黒人と白人、ならびに黄色人

島尾

人種について

 私が高速バスで暇を持て余しているとき、おもむろにスマホを取り出してマップアプリを開いた。東京行きだったのだが、まだ埼玉の大宮付近であって時刻も19時を回っておらず、到着予定時刻19時30分が早まる見込みはなかった。

 それにしても、東京の交通網はどういうことだろうか。マップアプリを開いて「マジかヤベぇな」と思ったのは、鉄道網の超絶な複雑さである。仙台に住む私は、鉄道がまあまあ発達している。しかし東京や、名古屋、大阪に比べたら屁のようなものだ。それが良いとは決して言わない。人類が脚を使わなくなることは、多分、何かしら危機であると信じているからだ。


 海外の交通事情はどうなっているのだろうか、と思ってマップをいじってみた。すると、ヨーロッパやアメリカ、ブラジルの都市部、中国などが鉄道網を発達させていた。が、アフリカは……………………


 そんなことをしていると、アフリカ大陸の地図を眺め始めた。暇で仕方なかったからこそこのような遊戯を嗜んだのである。私はケニアを眺め始めた。ケニアはもしかしたら交通網が発達しているかもしれないと思い立ったゆえに。しかし実際はそれほどでもなかった。

 ところで、インド料理屋やベトナム料理屋はそこらじゅうにある。しかしケニア料理屋というのはあるだろうか? 「アフリカ料理屋」は探せばあるかもしれないが、「ケニア」という一国に絞った料理屋はなかなかなさそうだと思い立った。そこでネットの出番である。私はケニア料理屋を検索した。


 あった。


 東京にあった。何もかもが首都に集まるのだろう。ケニア料理屋もまたそうだったようである。


 東京はごちゃごちゃして人が多すぎるし臭いし電波も安定しないし富裕層か富裕層気取りの野郎どもばかりだし、私は東京が嫌いである。よって私は「ケニア」に行くことにした。


 店内には、富裕層客かどうかは知らないが、明らかに年収200万以上はある輩たちで満席だった。私は「ここまで来て引き差がるのか?」と逡巡した。通りすがりの者が「うわ満席だ、やめよ」と言う中、私はわざわざ仙台からケニアに来て「うわ満席だ、やめよ」と言う訳にもいかなかった。何分か店の前でごぞごぞして待っていたら、おっさん一人が支払いを済ませてドアを開け退店。私はすかさず入店し、おっさんの使用済みの皿が片付けられてもいないのに席を陣取った。


 メニューを頼んでから40、いや50分、もしくは1時間経過したかもしれない。ケニア音楽と富裕層の高貴な会話、少しばかり店主らの会話。対して私は禅僧が修行をしているときのように固まり、ときおり店内の木彫りやアフリカチックな写真をしげしげと眺め、再び禅僧のように石になって待っていた。ちなみに20分くらい経ったときに「もう少しお待ちください、今魚を揚げていますので」とJapanese Manが報告しに来た。当然、肌の色は黄色……というか、私を含めた多くの純日本人の見慣れたクリーム色の劣化版のような「肌色」であった。

 とうとうメニューが到着。あえてその味は言わない。美味しかったとだけ書こう。わざわざケニアに行ってその料理を味わった記憶は私だけのものである。

 会計時、私は勇気を振り絞ってある一つの仕事をせねばならないと思っていた。それは、店員にmwanamke wa kenya(ンワナンケ ワ ケニヤ【スワヒリ語】;ケニア人の女性)がいて、彼女は黒人であり、勿論ながらケニア出身と推測され、「人生で初めて、はるか遠くの異国ケニアの人間と、現地の言語であるスワヒリ語でコミュニケーションをしたい、とりあえず料理の感想をスワヒリ語で述べたい」という思いが湧き上がった。勿論周りの富裕層はそんなことをしていなかった。私のような下手物(年収100万円以下、ダサイ服、ギョロ目、ぼっち、人の顔が見れない、いきなり来店して店員を困惑させたやもしれない)が、富裕層(丁寧、声が猫なで声で思いやりを感じる、年収500万はありそう、髪の毛サラサラな女、イケメン男、社会で活躍してそうな風貌、シュッとした服装)もやらないコミュニケーションをするというのは、心をハンマーで叩いて無理矢理勇気を出さねば実行できない行いだった。しかし先にも書いたようにわたしはわざわざ仙台から来た。特別な場所で特別なときを過ごすには、巨大な勇気を出す必要があった。


 であるから、私はGoogle翻訳で料理の感想を書き、mwanamke wa kenyaに見せた。すると彼女は「ん、ミエナイ」と言い、メガネを取りに行った。彼女は見た目30~40歳だと思っていたのに、実際はもっと年齢がいっていた可能性がある(60とか)。黄色が黒の年齢を推測するのが難しいという体験をしたことは、貴重なことである。


 彼女は、私のことを「なんだこの人」と思ったに違いない。普通このようなことをする客は来ないだろうし、彼女自身も普通客に会計後「おやすみなさーい」と外国人特有の陽気さを表明して客を見送っていた。私はそのルーティンを罪深くも粉砕しにかかる所業に打って出たわけであるから、彼女が「嫌な客やんこいつ」と思っても不思議はない。


