想像はつくよ」


 命の恩人たっての依頼だ、断りたいけれど無碍むげにするのも気が引ける。二十年前のあの日から一週間経ち、一ヶ月経った私は騒乱に巻き込まれ天涯孤独の身となり、感染者から逃げまどう中で同じ境遇だった義為ヨシタメさんに命を救われた。そして、生活を共にしている。


「私は、もうダメです。それは分かりますね?」

「うん」


 義為ヨシタメさんは、感染している。あるいは、それは感染とは呼べず寄生や攻撃といった言葉が適切なのかもしれない。各国のちからが、まつりが、機能しなくなってしまった後に、次に連中は地球全土に〝何か〟をした。その頃はまだかろうじて発電所やインターネットがきてたから世界の国々の様子を小さな端末でうかがい知ることが可能で、それが余計に大きな絶望と無力感を私達にもたらす。連中の正体が何者で、どんな目的や動機から、いかなる手段でそれを実行したのか皆目かいもく見当けんとうがつかなくても〝何かをされた〟ということだけは分かる。


恵莉エリ……私が私でなくなってしまったら、燃やしてください」

「でもね義為ヨシタメさん、ここ数年の傾向けいこうを考えたら……大丈夫だとも思うの」


 大丈夫という言葉は、義為ヨシタメさんが人ならざる者になる結末を避けられるという意味ではなく「焼却する必要はないかもしれない」という気休めに過ぎなかった。空気や飛沫感染なのか、もしくは攻撃されて何かが寄生するのかは分からないけれど、感染者は怪物へと変貌へんぼうする。菌糸類のような、植物のような、得体の知れない何かが全身からえ始めて、知性や魂を失った瞳がドロリと腐り落ちて彷徨さまよう人々を何度も目にしてきた。


「大丈夫……とは? 詳しく教えていただけますか?」

「外でさ、私……感染者の観察もしてるから」


 感染者は人を襲う、怪物の仲間を増やそうとする、そんなことは私が知る限り二〇四〇年前後までの話だ。そうじゃないと、おいそれと観察なんかできない。さらに前か、もう何年も前の頃からだったか、とにかく怪物達は生者に攻撃することをやめた。元々は人として生まれたはずの彼ら彼女らは、まるで最初から植物だったかのように一つ所にとどまったまま静かに枝葉えだはや木々をらしながらうごめいている。


「なるほど、私が貴女あなたに危害をくわえる可能性は低い……と」

「多分だけどね」


 義為ヨシタメさんはどうして男性なのに一人称が私なのか、どうして一回りも年下の私に物腰が柔らかく紳士的な対応を崩さないのか、その理由は分からないけれど彼が私を心配してる様子だけは出会った日から変わらない。神妙しんみょうな面持ちの義為ヨシタメさんが苦しげに体を起こし、私は慌てて彼をベッドに押し付けた。


「外の……侵略の様子も、気になります」

「そっちも! 大丈夫だから、多分! 義為ヨシタメさんはじっとしてて!」


 侵略。

 

 見えない何かで最初の波を起こした連中が〝感染者〟を増加させる第三波の前に行使したと思われる干渉に、大型の植物が存在する。当時の義為ヨシタメさんはそれを第二ウェーブ、蔦縛侵略ボタニカル・キラーと名付けていた。その攻撃で、窓から見える風景は一面がアイビーグリーンに染まってしまった。

 コンクリートジャングルと呼ばれた私達の街にどこからか放たれた種子はまたたに成長をげて、この世のものとは、地球上の生物とは思えぬような、それはそれはたくましい速度で肥大化ひだいかして、私達の街をただのジャングルに作りえる。


「大丈夫、と……言いますと?」

「あのね……遅いの、成長。何年も前から、ずっと」


 植物も感染者も、その仕組みや対策を究明するにいたらないまま文明は蹂躙じゅうりんされた。近年その大元おおもととなる〝何か〟に人類が打ち勝ったのか、それとも連中が〝何か〟に飽きて地球を去ったのか、あるいは何らかの協定が結ばれたり方向性が変わったのか。その理由まで私が知り及ぶところではないけれど、少なくとも街の植物が〝常識的な〟育ち方に変化したことくらいは容易よういに見てとれる。


「それは、喜ばしい……何年……頃から、です?」

「待ってね、えーと……」


 カレンダーが役に立って嬉しいですとでも言いたげに、義為ヨシタメさんが静かに笑う。二十年前に彼と出会って間もない頃、まだきていた電子機器を使って二一〇〇年まで暦を確認できるようにとカレンダーを印刷してもらった。義為ヨシタメさんが「趣味で本を刷ったりもしているんですよ」と語っていた姿を、昨日のことのように思い出すことができる。


