第10話 真実の恋
ちょうど午後のお茶の時間だ。アリスクスは胸を踊らせてディリクシーヤの訪れを待っていた。
望んで手に入らないもののない生活は、『わくわくする』という心の動きを
ディリクシーヤに会ってから、アリスクスは心の
それは、単純に言ってしまえば『楽しい』という感情だった。一緒に居て楽しい。惹かれていくのに、それ以上の理由がいるだろうか。
ひとり悦に入っていたら、生け垣がカサリと音を立てた。
「ディリクか?」
「アリスクス」
彼女はまた、フードを被ってやってきた。
「先ほどの式典、素晴らしかった」
「ありがとう」
昨日の畏まった態度が嘘のように、彼女は無邪気に喜んでいた。
(そうか。公式の場で馴れ馴れしくすることを、ディリクは恐れているのだな)
アリスクスはそう納得し、同じように笑顔を見せた。
テーブルには、アリスクスの前とディリクシーヤの前に、ティーカップが一脚ずつ。
「ディリクの分の紅茶は飲んでおいた。エールを注いで飲むといい」
「気が利くな。それでは、飲ませて貰う」
彼女は嬉しいとき、顔中を口にして笑う。お上品な令嬢たちの微笑みより、よほど好ましいとアリスクスは思うのだった。
「特に最後の冒険譚が素晴らしかった。どうしたらあのように、見たきたように歌えるのだ?」
「それは」
ディリクシーヤは新緑色の瞳を上向けて、考える。
「想像力だ。芸術には何ごとも想像力が必要だ。音楽にも、物語にも、絵画にも」
「なるほど。確かに」
「芸術に興味があるのか? なら真実の恋をするといい。恋の相手を思いやる想像力は、どんな芸術にも勝る」
「真実の恋、か」
今までは無縁の言葉だった。令嬢たちとする恋は、駆け引きであり火遊びだったから。
ディクシーヤは短い人差し指をピンと立てる。
「寝所でする、あのような恋ではないぞ。あれは恋とは言わない」
(そうだった。ディリクと初めて会ったのは、寝所でだった)
あのときはなんとも思っていなかったが、今は顔から火が出る思いだった。咳払いをしてごまかす。
「うるさい。分かっている」
「顔が赤いぞ、アリスクス。安心した。お前にも羞恥心というものがあるのだな」
いつものように意地悪く笑う。
こんな風にアリスクスをからかう者も、ディリクシーヤだけだった。彼女との会話はなにもかもが新鮮で、退屈ということを知らない。
「真実の恋とは、どのようなものだ?」
「それはだな」
小さな肩をいからせて、ディリクシーヤは得意げに講釈する。
自然に出た質問だった。彼女はそれを知っているような気がして。
「心と心の結び付きだ。肉欲が悪いものだとは言わないが、そればかりの結び付きは真実の恋とは言わない。身体で結ばれなくとも、真の心の結び付きは、得がたくとても尊いものだ」
まだ好奇心のおう盛なローティーンの頃、家庭教師にして答えられなかった質問を、彼女にもしてみる。
「では、恋と愛の違いとはなんだろう」
「恋とは、熱病のようなものだ。相手に焦がれてはいるが、同時に『恋』という自分の気持ちにも焦がれている。どちらかと言えば自分本位だ」
「では、愛とは」
「愛とは、恋の先にある大団円だ。惜しみなく与えることが全てで、自分のことはかえりみない。相手本意の気持ちで、イコール真実の恋と言える」
彼女は迷うことなくスラスラと言葉を紡ぐ。やはり、彼女は知っているのだろうか。真実の恋、すなわち真の愛を。
「それも、想像力か?」
「そうだ。たくさんの恋の歌を知っている。楽士はそれを自分のものとしなくては、歌うことは出来ない」
「……本当にそうだろうか」
「ん?」
思わず考えが小さく声に出てしまい、アリスクスは慌てる。
「あ、いや。なんでもない。芸術家の想像力とは、かように豊かなものなのだな」
「凄いだろう」
ふふんと鼻を鳴らして、ディリクシーヤは真っ平らな胸を張る。
「もう一度聞かせてはくれないか。先ほどの冒険譚を」
「ああ。いいぞ」
彼女の指がいつものシンプルな白いリュートをつま弾くのを、アリスクスは熱に浮かされたように見詰めていた。
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