第3話 噂
「アリスクス様……」
望みが薄い分、誰よりも早く彼をデートに誘いに来るパティットは、いつもとは違う景色に困惑した。
色とりどりの薔薇の咲く庭園のテラスで、彼はひとりの子どもと向かい合って座っていた。
女性ではない。子どもだ。
パティットは何度も目をこすって、確認した。確かに子どもだ。
百九十センチを超す長身のアリスクスと並ぶと、まさに『大人と子ども』だった。
子どもとは他でもないディリクシーヤだ。
リュートをつま弾き古代竜と姫の恋物語を吟じる彼女の声をうっとりと聴きながら、お茶を飲んでいる。
(わたくしとは、一度もお茶会をしてくださったことはないのに……)
垣根の陰に隠れて様子をうかがうパティットの後ろで、マリー・ジュノーがファッションで入れた金歯で歯がみした。
「音楽が趣味だなんて聞いてないわ」
「昨日の楽士よ。てっきり処分されるのだと思ったのに」
その後ろではドリシアが地団駄を踏む。
「どういうことよ」
マリー・ジュノーがドリシアから半ば無理矢理聞き出して、三人は状況を一部理解した。
このあとにもたくさんの令嬢が来るだろう。
肝の据わったマリー・ジュノーが、音楽が途切れるやいなや
あとのふたりもおずおずと続く。
「ごきげんよう、ツヴァルト。今日はお子様のお相手? 無償奉仕かお役目かしら」
「悪いが」
つゆほども悪いと思っていない調子で言う。
「彼女はディリクシーヤ。宮廷楽士だ。彼女の音楽は豊かで、退屈しない。あなたたちとの火遊びには少々飽きていたところだ。しばらくは誰ともデートしないから、そのつもりで」
ディリクシーヤは、立ち上がっても低い身長でぺこりと頭を下げる。
「あの、でもっ」
一番の弱者だと思われていたパティットが、思わぬところで反論した。
「アリスクス様、お茶を飲んでおいでだわ。音楽のお邪魔はしないから、お茶会はいかがかしら?」
「私はディリクシーヤと話をしたいんだ」
「まっ。そんなチンクシャの何処がそんなにお気に入ったのかしら。あなた、どんな手を使ったの?」
ドリシアの言葉尻に噛み付くように、アリスクスが少々大きな声を出した。
「たぁしかに!」
彼が大声を出すところなど誰も聞いたことがなく、みな驚きに身がすくむ。
「ディリクはチンクシャだ」
「誰がチンクシャだ」
「チンクシャのチンチクリンだ」
「誰がチンチクリンだ」
「チンクシャのチンチクリンの寸詰まりだ」
「だから誰が寸詰まりだ!」
丁寧なツッコミには耳を貸さず、上等なティーカップを音もなく上品にソーサーに戻す。そのあと令嬢たちの方を見て、指を一本突き出し宣言した。
「だが、それを言っていいのは私だけだ! 今後ディリクに弓引くものは、このアリスクス・ツヴァルト・リーリンターテ・バイルデンに弓を引いたものと見なす!」
そこまできっぱり言われては、女性たちは身を引かざるを得なかった。
女性の噂は矢よりも早い。その日のうちに大きな尾ひれをつけて、未来の王妃の座を狙う女性たちに広まった。
「……いいのか?」
「なにがだ?」
「きっと、変な噂が立つ」
「変なとは?」
「アリスクスが……」
言いよどむと、アリスクスはすらりと長い足を組んで顎で促す。
「子どもに熱を上げているって」
「構わない」
「まだアリスクスは若い。人間が、少数派に対してどれだけ残虐になれるか分かっていないんだ」
彼は可笑しそうに笑う。
「俺が? 若い? ディリクよりは年上のつもりだが?」
ディリクはなにも言わずに腰掛けた。
形ばかりふたり分淹れられた冷めた紅茶で喉を潤して、リュートのネックを握りしめた。
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