六 町奉行所の始末承諾

 翌日。

 神無月(十月)十日。快晴の朝五ツ(午前八時)前。

 石田は北町奉行所の門前で、与力の藤堂八郎の出仕を待った。

「石田さん。開門しました。中でお待ち下さい」

 門番は丁寧に石田に話した。

「はい。御言葉、有り難う存じます。ここでお待ちします」


 昨年春。

 石田と仲間たちは、町方と特使探索方に協力し、隅田村の世話人の弥助を斬殺した下手人、新大坂町のお堀端にある廻船問屋吉田屋吉次郎一味を捕縛した。以来、石田は北町奉行所でも一目置かれる存在となった。

 だが、当の石田は人の噂や羨望の眼差しをいっこうに気にせず、何処吹く風と受け流し、常に定常心だ。



 与力の藤堂八郎が北町奉行所の門前に現われた。

「お早うございます。いつも御役目、御苦労様です」

「如何なされた。まあ、中にお入り下さい」

 藤堂八郎に導かれ、石田は藤堂八郎の詰所に入った。

「これは隅田村の卵でござる。昨日、産んだ故、食べて下さい。

 なんなら、私が御新造様に御渡ししておきましょうか」

 石田は、昨夕、隅田村の衆から渡された鶏卵の入った手籠を、藤堂八郎に見せた。

 藤堂八郎に、まだ正妻はいない。側室が日本橋元大工町二丁目の長屋に居る。長屋までは北町奉行所から五町ほどの道のり、歩いて四半時しはんときたらずだ。側室は近々正妻になると石田は聞いている。


「そうしてもらえると助かります。

 御内儀さんにも卵を渡したのですか」

「はい、小夜と幸右衛門さんにも渡してあります。

 今日はまた、始末の件で報告と許可をお願いに伺いました」

 石田は、石田屋幸右衛門から渡された花代取り立て証文を藤堂八郎に見せた。

「清太郎の未払いが三十両とはな。山科屋清兵衛も嘆くだろう。

 始末を許可する。花代取り立て承諾証文をしたためる故、しばし待たれよ」

 藤堂八郎はその場で、花代取り立て承諾証文をしたためて捺印した。


「いつもながら、ありがとうございまする」

「なあに、気にするな。私と八重、加賀屋菊之助と御内儀の義妹の佐恵が健在にしていられるのは、石田さんたちや特使探索方の皆さんの御陰です。

 ところで、石田さんの御内儀さんは健在ですか」

「はい。健在です。

 数日前、小夜が清太郎について、花魁からつかぬ事を耳にしまして」

 石田は小夜が語った事を藤堂八郎に説明した。



「然らば、何処の賭場か分からぬのですか」

「はい」

「報告はしかと承りました。新たに何か聞いたら知らせて下さい」

「心得ました。では、これにて、卵を届けて隅田村へ帰ります」

「山科屋へは行かぬのですか」

「隅田村の仲間と始末を打ち合せますので」

「分かりました。では、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 石田は藤堂八郎に挨拶して北町奉行所を辞去した。


 石田は、日本橋元大工町二丁目の長屋に暮す、藤堂八郎の側室の八重に鶏卵を届け、燐家に暮す大工八吉の娘、八重の亡き父源助と親しかった麻に挨拶して長屋を出た。ついでに隣町の日本橋呉服町二丁目の呉服問屋山科屋の前を歩き、「せいたろう」と呼ばれて答える男を確認した。清太郎は痩せこけた青白い小男で賭場を襲うようには思えなかった。

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