三十円のアルピニスト

日乃本 出(ひのもと いずる)

三十円のアルピニスト

 皆さんは、日本のアルピニストといえば、誰を思い浮かべるだろうか?


 まず筆頭にあがるのは野口健さんで、次点に三浦雄一郎さんといったところだろうか。


 確かに双方とも、経歴・実績共に申し分ない代表的なアルピニストといえるだろう。


 だが、僕がまず思い浮かべるアルピニストは、この二人のどちらでも無い。


 僕が思い浮かべるアルピニスト――。


 それは『こまや』というゲームメーカーによってリリースされた、『山登りゲーム』というゲームの操作キャラである。


 彼との出会いは、幼少期に母と連れ立って行った、デパートの屋上遊園地だった。


 ジャンケンマンフィーバーの横に鎮座する、緑色の威厳高き筐体。


 山登りゲームと記されたその筐体の盤面に「いくぞ!」という頼もしい掛け声とともに彼の勇姿が描かれていたのだった。


 初めは僕のきまぐれだった。


 当初のプレイ予定は、いつも死闘を演じていたジャンケンマンフィーバーだったのだが、なぜか彼の勇姿が目に付いた僕は、気まぐれにその山登りゲームをプレイしてみようかという気分になったのだ。


 山登りゲームの1プレイは三十円である。当時幼かった僕にとっては決して安くはないそのプレイ料金に、いささか緊張したものである。


 このゲームのルールは単純明快、「すすむ」ボタンと「もどる」ボタンを使って、60秒という制限時間内に、山の頂上までアルピニストを導くことにある。


 道中に様々な障害があり、それをタイミングよくボタンを押してかわしながら進めていくのだ。なお、道中失敗しても、制限時間内なら何度でもスタート地点からやり直すことができる。


 当時自分のやっていたゲームはボタンを一回押すだけで終わってしまうものばかりであったため、何度もボタンを押しても許されるというシステムを新鮮に感じたものだ。


 三十円を投入しゲームを始めると最初の関門が見えてくる。


 谷と谷を結ぶ丸太を渡るというものだが、タイミングよく渡らないと丸太が崩れて転落してしまうのだ。


 初っ端からとんでもない試練である。転落すればまず間違いなくアルピニストの命は無いだろう。


 その証拠に盤面に失敗したパターンとして、丸太から転落しているアルピニストの姿が描かれているのだが「たすけて……」というセリフと共に谷底へと落下していくという悲痛なものとなっている。