 私はさまざまな障害を乗り越え何とかスワヒリ語で味を伝えることに成功した。


 ところでそのmwanamke wa kenyaは日本語がペラペラで、言語の観点においてはいちいちスワヒリ語で味を伝える必要などどこにもなかった。私が「柔らかかった」という意味のスワヒリ語をGoogleで伝えたからか、彼女も「この魚、柔らかいのよ」ということを言ってくれた。私は「はい、とても柔らかくてびっくりしました」というような感じで応じる。彼女は「ライスの上に乗ってたのはチーズじゃなくてココナッツね」と返す。私は「ああ、ドーナツにも乗ってるやつね」と返す。彼女はよく分からない顔をする。ミスドのココナッツチョコレートを知らないのだろう。私は「あの木彫りが本当に美しい」と言うと、彼女は「あれ毎月えてる。ケニアの木彫り。ライオンとか、ヒョウとか。写真にもあるように。子供はヒョウとチーターの見分けつかない、これヒョウね(店内に飾ってある写真を見ながらの会話)」と言う。私は「ライオンは分かりますけどね」と言う。彼女は「ライオンは簡単。ライオンキング、あれケニアのアニメですよ」といったようなことを言う。私はタイトルは知っていたが見たことはないので「は~ん」という適当な相槌を打つ。彼女も同じくそんなような相槌を打つ。

 この会話の間、彼女の目の形は穏やかであって、肌の色もRBGの黒ではなく、年期が入って良い具合に下地の白さが混ざった漆塗うるしぬり淡黒たんくろであり、正確に喩えるなら漆塗の仏像であった。今、永平寺の跋陀婆羅ばっだばら菩薩像(肌の色)、四国八十八か所霊場第十三番札所 大栗山花蔵院大日寺の十一面観音菩薩像(肌の色)、八葉山天台寺(岩手県二戸市)の十一面観音立像(目の穏やかさ)、四国八十八か所霊場 第三十一札所 五台山金色院竹林寺の善財童子像(雰囲気)、西国第十七番札所霊場 補陀洛ふだらく山六波羅蜜寺の運慶坐像(肌の色、目の形、気さくそうな雰囲気)、ゆずり明通みょうつう寺(福井県小浜市)の木造薬師如来坐像(表情の雰囲気)などなど。私は黒人に差別意識をもっていることを否定することができない。してはいけないと思っているが、それ自体が小さな差別である可能性がある。mwanamke wa kenyaと会話して3週間ほど経過した今、その小さな差別感情がまた顔を出している。それは「見たことのないものがいる」という感情で、よく言われるタイプのものである。しかしこのmwanamke wa kenyaと話している間、私は差別の感情がみごとに消滅していたと告白するほかない。私はmwanamke wa kenyaとの会話に時間を忘れて没頭し、横で客が飯を食べているのにもかかわらず無視し、彼女が店員であってもしかしたら迷惑をかけているかもしれないことをも忘却し、ただただmwanamke wa kenyaと純粋に会話を楽しんでいた。写真にはマラウイやウガンダで撮影されたものもあり、アフリカの民族について学びたい人も来店するという。また、スワヒリ語というのは最近作られた言葉であり、ケニア国内に存在する多くの部族の言葉はそれぞれに異なっているということを教えていただいた。スワヒリ語は異なる部族間でも通じ合えるように開発された言語だという。また、イギリスの植民地であった過去があるゆえに部族集団の境界線とは無関係のイギリスの都合による境界線が引かれて、それが現在のケニアの国境になっていることを教えて頂いた(これは高校で習ったことでもある)。また、ケニアは貿易の都市であり、アフリカの北と南のものがこの地で交わり合って様々な取引・交換が行われているという。また、首都ナイロビは東京のように高層ビルが立ち並ぶ一方で、田舎に行けば日本では絶対に野性にいないライオン、ヒョウ、ゾウ、サイなどの野生生物が闊歩していることや、シマウマやヌーの大群が押し寄せると大変だということ、それら動物の移動は6,7月に起こるということも教えてもらった。もちろん日本語で。しかも彼女に対して申し訳ないことに、ヌーについての情報を客(男性のケニア人、常連と思われる)に質問させてしまった。その客に対しても申し訳なく思う。

 ところでお店に関して、夜は混むが昼は空いているということだった。注文したい品が切れていたので、次回は昼を狙おうかと思う(電話予約も可能な店)。



 私は東京のとある駅から乗って沼津駅で降り、ネカフェで一夜を過ごした。

 次の日、静岡で駿河漆器を買い、京都で嵐山の落柿舎に赴いて良い時間を過ごした。そしてJR嵯峨嵐山駅まで鈍行ONLYで岡山駅にて降り、近くのネカフェで一夜を過ごした。

