第9話 血は争えない

 翌日は、戦勝四十年の記念式典だった。今まで全く興味がなかったから、侍従が一日のスケジュールを朝、伝えに来て知っていた。


(なるほど。それでは昨日、忙しかったのは道理だ。そう思うことにしよう)


 最上段に国王ダイロシスが玉座にかけ、一段下にアリスクスが座る。

 第一王子イズィリアスはほとんど部屋から出たことがなく、式典などにも参列することはなかった。アリスクスはもう数年、会っていない。

 三ダースほどの楽士たちは、左右に分かれて座している。

 だがアリスクスは、すぐにディリクシーヤの焼き菓子色の巻き毛を見付けた。

 国王や来賓の挨拶の合間に、音楽が奏でられる。国歌もあった。

 今まで式典など暇で暇で仕方がなかったが、そのオーケストラの中から彼女の音を拾って聴き分ける作業は楽しかった。


(先日は私の十九じゅうくの誕生日式典だった。ディリクは、その頃から居たのだろうか。彼女の音楽を懐かしいと感じるのは、以前聴いたことがあるからだろうか)


「……以上のことを踏まえ、みな共に平和に尽力しよう」


 とどこおりなく式典は進み、国王の言葉で式典は終わるかに思われた。


「では最後に、宮廷楽士による歌をお楽しみ頂きたい。さきの大戦の教訓を忘れぬよう、作らせた歌だ」


 演奏が始まる。多少退屈に感じ始めていたアリスクスの目は、一気に覚めた。

 ディリクシーヤが歌い始めたからだ。

 広い玉座の間にも、彼女の少年のような少女のようなハスキーボイスは朗々と響き渡った。


 暗灰の王と

 七人の勇者たちの物語


 そう始まった吟詠ぎんえいは、短かったが暗灰の王の偉大さと、仲間の勇者たちの活躍をえがいた生き生きとしたものだった。

 散りばめられたエピソードは、目の前で肖像画が動くようにも感じられるほど、持ち得ないはずの当時の記憶を呼び起こさせた。

 最後はディリクシーヤのリュートだけになり、演奏は静かに終わる。ピン、と最後の音を弦が弾いて余韻が消えた。

 真っ先に拍手をしたのは、アリスクスだった。自然と豪奢ごうしゃな椅子から立ち上がる。

 次期国王のスタンディングオベーションに、会場に居並ぶ者たちも次々と立ち上がる。最終的に、座っているのは国王ダイロシスだけになった。


「素晴らしい」


 アリスクスがひと言べると、ディリクシーヤは立ち上がって小さく礼をする。こうして戦勝四十年記念式典は幕を閉じた。


    *    *    *


「父上」


 昨日と同じ手順で、アリスクスは半ば強引にダイロシスの私室に押し入った。だがそこには、羽ペンを持ち執務に励むダイロシスしか居なかった。

 ディリクシーヤのことは気になるが、いきなりその話を持ち出すのは得策ではないだろう。彼女との噂は、ダイロシスの耳にも届いているはずだ。


「素晴らしい式典でした」

「ああ。いずれそなたが主宰することになる。興味がわいたのなら、これからも学びに来るといい」


 それは、ディリクシーヤの仕事を知ることにも繋がる。


「ええ。是非」


 いささか唐突だったが、アリスクスはもう我慢出来なかった。


「ところで父上」

「うむ」

「今まで式典に詩吟しぎんが入ることはありませんでしたが、素晴らしい演出でした」

「ああ……」


 ダイロシスは書類から顔を上げ、暗灰色の瞳で彼を見た。


「あれは、楽士からの提案だ。以前作らせた歌だが、公式に演奏されることはなかった。それでは勿体ないと申してな」

「書物でさきの大戦のことは学びましたが、あれほど真に迫った追体験ついたいけんを味わうことはありませんでした」

「そなたからそのような感想が聞けるとは、楽士も喜ぶだろう。伝えておく」

「いえ」


 さり気なさをよそおうとして、アリスクスは失敗していた。いつになく強い声音が出てしまう。


「とても素晴らしかった。是非、直接褒美ほうびを取らせたいと思います。このあと薔薇園のテラスで待つと、お伝え願えますか」


 その言葉を聞いたダイロシスは、実に奇妙な表情をした。どこか、痛ましいものを見るような。そして、小さく独りごつのだった。


「血は争えないな」

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