第4話 エール

 次の日からアリスクスは、通ってきていた女性たちばかりか、メイドからも後ろ指を差されるようになっていた。

 「楽士」「子ども」そんな単語が聞き取れた。だがアリスクスは気にしない。

 自分は第二王子だが、いずれ王位を継ぐだろう。自他共にそう認めていた。

 なにをしてもいいとは思わないが、噂のひとつやふたつ、言わせておけばいい。そんな風に思っていた。

 そして例の庭園のテラスで、今日もディリクシーヤを待つ。

 彼女はいい匂いのしそうな焼き菓子色の巻き毛を、ローブのフードで隠してやってきた。


「おはよう、ディリク」

「おはよう、アリスクス」

「なんで今日はフードを被っているんだ?」

「用心してるんだ」

「用心? なににだ?」


 その純粋な質問に、ディリクシーヤはふっと目元で微笑んだ。なんだか疲れているように見えて、アリスクスは心配になる。


「大丈夫か?」

「それこそ、なにが『大丈夫』なんだ?」

「ディリクが……悲しそうだ。噂が辛いなら、私が否定して回るが」

「無駄だ。一度ついた尾ひれは斬り落とせない」


 きっぱりと言い切って、ディリクシーヤはくるりと表情を一転させた。


「それで? 今日はなにが聴きたいんだ?」

「今日は、話がしたい」


 メイドが熱い紅茶を淹れて持ってきた。彼女が下がるのを待ってから、口を開く。


「なんの話を? ……あち!」

「ねこ舌か?」

「ひとがやけとをしてるのに、なんれそんらにうれしそうなんら」

「ディリクのことをひとつ知れたのが、嬉しいんだ」

「うぁー……」


 ディリクシーヤはしばらく舌を出していたが、よだれが垂れそうになって渋々しまう。

 城内にも下働きや見習いメイドで子どもは居たが、彼女は宮廷楽士という地位にも関わらず、誰よりも奔放だ。

 それを見て、アリスクスは声なく笑った。


「それで? なんの話だ? 王族の話し相手も仕事のひとつだ、なんの話題がいい?」


 そう言うとアリスクスは、まるで彼の方が子どもみたいにふくれっ面をした。

 

「ディリクは、仕事で私の話し相手をしているのか?」


 その下唇を突き出す様と整った紅顔があまりにも似合わなくて、今度はディリクシーヤが声を上げて笑った。


「悪かった。だからそんな顔するな」

「ひとの顔で笑い過ぎだ」

「分かった。だからよせって」


 ガラス細工のテーブルに、突っ伏して肩を震わせる。

 涙さえにじませて笑う顔を見て、アリスクスは満足したように微笑んだ。


「今日はそなたのことが聞きたい、ディリク」

「ふっくくく……え? なんだって?」

「だから。そなたのことが聞きたい。ねこ舌なのは分かった。今度から茶は、気持ちぬるめに淹れさせよう」

「はぁ……」


 思いのほかツボに入ったらしく、ディリクシーヤはようやく身を起こして息をついて涙を拭う。

 その顔を、アリスクスは足を組んで満足げに眺めていた。


「紅茶の銘柄はなにが好きだ?」

「う~ん……本当は、紅茶はあまり好きではない」

「なに。他に好きな飲み物が?」

「わたしは、エールが一番好きだ」


 アリスクスの涼しいアイスブルーの瞳が点になる。


「エール……とは、あの庶民の酒か?」

「ああ」

「それは……」


 言いかけて、至極真っ当な質問がポンと出る。


「ディリクはいくつだ?」


 大きな目を少し意地悪そうに半顔にして、ディリクシーヤはうろんな流し目で笑う。


「女性に年齢を訊くのは失礼だって教わらなかったか?」

「庶民は子どもの頃から酒を飲むのか?」

「ああ。水は腐るけど酒は腐らないからな。割と子どもの頃から飲むぞ」

「そうか。ではこれから、ディリクにはエールを用意させよう」

「その必要はない」

「何故だ?」

「わたしの水筒には、エールが詰まっているからだ」


 彼女はにしし、、、と歯を見せた。肩掛けにしていた水筒を持ち上げる。身長の割に大きな革袋で、アンバランスに見えていた品だ。

 そのなんとも嬉しそうな笑みにつられて、アリスクスも上品に口元に拳を当てて口角を上げた。


「そうか。では許すから、今飲んでもよいぞ」

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