「なる、ほど。そうにらまないでください……私は、少し休みます」

にらんでないよ。ちょっと私……外に出てくるね」


 植物の成長速度はゆるやかなものだったけれど、義為ヨシタメさんの身体からえるものに関してはその限りではなかった。小さく芽吹めぶいた深緑や皮膚に置き換わるように指先や末端から生まれる菌糸類は、彼が活発に行動すると成長が促進そくしんされるかのように大型化していく。

 みるみるうちに増え、伸びていった植物は義為ヨシタメさんがじっとしていれば〝浸食速度〟が低下するように、私は感じた。だからこそ、なるべく動かないようにとうったえ続ける。



 最初に〝彼ら〟を目にした瞬間「ああ、私はここで死ぬのかな」と思った。


 二人組の浅黒く、それでいて真っ赤にも見える肌、ひたいの真横からはツノのような鋭い突起が生えている容姿に私は恐怖する。四本腕の左右後腕と言えばいいのか、とにかく肩から背面はいめんに向かって生える手の先には見るからに凶悪な銃器とおぼしき何かをたずさえていた。

 異星人とはあしの多い軟体生物のような姿か、灰または銀色で二腕二足の風貌ふうぼうを私は想像していて、いずれにせよ人間と似たサイズ感だとイメージしていたけれど、二人組は目測もくそくでのたけが三メートルと大柄だ。私の目線が彼らの〝腰〟くらいで、なので見たところ私の倍くらい身長が高い。何をしたのか一瞬で距離を詰めてきた二人組を前に、義為ヨシタメさんという男性だけを心残りに思いながら、私は〝死〟を覚悟する。もう、何もできない。


HalloハローHolaオラ、コンニチハ、你好ニィハオ안녕하세요アニョハセヨ……』


 二人組のうち一人、固そうなマスクから聞き慣れた単語が響いた。よく見ると、一つの頭に三つの目を持つ彼らは二人とも、赤い肌にじわりと透明な汗をにじませている。


「異星人も暑かったり、汗かいたり……するんですね」

 

 私の口からつむがれた最初の言葉は、人生初となる第三種接近遭遇の初回対話ファーストコンタクトは、そんな益体やくたいもとりとめもない内容だった。


『するさ、いやぁ……こう暑いとまいるね』

『お、言語は問題ないな。俺も分かるぜ? えーと、何て呼べばいいかな?』


 二人組は腰をかがめて私に目線を合わせる。ギョロリとした金色の瞳とは不釣り合いとも思える友好的な声に、何を返すべきか私は言葉を詰まらせた。


「なんで……植物を使って、侵略なんか……したんですか? 何をしたいんですか」


 言いよどみながら口をついて出た主張は、文句。私や地球が置かれている状況についての不平不満、異議と不服の申し立て。目的や原因の究明。


『オーケイ落ち着いてくれ、君は誤解ごかいをしているようだ』

『おい待てウミベ、お前が口を開くと話がややこしくなる。僕が説明しよう』


 聞くところによると、私達の世界をめちゃくちゃにした集団と目の前の二人組は別個体というか、勢力も種族も違っていたらしい。そして侵略を行った連中は滅んでいた。

 侵略者は奴らの生態に適した環境へ惑星を組みえ、まんして移住というタイミングで……生き残っていた地球人が原因で勝手に死に絶えた。どうやら人間は奴らにとって害のあるやまい保菌者ほきんしゃだったようで、人間と接触してしまった奴らの間で集団感染パンデミックが起こったという。そんな何十年も前の小説のような結末があってたまるかと納得がいかなかった私を、ウミベと呼ばれていた異星人がなだめてくる。


『さて、僕達の目的はというと……』


 二つの事実が確定した。もはや不快感しかない青々としげった木々は徐々に減ることと、義為ヨシタメさんのように感染してしまった人間を元の姿に戻す手立てだてはなく、焼き払うよりほかないということ。二人組が生態調査を行った末に、移住や植民地化といった措置をとるかどうかは保留とされているらしい。


『関係ないけどさ、君は哺乳類……だろ? 何を食べて生きてたの?』

山菜さんさい、で伝わりますかね。奴らが放った草木の中で山菜みたいな種類もあって、食べても死ななかったから……それしか食べられなかったから、んで暮らしていました」


 勝手に侵略してきて死んだ連中も、唐突に目の前に現れて好き勝手に述べる二人組も、勝手な奴ばかりだと私は辟易へきえきしてくる。私達が口に運んでいた植物が原因で義為ヨシタメさんが感染者になっただとか、私の身体から芽が出るのも時間の問題だとか、そんな話を今更いまさらされたところで知ったことではない。


「保護のお話は、お断りします」

『どうして? 脳を残して他を切除すれば、まだ生きれるっていうのに!』


 私には、最期さいごまで見守りたい人がいる。灰にさせることなど、ゆるさない。

 

 かつて地球と呼ばれた星、よこしまなる緑の惑星の生活は続く。


 いつか終焉を迎える、その日まで。

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