第15話 氷菓子

「凄いな。夏に氷菓子を食べるのは、何年ぶりだろう」


 ディリクシーヤはわくわくと、メイドが氷室を開けるのを見守っていた。

 ひと抱えほどある正方形の氷室の扉が開くと、ひやりとした冷気が流れ落ちてくる。

 中には、あし付きのガラスの器に盛られた色鮮やかな氷の上に、繊細に蝶を模した細工の氷が乗っていた。


「なるほど、この蝶が溶けてしまうのだな。実に美しい!」


 マリー・ジュノーに彼女は敵だと吹き込まれたが、素直に礼を言い賛辞を送る人柄は、パティットには好ましく思われた。

 馬車まで来る間にも、ディリクシーヤはパティットや氷菓子に興味を示し、思いがけず話が弾んでしまった。

 すっかりふたりは打ち解けて、氷室から出される氷の芸術を同じように目をキラキラさせて見詰めていた。


「ん? ひとつっきりか?」

「ええ。夏の氷菓子は珍しく、ひとつしか手配出来ませんでしたの」

「それでは、わたしが全部頂くのは申し訳ないな。半分こしよう、パティット嬢」


 こういうところも思いやりがあって微笑ましい。


(これは、アリスクス様がお気に入るのも当然だわ)


 そんな風に思った。


「いえ、アリスクス様があなたに差し上げると仰ったので……」

「あ! 蝶が溶ける! 申し訳ないが蝶は貰ったぞ、パティット嬢!」


 メイドに差し出されたスプーンで、今にも傾きそうになっていた蝶をすくうとディリクシーヤは大きく口を開けてひと口で頬張った。口の中にみつの甘さと冷たさが広がって、先ほどのハニーティアよりも早くなくなった。


「ん~! 冷た~い! 美味~い!」


 その掛け値なしの感想に、パティット嬢は思わず口元を覆って上品に噴き出す。


「喜んでいただけて、よかったですわ」

「あっ、礼が後回しになってしまったな。パティット嬢、このような珍味をありがとうございます」

「どういたしまして」

「さあさあ、半分こしよう。グズグズしていては溶けてなくなってしまうぞ」


 メイドが差し出そうか迷っていたもう一本のスプーンをぺこりと礼をして受け取ると、彼女はパティットに半ば押しつける。


「ほら、早く。美味いぞ!」


 新緑色の瞳が、分かち合う喜びに明るく光っている。

 それは、独り占めの算段にくらく光るマリー・ジュノーの瞳とは大違いで、彼女はその純粋な好意を受け取ろうと思うのだった。


「ええ。それでは。半分こ、致しましょうね」


 庶民の使う言葉だが、ディリクシーヤの言う「半分こ」という響きがなんだか可愛らしくて、パティットは敢えて繰り返した。

 左右から、サクサクと食べ進める。


「初めて夏に氷菓子を食べましたわ。この冷たさ……なんとも言えませんわね」

「な! 暑さが吹き飛ぶようだ」

「なんのみつかしら」

「これは、樹液だな。早春の四週間しか取れない。千年みつばちとは違って、後味がふわっと甘い大人の味だ」

「ディリクシーヤ様、お詳しいのですね」

「甘いものは大好きだからな!」


 女子会よろしく話が弾む。

 こんなに思ったままを語らうのは初めてだった。令嬢同士の茶会では、揚げ足を取られぬように注意深く会話を交わす。


「わたくし……」

「ん?」

「わたくし、あなたが好きになりましたわ。ディリクシーヤ様」


 彼女がそれに応えようとしたとき、馬車の扉が蹴破られる勢いで開けられた。

 

「!?」


 黒装束の刺客しかくが、メリケンサックにのついたナックルナイフを振りかぶるのが、スローモーションで見えた。

 両の手のナックルナイフは、まるで別の生きもののようにうごめいて、どの角度からも的確にディリクシーヤを狙っている。

 ディリクシーヤは、咄嗟にパティットを突き飛ばした。広い馬車の両端に分かれ物理的にパティットは射程外になって、刺客はよりディリクシーヤに狙いを絞る。

 リュートは背中に背負しょっていて、防ぐものといったらエールの詰まった革袋のみ。運を天に任せる気持ちで彼女は革袋を掲げたが、最期さいごまでまぶたは閉じなかった。

 振り下ろされる。ナイフが。

 だが一瞬速く、刺客の右胸からレイピアのやいばが突き抜けてくる。


「ディリクシーヤ!!」


 アリスクスの大声が、馬車の中に木霊こだました。

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