 次の日、岡山駅から津山駅を経て中国勝山駅に至り、そこからバスで蒜山高原という山奥の中の盆地の田舎に訪れた。


 私がなぜこの旅行をしたかというと、この岡山の蒜山というところで郷原ごうばら漆器を買うためである。しかし貧乏旅行ゆえに乗り物に払うカネが限られ、よって大量の時間がかかった。駿河漆器を買ったのは、ある意味で「序で」である。本当はそれだけを求めて旅したかったが、そんなことは貧乏人の言える言葉ではない。貧乏人はなるべくお金を使ってはいけない。東京ー岡山の間に静岡があるのだから、買いたいならこの旅で買うのが筋であった。

 中国勝山駅からバスで揺られて、深山みやまの緑を間近に見たり川のせせらぎを見たり田んぼで屈曲して作業する老婆を見たりしながら、とうとう目的のバス停まで到着した。そしてそこから4,5分歩いたところに工房があり、ついに目的地に到達したのである。あとはここで美しい郷原漆器を2,3買えば旅は完了することとなるはずだった。

 しかし、営業していなかった。お椀の一つもなかった。床に3足のクロックスや草履がやや乱雑に脱ぎ捨ててあった。嘘だろうと思って、あたり一帯を探したが、やはりそこが私の目指した工房に違いなかった。

 

 クロックスや草履の奥に、階段があった。絶対上ってはまずかった(それは他人の家にインターホンも鳴らさず入ることに等しい雰囲気だった)。だからそれを上ることを何度も躊躇した。しかし山奥の誰もいないようなところで躊躇するもの怪しいと思った。結果、私はその階段を上った。

 すると、すでに先に先客がいたようで、海外から来た人であった。白人の、ヨーロッパかアメリカから来たのかなと思った。バイヤーというものはこのような辺鄙な場所にも訪れるものなのかと思った。錦鯉を求めて新潟のコイだらけの池に入る外国人富裕層もいれば、一級品の包丁を求めて東京の町を練り歩く外国人富裕層もいる。仙台では玉虫塗という工芸品を求めて海外からバイヤーが来る。年収1億円、あるいは10億円の、(貧民たる私が)憎むべき存在といえなくもない。しかもそういう輩は大抵白、または黄色だ。なぜ黒がいないのか。


 そのwhite manは言った。「何の御用でしょうか」と。私は「漆器を買いにきたんですけど」と。white manは「今は売ってないです、7月13日にイベントをやるんですが」と。私は「そうですか」と言って、その場から退いた。


 何かがおかしいと気づいた。このwhite manは果たしてバイヤーなのか? 私と同様に漆器を買いに来た客なのか? いや、明らかに違う。シャツ一枚の姿のまま工房の奥から出てきて、私に用件は何かと問い、7月13日という具体的な日にちを言って、しかもイベントをと言った。彼はいったい何者だ?


 調べた。


 私は驚嘆した。RNC西日本放送の情報によれば、彼は郷原漆器の継承者を目指す者で、アメリカ人だという。曰く「継続したい、なくしてはいけない」。彼はUS.のOH.出身のディロング・デービッド氏である。動画を見れば分かるが、漆器を作っている。まさかの作り手だったのである。3日もかけてはるばる岡山の山奥まで来て白人の漆器職人に会うとは、まったく予想だにしなかった。しかもその前に黒人と話をした。私は黒と白に会ったのである。普段は黄色しか見ないつまらない日本に住む私、しかしこの旅では黒と白に会った。

 動画内で、デービッド氏はそこらへんにいそうなおばぁと共に漆器製作に取り組んでいる。そして彼は、伝統産業が消えることに寂しさを感じているという。この点は私も同様だ。何百年、ものによっては千年も受け継がれてきた漆器。それが、今や100均で済むようになった。だからといって漆器を無くしてよいのか……という点に関して私は大反対し、なんとしてでも続いてくれと願っている。いずれ消えて無くなるだろうが、今はそのときではないと思い続けている。

 このwhite manは、将来をやや憂いている。何十年後も郷原漆器が続くように、活動したいと仰っている。


 *


 黒は、私にケニアの一端を教えてくれた。白は、彼にとって外国である地の伝統を守ろうとしている。これのどこに人種差別があろうか。

 ところで、迷惑系youtuberなる者がいる。黄色、白、黒、その如何を問わず存在するゴキブリのような存在であり、美と対極のしゅうなる存在だ。また、今回の旅において、電車内で他の客を1㎜も気にすることなく自分のTOEICの点数が900点だと自慢し、さらに「900点じゃ足りないよぉ」とぶりっ子をかましながらスマホをいじっているクソ女がいた。東京駅からケニア料理店に入るまでの道中、路上でバカ騒ぎするしか能がない日本人の男や女もいた。このような者を見た時、必然と差別心が湧く。差別されるべき存在であり、改心させるべき者たちの集合だろう。おそらく、こういう者たちは日本の伝統の中にある美をまったく理解できない部類だろう。そして日本についてほとんど知りもしないくせに「日本は年金があてにならない。海外に行きたい」という浮ついた発想しかできない可哀想な人種だろう。ああ、関わりたくもない。


 日本国内に外国人がいることもあながち悪くない、むしろ良いと感じた旅であった。

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黒人と白人、ならびに黄色人 島尾 @shimaoshimao

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