第7話 大団円
交換殺人が、
「成功しない」
という理由の一つに、そもそもの、交換殺人の意義というものがある。
というのは、
「一番の容疑者、恨みが深い、あるいは、被害者が死ぬことで、誰が得をするかということの一番の人間に、アリバイを作っておく」
というのが、その本質である。
だから、実行犯が犯罪を犯している間、教唆の人間は、どこかアリバイを作っておく必要があるということだ。
もっといえば、
「同時に犯罪を犯すことはできない」
ということであろう。
つまりは、これが、
「交換殺人というものを、不可能ならしめる理由なのである」
といえる。
どういうことなのかというと、
「もし、自分が、誰かを殺したい」
ということになると、
「誰かに殺してもらったとする」
そして、その代償として、
「今度は自分が相手も殺してほしい相手を殺す」
というのが、交換殺人だ。
しかし、冷静になって考えると、これは、おかしいのではないか?
「どちらが先に殺すということが一番の問題になる」
ということであり、
「もし、相手が先に自分が殺してほしい人を殺してくれたとすれば、俺は、本当に今度は、その人のために、縁もゆかりもない人を殺す必要があるということなのだろうか?」
ということになる。
「待てよ?」
と感じるのではないだろうか?
というのは、
「自分が何も危険を犯す必要はないのだ」
何と言っても、自分が死んでほしい相手は、すでにこの世にはいない。
しかも、その時の自分のアリバイは完璧ということではないか。
もし相手が、
「俺がお前のために殺したということを警察にいうぞ」
といって、誰が信じるというのか、警察に出頭したが最後、彼は捕まるのは当然のことである。
言っていることに辻褄が合っていれば、当然、少なくとも実行犯としては捕まることになる。
しかも、自分が摘発しようとする、教唆の相手に対しては、
「鉄壁のアリバイ」
を作っているではないか。
アリバイがある以上、いくら実行犯が何を言おうとも、その事実を覆すことができないかぎり、警察は動かない。
そもそも、
「警察には、看破できないだろう」
という鉄壁のアリバイを作っているのだから、それを一人の人間の証言、しかも、実行犯ということで、明らかな犯人がいうことなど、誰が信じるというものか。
つまりは、
「交換殺人というのは、最初に誰かを殺したら最後、今まで同等の間柄であった二人の関係は、まったく一変するというものだ」
実行犯は、もう一人の相手に、奴隷のごとくしたがうしかなくなり、それが、
「交換殺人」
というのもは、
「小説やドラマではあるが、実際の話では聴いたことがない」
ということになるだろう。
「小説であっても、うまくやらないと、話は辻褄が合わなかったり、面白くなかったりするということになるだろう」
それが、交換殺人の本質というものではないだろうか?
あとは、比較された、
「密室殺人」
というものであるが、これに関しても、
「本来なら、密室殺人なるものは、ないならないでいい」
といえるのではないだろうか?
密室殺人というのは
「捜査のかく乱」
ということでは、意味があるかも知れないが、何も密室にすることなどないのだ。
というのは、これも交換殺人と同じで、
「完全犯罪を行うなら、密室にしない方がいい」
といえるのではないだろうか。
つまり、犯罪というものは、考え方として、
「殺人事件があり、そこに、犯人を誰か別の人にでっちあげ、いろいろな犯行の功績を残しておく方が、警察をミスリードするということであれば、そちらの方がよほどうまくいく」
ということになるだろう。
警察というものは、
「通り一遍の捜査しかしない」
ということなのだ。
犯行の証拠があからさまであっても、心の中では、
「罠ではないか?」
と思ったとしても、最初は、
「事実に基づいて捜査をする」
ということになるだろう、
ということは、
「下手に密室などにしてしまうと、事実として出ていることとの辻褄が合わなくなり、せっかくの細かい下準備が、成功しない可能性がでてくる」
ということを考えると、
「警察は、却って、せっかく作ったアリバイを疑うことになり、最初の計画が狂う」
というのだ。
つまり、
「二兎を追うもの一兎も得ず」
ということになるのである。
「犯罪計画において、余計なことをすると、脚がつく」
ということになるのであろう。
「交換殺人」
と、
「密室トリック」
というものは、それぞれに、難しいところがあるが、これを組み合わせると、面白い話になるということは、ある意味証明されたといってもいいかもしれない。
ただ、これを、足柄は証明しようとは思わなかった。
小説を書いてはみたが、発表しなかった。
それというのは、
「自費出版系の、詐欺集団」
というものの存在を知ったことと、
「今は、どういう小説のブームではない」
ということだ、
「交換殺人と、密室トリックの発想」
というものと、
「耽美主義」
という考え方は、実に
「逆説」
という考え方をすることで、
「本格派小説」
であっても、
「変格派小説」
であっても、そのどちらにスポットライトを当てるかということで、まったく違った、その代わり、
「距離のよって」
なのか、それとも、
「角度によって」
なのかということが分かってくるような気がしてならなかった。
このような状況において、
「果たして、足柄が、どんな小説を書いたというのか?」
ということを考えると、その小説の内容を、次回作にて、発表するように作者が考えているということを示しておこう。
この話で描いたことがすべて、作品に織り込まれているかどうかは難しいところで、
「ひょっとすると、無意識にこみあげてくるものではないかも知れない」
ということを想像するのではないだろうか?
それを考えると、足柄が、
「なぜ。この小説の発表をやめたか?」
ということが分かってくるというものである。
読者諸君には、とりあえず、
「乞うご期待」
ということで、締めることをご容赦いただきたい。
( 完 )
小説の書かれる時(前編) 森本 晃次 @kakku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます