第5話 物語

「本当に美味しそうに飲むのだな」


 ティーカップにエールを注ぎ、そのお上品なサイズの量をひと息に飲んでしまいプハッと息を吐くディリクシーヤに、アリスクスは見惚れていた。

 『飲みっぷりがいい』形容するならば、そんな単純な感情だろう。


「昼間から飲むエールは美味い」


 そんな自堕落じだらくな台詞を吐くくせに、少し機嫌がよくなっただけでちっとも酔ってはいないようだった。


「他に好きなものは?」

「歌とリュートが好きだ」

「それは知っている。その他には?」

「そうだなあ」


 新緑色の眼球がくるりと回って考えた。


「恋物語に冒険譚ぼうけんたん。わたしは歌を作るから、様々なことを体験するのが好きだ」

「ほう。自作もするのだな」

「わたしばかりが話すのは公平じゃない。アリスクスは?」

「ん?」


 不意にベクトルが自分に向いて、彼は少し驚いた。


「アリスクスの好きなものは、なんだ?」


(私の好きなものは……なんだろう)


 思わず、紅茶に映る自分と視線を合わせて考え込んでしまう。そうして、好きなものを訊かれたのは初めてのような気がしてハッとした。

 押しかけてくる令嬢たちは、自分の好みを押しつけてばかりだ。そう考えると、なんだか彼女をより好ましく思うのだった。

 黙り込むアリスクスに、好奇心いっぱいにディリクシーヤはもう一度訊く。


「好きなものがないのか? それともいっぱいで、どれを言おうか迷っているのか?」

「そうだな……ぱっと思い付くものがない」

「好きな食べものは?」

「た、べ……もの」

「食べものは知ってるだろう?」


 急にカタコトになるアリスクスに、少し意地悪なところのある彼女はよく笑う。


「うん……毎日メニューが決まっているからな。考えたことがなかった」

「王族も大変だな。わたしは好きなときに好きなものを食う。じゃあ、好きな色は?」

「色か……それは、私の目の色だな」

「目?」


 ディリクシーヤがよく見ようと身を乗り出して、顔と顔の距離がグッと縮まった。


「アイスブルーだな!」


 心臓の病いでもあるまいに。アリスクスは、味わったことのない鼓動の高鳴りを覚えていた。まるで、それこそ恋物語に出てくる初恋の心地のように。


「あ……ああ。うん」

「なんでだ?」

「え?」

「なんでアイスブルーが好きなんだ?」


 だが彼女は次々と質問を重ねて、考える暇を与えない。


「母上が」

「うん」


 子ども心に、自分を生んですぐに亡くなった母親のことには、触れてはいけないと思っていた。

 だがディリクシーヤには話してしまうのを、彼はどこか俯瞰ふかんで不思議に眺めている。

 

「私と同じような、アイスブルーの瞳をしているのを、肖像画で知った。から」

「そうか。男はまず母親に恋をするという。悪いことではないと思うぞ」


 また少しカタコトになったが、今度は彼女はからかわなかった。そして、ガラス細工のテーブルの表面に、指を走らせる。


「なにをしている?」

「メモしてるんだ。思いついた歌詞を」

「私のことを歌にするのか?」

「分からない。でも歌のタネは必ずこうやって覚えておくんだ」

「楽士の考えることは面白いな」


 短い指先を目で追う。だが不思議と、なんと書いているかは分からなかった。

 エールを好きだと言っているし、上流階級の使う文字とは違うのかもしれない。そう思ったが、それは言葉にしなかった。

 いつしかアリスクスは、ディリクシーヤを、ひとりの淑女として扱うようになっていた。

 不意に、リュートの音色が弾ける。


 男とはまず

 母に恋をするという

 アイスブルーの瞳の乙女が

 生み落としし王子もまた

 まず母に恋をした

 ありし日のアイスブルー

 王子はその色を忘れない


 少年とも少女ともつかぬ独特のハスキーボイスが、自分のことを歌っている。


「……こんな物語はどうだ?」


 得意そうな笑顔に、鼓動が騒ぐ。

 即興で紡がれた歌だが、間近で奏でられる旋律は身体に響いてとても魅力的に思われて、彼女が確かに宮廷楽士の実力を持つのだと思い知る。

 アリスクスは「どうだ」と訊かれて律儀に答えようとしていたが、ディリクシーヤは賛辞など求めてはいないようで、自由奔放にテーブルを離れ庭園の白薔薇の香りを楽しみだした。


「王妃様がお好きだった」

「そうだ。母上は白薔薇を好んでいた」

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