アクアリウム ツナじゃが

 暗がりの中、唯一の光源は巨大な水槽のみ。

 紫色のライトを使っているようで、水槽の前に立つ彼女もその色に染まっている。

 二つ縛りにした長い黒髪も、白いワンピースにショートブーツも、全てが紫だ。


「へばりついて動かないねー」


 天井部分にくっついて動かない巨大なタコを、彼女は本当に楽しそうに眺めていた。

 動かないタコなんて見て、何が楽しいのか。

 タコよりも彼女を見ていると、それに気付いたらしい彼女が首を傾げた。


「夜くん? 私じゃなくてタコ見てよー」

「見てるよ」

「見てないよー。もう、ほんと私のこと好きなんだから」

「……」


 目を逸らすと、彼女は声を上げて笑い、俺の傍まで寄ってきて腕を絡ませてきた。最初こそ戸惑ったこの柔らかい温もりにももう慣れた。何だよと言えば、あのねと彼女は言う。


「私達の部屋にも、アクアリウム作っちゃう?」

「え?」

「ちっちゃいタコさんお迎えしようか。それで、どんなお家にしてあげようね。可愛いアクアリウムにしたいなー」

「……いや、タコって飼えるのか?」

「知らなーい」


◆◆◆


「たこ焼き食べたい」


 学校から帰り、着替えた夕陽はダイニングテーブルの自分の席に座ると、開口一番にそう言った。


「悪いな、今日はツナじゃがだ」

「今日じゃなくてもいいよ、明日食べる」


 夕陽曰く、彼の通う学校の近くで、最近たこ焼きの移動販売が来るそうで、存在は認識していても俺の作った弁当があるし、そもそもそこまで食べたいわけじゃないからこれまでスルーしていたようだ。

 だが、教室でそのたこ焼きを食べている奴が今日はいたらしく、それを目にしたら食べたくなってきたらしい。


「なら、明日の弁当は作らなくていいな。金はあるのか?」

「大丈夫、無駄遣いしてないし」


 それなら良かったと言って火を止める。しばらくそのままにして、味を染み込ませないと。

 ずっと立っていて疲れたから、夕陽の向かいの席に腰掛けると、お疲れ様と言われた。さんきゅ、とだけ返しておいた。今日も今日とで腹いっぱい食べてくれ。

 米ももうじき炊ける。副菜にツナとピーマンの醤油炒めを作ったから、足りるだろう。汁物は……フリーズドライのやつがあるし、それでどうにかしてもらおう。


「……そういやさ」


 背もたれに体重を掛けながら、口が勝手に動く。


「タコって、飼えるんだっけ?」

「タコを飼う? 何それ」


 彼がたこ焼きなんて言うから、思い出してしまった。

 いつぞやの、たわいもない話。

 結局タコなんて飼わなかった。生き物だって飼わなかった。彼女が俺の部屋に住むこともなかった。

 夕陽は頬に手を当て考えている。真面目に考えなくてもいい、単なる暇潰しなのだから。


「あんまり聞かないよね、タコを飼った話とか。できないか、難しいんじゃないかな」

「やっぱし、水族館じゃないと無理なのか」

「うーん。というか、飼った所でどうするの、食べるの?」

「え?」

「たこ焼き、美味しいし」

「……いや、食べない。飼うだけ」


 何でそんな発想になるんだ。飼うっつってんだろう。

 夕陽が心底不思議そうな顔で俺を見てくる。


「意味あるの、それ」

「……さあ」


 大きくなくてもいい。小さいタコを愛でてみたい。本気ではなかったけど、少しだけ考えた、二人の未来。

 きっと彼女はタコをそんな目で見ずに、タコを見ながらツナを食っていただろう。ツナ缶から直に。彼女はその食べ方を特に好んでいたから。

 たこ焼きのたこを抜いてツナを入れたものを作るのもアリだったかもしれない。もう何もかも遅いが、俺の料理を食べてくれる人もいるし、それくらいならまだ間に合うんじゃないだろうか。


「にいちゃん?」

「明日、ツナ焼き作るか」

「何それ」

「たこ焼きのたこ抜いてツナにしたやつ」

「……そこまでしなくていいよ。それにさ、にいちゃん、うちにたこ焼きのプレートないよ? その為だけに買うの?」

「……無理か」


 ここが大阪だったなら、家庭に一つはあっただろうに。

 ちょっとだけ悔しいから、明日の昼はスーパーでたこ焼きでも買うか。

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