第12話 真の友

 気が遠くなるような恥に、目の前が一瞬ホワイトアウトして足元がふらついた。


「大丈夫か、アリスクス」


 イズィリアスは、自分の言葉がアリスクスをそうさせたとも知らずに身を案じる。

 それが余計に、アリスクスを苛立たせた。

 

「だから、それは返しただろう。アリスクス。お前に恥をかかせたくなかったのだ……」


 申し訳なさそうな台詞が続いて、せめてもと彼は腹に力を入れて踏みとどまり、虚勢を張った。


「そなたは悪くない、ディリク。遠慮しているのだと思い込んだ、私のとがだ」


 ワイバーンのリュートを部屋のすみに置き、いさぎよくあやまちを認める様は、虚勢だとしても美しかった。

 彼女の態度で、イズィリアスも非礼に気付いて身を起こす。


「おお。すまない、アリスクス。そのようなつもりでは……」

「いえ、兄上。謝らないでください。久しぶりに顔を出してこのていたらくでは、申し訳ないのは私です。どうぞお楽に」

「そうか……では、手打ちにしよう」


 安堵して、イズィリアスは侍従に言った。


「椅子をこれに」


 来客用に用意されているものの中から、一番上等の椅子がさっと運ばれ、アリスクスは彼の正面に腰掛けた。


「音楽はもう楽しんだと言ったな、アリスクス」

「はい」

「では、語らおうではないか。三年ぶりだ。そなたの顔が見られて私は嬉しい」


 イズィリアスは、何年ぶりかを覚えていた。アリスクスに向ける柔らかな微笑みにも嘘がなくて、損得の勘定はない。

 アリスクスは、改めて自分が恥ずかしくなった。

 ディリクシーヤの声につられて、三年ぶりだというのに兄を見ていなかった自分が。

 咳払いをして誤魔化し、アリスクスは正面から兄を見る。とても三十八とは思えぬ、せいぜい二十にじゅうなかばの美しさだった。


「兄上、お元気でしたか」

「ああ。私には樫の木の強さはないが、柳のようにしなって細く長く生きたいと思っている。……アリスクス、そなたにはダイヤモンドの輝きがある」


 イズィリアスには世辞を言わない誠実さがあるのをよく知っている彼でさえ、驚いてしまう言葉だった。

 一瞬、言葉を失う。イズィリアスは続ける。


「背丈はいくつになったのだ」

「はい。百九十二になります」

「よくぞ伸びたものだ」


 兄が可笑しそうに笑うのを見て、アリスクスもつられて笑顔になる。


「忘れていませんよ、兄上。兄上とメイドたちが、幼い頃の私を『おちびさん』と呼んでいたことを」

「許せ。馬鹿にしていた訳ではない、愛でていたのだ」

「分かってはいますが。同年代の者より背丈が低いことを、悩んだものです」


 少し意地悪く言いつのる。


「参ったな。中身も大人になったものだ」

「ディリクの影響でしょうか。彼女が意地の悪い冗談を言うのが、うつってしまったようです」


 そう言うと、イズィリアスは意外そうな顔をした。


「意地の悪い冗談?」

「ええ。ディリクがよく言うでしょう」


 チラと彼女を見ると、唇の前に人差し指を一本立てていた。


「そうなのか? ディー」

「アリスクスはからかい甲斐があるので、つい悪い冗談を言ってしまいます」

「兄上には、言わないのですか?」

「彼女は小さな淑女レディだが」

「お上品なイズィリアス様と、アリスクスを一緒にしては罰が当たりますゆえ」

「どういう意味だ。私が下品だとでも?」


 笑顔のまま眼光だけを鋭くして毒を吐き合う彼らを見て、イズィリアスは嬉しそうだった。


「よかった」

「なにがですか? 兄上」

「そなたは第一王位継承者だ。そなたにものが申せる真の友が出来るだろうかと、案じていた」

「真の……友?」


 それは確かに聞き慣れない言葉だった。幼い頃から文武ともに家庭教師の英才教育で、学校などには通わない。友人とは、庶民の持つ感覚だと思っていた。


「そうだ。そなたらは真の友だ」

「友……」


 ディリクシーヤの方を見ると、顔中口にして笑っていた。

 真実の恋に至る道は遠いが、一歩近付いたような気がするアリスクスだった。

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