 そして、おそらく彼はそこで今後の波乱を悟ったのだろう。後に様々な試練が待ち受けているのだが、今後一切彼は弱音を吐くことがない。


 いや、正確に言えば「誰も助けてくれやしない」というのを悟ったというべきか? まあどちらにせよ、彼の運命はボタンとプレイヤーに委ねられているのだが。


 丸太を渡った先に待ち受けている次の試練。それはなんと「蜂」である。


 さっきの丸太に比べるとやけに矮小な気がするが、このハチもタイミングが悪ければ問答無用でスタート地点に戻されてしまう。


 蜂と谷底落下が同義とは思いたくは無いが、危険性で言えば蜂も結構なものでもある。


 この蜂がスズメバチだと仮定すれば、アナフィラキーショックによるショック死というのも考えられるからだ。


 だが盤面に描かれている蜂はミツバチだったりする。まあ恐らく数千匹単位で襲われているのだとしておこう。


 蜂の襲来をかわしながら進むと、次は蛇が襲ってくる。


 彼はどうやら蛇が苦手らしく、盤面にも「へびだ!」というセリフと共に驚愕している彼の姿が描かれている。


 蛇の危険度に関しては言うまでも無いだろう。咬まれれば死、だ。


 蛇に関しては特に言う事もないので、タイミングよく進んでいこう。出来るだけ早く蛇から遠ざかってあげないと、彼に申し訳が立たないというものだ。


 蜂・蛇と生物が二つ続いた先の試練、それは落石だ。


 この落石ゾーンでついにもどるボタンを使うときがやってくる。


 落石はランダムパターンで降ってくるため、落石のパターンを見極めながらゾーンを行ったりきたりする必要があるのだ。


 テンポよく、とはいかない。ちょっとした先読みと落石ギリギリをすり抜ける大胆さがプレイヤーに求められる。


 落石は常に落ちてくるのでゾーンの中には安全地帯というものがない。それゆえ一度ゾーンに入ったら的確な判断で落石をかわしていこう。


 落石を抜けると山の中腹へと辿り着く。盤面の「がんばるぞ!」と自分を励ます彼の姿が印象的だ。


 彼の鼓舞に応えるためにも、この先油断せず歩んで……いや、ボタンを押していかなければならない。


 登山もついに7合目へと向かう試練へ差し掛かっていく。


 その試練とは「ロープ登り」である。盤面の彼を見る限り、命綱は装着せず、持ってきた荷物を全て背負った状態でロープを登っているようだ。


 恐ろしい筋力といえるだろう。それでいて命綱をつけない豪胆さも賞賛に値すべきところだと思われる。


 しかし、その豪胆さが仇となってしまう。このロープは耐久性が芳しくなかったらしく、彼の荷物と彼の体重を支えるのに、いささか事足りなかったようだったのだ。


 そう、今回の試練はロープが切れる前に渡りきらなければならないというものである。


 そしてこのロープが山登りゲームの最難関ポイントでもあるのだ。


 ロープの先端でスタンバイし、ベストタイミングでボタンを叩き出し、迅速に登りきらなければならない。


 誇張でもなんでもなく、コンマレベルの戦いがここでは求められる。


 わずかでもタイミングがずれれば、一瞬でスタート地点へと強制送還だ。


 緊張の度合いが一気に高まる。一つ呼吸をおき、クールな精神を保ち、なおかつ山への熱い情念を込めてボタンを叩くことが肝要だろう。


 事実、ここで何度も僕は失敗し、辛酸を舐めた経験がある。だがここを超えた時の昂ぶりもひとしおだ。


 彼と心を一つにすることが突破の最たる糸口になるだろう。ボタンを押すのではなく、彼の背中を押すのだと心に念じる。


 その想いこそが、このロープ登りを突破する、唯一の力となるのだから。


 そうして到達した7合目。ここまで来れば山頂まではもうすぐだ。


 最後の試練は自然が相手となる、そう「雷」だ。


 普通のアルピニストならビバークが視野に入る究極の相手である。


 だが彼は物怖じなどしない。悪天候などものともせず、強行軍で山頂への道を歩んでいく。


 まあ、彼の場合60秒という時間制限があるのでそれも致し方なしといったところではあるのだが……。


 それを差し引いても、雷が発生している状態で山頂へのアタックを敢行するなど、常人では絶対に考えられないところだ。


 しかし、彼はそれでもアタックする。まるでそこに山があるから登るのだといわんばかりのこの姿勢に、感嘆の念を抱かざるを得ない。


 プレイヤーにできることは、彼を導くことだ。彼の望む、最高の栄誉と甘美なる達成感を謳歌するために。


 この雷を突破するために必要なものは、ただ一つ。それは「運」だ。


 なぜかというと、今までの試練はパターンなどが決まっているのだが、雷に関しては高速の当たり判定がランダムに降ってくるため、純粋に運で突破するしか方法が無いのだ。


 まさに、神に愛された者のみが山頂へと辿り着けると言っても過言ではないだろう。


 目を瞑り、心で念じながらボタンを叩く。


(通れっ!!)


 その念が神に通じた時、盤面には山頂へと到達し、「やったぞ!」と達成の声をあげる彼の姿が浮かび上がる。


 そして登山成功を祝う報酬が山登りゲームから排出される、期待と共にその報酬に目を向けると……。


 そこにはゲームメダルが三枚排出されているだけだった。


 僕が一瞬目を疑ったのは言うまでもないだろう。


 この山登りゲーム、難易度は実際かなり高い部類なのだ。


 それなのに三十円のペイに対してメダル三枚リターンというのはかなり理不尽だと言っていい。


 横にあるジャンケンマンフィーバーなら100円を入れると、11枚のメダルが返ってくるのだから。


 だが、少年時代の僕はそうは思わなかった。


 以降、母とデパートに来るときは必ず山登りゲームをプレイするようになったのだ。


 なぜかといわれれば、正直僕にもよくわからない。


 ただ無理やり理由づけをしようとするのなら、幼いながらも自分はなんとなくこの山登りゲーム、ひいてはゲーム内のアルピニストに敬意を表していたのではないかと思う。


 三十円という報酬だけで、困難だらけの文字通り「死の山」に果敢に何度もアタックする彼の姿に、人生においての「トライ&エラー」を見たのではないだろうか。


 そして大人になった今でも彼、つまりアルピニストの存在を忘れずに覚えていたということが、僕の幼い頃の想いを証明する、証拠なのかもしれない。


 僕は果たして、彼のような男になれているのだろうか。


 その答えは、これからの僕の生き方次第で決まることだろう。

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