第36話

「多分、『コトリバコ』だったんでしょうね」


 カリヤの営む人形店『ローズドール』の裏、備え付けられている仮眠室は病室代わりにもなっている。いくつか並んだベッドに腰掛けて、スマートフォンの画面を見せながら彼女は言った。そこには怪談の類がまとめられたホームページが写っている。


「「コトリバコ?」」


 同じくベッドに体を預けたミズエとオドロが口を揃えた。ついでに小さなテーブルの上に乗った鏡に映ったミズエも首を傾げた。


「なんでも、赤子の遺体をいくつも入れることでできる呪物だそうで、周囲の女子供を呪い殺すんだそうです。おお、こわいこわい」


 冗談めかして言ったコトブキだが、カリヤの診察によるとこの中で一番の重傷だった。クロカミサマを常に身に宿しているミズエよりも呪いの耐性がなく、内臓に傷が多かった。

 幸運にもオドロやユカリが懸念していたようなことは起こらず、彼女は鏡の中の世界の住人になることはなくカリヤの治療を受けて快方に向かっている。

 ミズエも痛覚がないのでその重大性がわからなかったが、とてもではないが軽傷とは言えない傷を負っていた。

 ちなみにだがミズエは既に死んでいてキョンシーの身なので通常の病院にはかかれない。コトブキは養父や学校にあまり言いたくないので病院には行きたがらなかった。


「なるほど、結構有名な怪談なんだな」


「そうっすね、ゲームとか映画とかにもよく出てくるらしいです。僕も知ってはいたんすけど、舞草さんが無事だったんで無意識に可能性から除外してたんですよね」


 ちなみにだが、コトリバコが突然力を強めたのはその中に新しい赤子の死体が入れられたからだとユカリは考察している。

 絵梨花から聞いた話だと、コトリバコの呪いによって死んだ舞草家の人間の中に、一人だけ妊婦がいたらしい。そしてその妊婦は、あの謎の手形がついていた棺に入っていたのだという。そしてその赤子はもうすぐ産まれてくるほどの大きさの胎児で、性別もわかっていて既に名前も決まっていたらしい。その名前が「桃子」だったのだと言う。

 結局母親ごと赤子は死に、次々と死んでいく女達に恐れをなした男達は舞草家から去った。残ったのは絵梨花だけ、という寸法だ。

 ここからは完全に状況からの推理だが、棺が運び込まれた際にあの下半身のない怪異がその腹から赤子の死体を取り上げ、コトリバコに入れてその呪いを増強したとすると完全に繋がる。

 あと一つ謎があるとするならば。


「どうして女子供を殺す呪いに満ちたあの屋敷で、絵梨花だけがなんともなかったのか、だな」




「よくやってくれたのです、キジマ」


 ソファに深く腰掛けて茜色の和傘をくるくると回しながら、カラカサは言った。キジマの隣には、兵庫県から一緒に来た絵梨花がいる。カラカサを前にして完全に萎縮しているが、傷などは一つもない。


「初めまして、舞草絵梨花さん。わたくしはカラカサ。どうぞこれからよろしく」


「よろしく……お願いします……」


 絵梨花はあからさまに胡散臭い笑みを浮かべるカラカサを警戒しており、キジマの背に半ば隠れている。


「何にせよ、あなたはあの呪いの箱に深く関わっていたのですから、何か後遺症が出ないかこちらで観察させていただくのです。アマベ、舞草さんはこれからアマベの家にお世話になる、ということで合ってますね?」


 アマベは頷く。普段の仰々しい言葉遣いは封印されていた。理由は、「絵梨花ちゃんの前では恥ずかしいから」だそうだ。


「それでは、キジマも舞草さんも毎日ここに来るのですよ」


「ま、毎日ですか⁉︎」


「……」


「ええ、毎日です。必ず」


 カラカサの横暴な物言いに、絵梨花は思わず声を荒げた。助けを求めるようにキジマをを見上げる。しかし、キジマはカラカサに逆らったら体の内側から激痛が走る体だ。

 ふと、そこでキジマは気がついた。常に腹の中にある違和感が、今はない。もしかして、と絵梨花を見た。もしかして、絵梨花が側にいるからだろうか、と。

 あの屋敷でもそうだった。絵梨花がすぐ隣にいる時、あんな総毛立つ悍ましい呪いの気配に満ちた空間に居ながらも、体が楽だったのだ。

 ふと頭を過った考えに、キジマはきつく拳を握った。爪が掌に食い込んで、血が流れるまで。

 彼女の側だと楽だから、一緒にいてくれたらいいなんて。


「利己的にも、程があるやろ……」


 キジマの血を吐くような呟きは隣の絵梨花にも届かなかったようで、彼女は首を傾げた。




「ああ、本当に予想以上、期待以上の結果です」


 夜も更けた深夜の事務所で、カラカサは小さく呟く。眠たげに目を擦ったイバラが「何が?」と問う。


「舞草さんですよ。元々、あのアマベの血縁者の家という事で目はつけていたんですけど、まさかあんな掘り出し物があるだなんて」


 カラカサは何かを招き寄せる。彼女の傘の影から、ずるりと人型の何かが這い出した。肉のない骨ばかりの腕に、皮膚が腐り落ちかけているかんばせ。そして、下半身がない。

 それは、舞草家の蔵で梁にぶら下がっていた怪異に他ならなかった。

 カラカサは妖艶に微笑む。同時に悪辣さと醜悪さを含んだ、美しい笑みだ。


「世にも珍しい得意体質。呪いの類が視認できず、その代わりにどんな呪いも寄せ付けない……そして、その清廉さは周囲にも影響を及ぼす」


 そこで、イバラも同じように微笑んだ。


「なるほど、絵梨花を取り込んだのは、キジマのためなんだぁ」


「ふふ、実験の一環ですよ。あれの孵化のために、キジマにはできるだけ生きていてもらいたいので。勿論、屍肉からも育ち産まれるのかも興味はありますが、ね」


「性格悪いねぇ、カラカサ」


 にんまりと口角を釣り上げたイバラに、カラカサも弧を描いた口の形を作った。


「これも、我らが悲願のため。わたくし達の大事な人達のために……大事だった人達のために、忌々しいこの世界を変えましょう」


 カラカサは立ち上がり、傘をくるりと回しながら着物の袖をふわりと舞わせる。屋内だというのに、まるで柔らかな風でも吹いているようだ。

 彼女は夢想する。少女のように、恋する乙女のように。

 自分の目の前には愛しい人がいて、彼女は彼のすぐ側で傘をさしている。柔らかく温かい光に包まれて、彼ははにかむ。彼女ははしたないからと叫び出してしまいそうなほどに幸福に浸りきった笑みを抑え、その代わりにぎこちない笑みを返した。

 まだ、彼には素直に愛を囁けない。夢想の中ですら、そうだった。

 だから、代わりに彼の名前を呟く。愛おしい、しかしどこか哀しい響きを帯びて。


「……慧さん」

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光なき明日へと 凪野 織永 @1924Ww

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