第7話 贈りもの

 バイルデン国は五つの山と十二の河川をいただき、東は海にも接する肥沃ひよくな大地だ。さきの大戦はちょうど四十年前に終わり以後は平和で、数日後に記念式典が控えている。

 アリスクスは一晩、悶々として過ごした。

 第一王子のイズィリアスはアリスクスとは歳の離れた三十八歳で本来ならば男盛りの年齢だったが、生まれたときから身体が弱く、次の国王がアリスクスだというのは暗黙の了解だった。

 王宮にあって恐いもののない王子だったが、唯一逆らえない相手が国王ダイロシスだ。

 なにかを、誰かをこれほど欲しいと思ったのは初めてだった。

 一晩中悩んだが、そこから先の行動は早く、あくる日には女性たちを百人ほどはべらせパーティを開いていた。

 中でも毎日通う三人は、特別にアリスクスと同じテーブルで紅茶をたしなむ。


「アリスクス様、わたくし二十歳の誕生日までに、アリスクス様とお茶をご一緒するのが夢でしたの」

「パティット嬢、光栄だ」


 パティットはよほど嬉しいのか、先ほどからアリスクスが聞いても聞いていなくても、しきりに喜びをあふれさせている。


「ツヴァルトからのお招き、嬉しいわ。大急ぎでばあやたちにお茶菓子を焼かせたの。皆さんの分もありますのよ」

「マリー・ジュノー様、お心遣い痛み入る。とても美味しい」


 百人が食べても余りあるマドレーヌは、早朝どころか深夜から焼かねば追いつかないだろう。アリスクスはマリー・ジュノーのメイドたちに同情した。


「アリス! パーティにはダンスがつきものよ。ダンスに誘ってはくださらない?」


(これはこれは……)


 寝所で積極的なのは気に入ったところだったが、本来男性から誘うのがマナーのダンスにまでこの口の利きようとは。ドリシアをめとる男性は苦労するだろう、と密かに呆れる。

 だがそんなものは鉄壁の笑顔で上手に隠して、アリスクスは立ち上がると手の平を差し出して甘く囁いた。


「踊っていただけますか? ドリシア嬢」


 彼の一挙手一投足に注目していた女性たちは、その甘美な響きにため息をついた。

 羨望のまなざしを一身に受けて踊るドリシアは、ひどく誇らしげだった。

 音楽を奏でるのは、様々な楽器を携えた一ダースの宮廷楽士たち。

 だが、ちょっと耳のいいものならば気が付いたかもしれない。楽器の花形、リュート奏者が居ないことを。

 ドリシアと踊りながら、アリスクスは待っていた。かのひとを。


(ディリク……!)


 ドリシアの顔は一切見ず、王宮の方ばかり気にしていた彼は、いち早く彼女を見付ける。

 小柄な影が近付いてくると、打ち合わせ通り侍従が彼女を楽士たちの中央の席に案内した。

 ダンス音楽としてスタンダードなものを演奏させていたから、すぐに主旋律にリュートが加わる。


(ああ、ディリクの音だ)


 深く、豊かな弦の響き。この音を聴くとアリスクスは、出会ったときに彼女に告げたように、とても懐かしく『母の胎内に戻ったかのような』安心感を覚えるのだった。

 アリスクスにとってもドリシアにとっても至福の時間が過ぎ、ふたりは身を分かつと互いに一礼をした。


「お集まりの皆様にも」


 ドリシアはアリスクスの言葉に従って、彼と並んで居並ぶ令嬢たちにも優雅に一礼をする。

 令嬢たちの嫉妬の炎がどす黒く渦巻くのが見えるようだったが、そうまでされては無視する訳にもいかず、参加者からはパラパラとまばらな拍手が上がった。


「アリス、素敵なダンスだったわ」

「ああ。ありがとう」


 おざなりに礼を言うと、アリスクスは一目散にディリクシーヤの元へ向かった。


「ディリク」


 彼女はまたフードを被っていた。焼き菓子色の巻き毛も好ましく思っていたから、少し残念だと思う。


「アリスクス」


 その手にはいつものシンプルなリュートではなく、黒っぽい装飾のリュートがあった。

 疑いもなく笑いかける。


「喜んで貰えただろうか。聖木のボディとワイバーンのひげで出来た珍しいリュートだ。ディリクの音がより豊潤に聞こえたぞ」


 だが彼女は、そのリュートをそのまま彼に差し出す。ひざを折り、捧げ持って。


「有り難き幸せ」

「畏まることはないと申したであろう。私の力を持ってすれば、これくらいのこと……」


 ある意味王子であるアリスクスは、ひとの目に鈍感だった。衆人環視の中、いかに贈りものが素晴らしいか語り出す。


「ですが」


 だがディリクシーヤの少年のような声が、ぴしゃりとそれをはね付けた。


些末さまつなる我が身には、勿体のうございます」

「私が許すと言っているのだ。そなたの技量にふさわしい……」

「ご厚意への謝意として一曲演奏させていただきましたが、こちらはお返し致します」

「なにを……」


 アリスクスにとっては、純粋な疑問だった。


「なにを言っているのだ? 遠慮する必要はないのだぞ」


 だが彼女は顔を上げない。明るい新緑色の瞳が見られないことも、残念だと思った。

 

「ひらに。ご容赦を」


 懇願するような声音が震えているのに気が付いて、彼女が「用心する」と言っていたのを思い出す。


(そうか。例の噂か)


 そう納得して、彼は贈りものの返品に応じて受け取った。すぐに侍従に渡す。


「そなたは謙虚だな。実るほどこうべを垂れるとは、そなたのためにあるような言葉で……」

「申し訳ございません。国王様がお呼びでございます。わたくしは、国王様付きの楽士でございますれば」


 ――プツッ。


 そそくさと去って行く後ろ姿に、笑顔のまま、アリスクスの中のなにかが切れた。

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