人魚と内緒話
長月瓦礫
人魚と内緒話
エメラルドの人魚が牙を見せて笑う。
ドレスみたいなヒレ、宝石みたいな瞳、波のようにうねる髪、誰もが美しいと口をそろえる。ステージで響く歌声に涙を流す。
潮煙水族館、最大の目玉は太平洋沖で保護された人魚だ。
上半身は人間の女、下半身は魚の怪物だ。
視力はかなり弱く、ほとんど何も見えていない。
それでも、声の調子や音の反響などで様子は分かるらしい。
頭は決して悪くない。人語を解する程度には、脳みそは回る。
人間に危害が及ばないように、専門家である退魔師の俺が呼ばれ、彼女を見張ることになった。
イルカ用のバカデカい水槽にたった一人、客を観察したり、泳いだり、アジを食べたりしている。客からの貢ぎ物を好き勝手に飾りつけ、水槽は彼女の部屋と化している。
こんなワケの分からない生物のために水槽を増やそうと思ったな。
彼女は水槽を独り占めし、ゆうゆうと泳いでいる。
飼育員曰く、隣人であるイルカたちから嫌われているようだ。
人気を横取りされて腹が立っているのか、異形を前にして何かを感じ取っているのか。いずれにせよ、それはまちがっていないと思う。
これはバケモノだ。俺はそう断言する。
客がいなくなった後、人魚を小型のプールに移し、水槽の水を抜き、飼育員が掃除を始める。人魚はプールのふちに手をかけ、人のやることなすことを観察している。
俺は隣で体調などを記録している。
「これの何がいいの?」と思いながら「これいいね」と褒める矛盾が美徳とされる。
義務教育から始まる地獄、こんなだから正直者は馬鹿にされるんだ。
「掃除、今日もありがとうございます~」
客の話す様子を見ているからか、日本語を変に覚えてしまった。
意思疎通ができてしまう。非常に気持ち悪い。
彼女は飼育員に笑顔で手を振る。彼らも笑顔で手を振り返す。
水族館の職員との仲は良好、ガチで恋をしている奴もいるという話も聞いた。
客も職員も虜にし、この水族館を裏で牛耳っているようにしか見えない。
本人はそんなことすら思っていない。楽しいからここにいるだけだ。
こんな人魚のどこがいいのか、俺にはさっぱり分からない。
というか、何で人魚が令和の水族館にいるんだよ。
いや、平成の水族館にもいなかったけどさあ……何がしたいんだ、マジで。
「あなた、本当に顔に出ますよね~。そんなに私が嫌いですか?」
日本語ではなく、人魚独自の言語で話しかける。
こういうところが本当に憎たらしい。
「好きか嫌いかで言ったら嫌いです」
「正直者ですね! 私は嫌いじゃないですよ!」
飼育員の話もちゃんと聞いているし、反抗的な態度は見られない。
爪切りや歯磨きを嫌がるが、これは想定内だ。
少なくとも、敵意は感じられない。かなり従順だ。
「食事もできているし、睡眠も足りている。
客の印象も悪くないし、ステージの評価も上々。
ここの生活がよほど楽しいみたいですね」
健康状態はかなりよくなっている。
展示物として考えると、それは悪くないことだ。
彼女は嬉しそうに笑っている。
「分かりますか? 野良人魚をやめて正解だったみたいです」
「自分のことを野良猫みたいに言わないでください」
「でも、そうでしょう? 野生の生活は厳しいです。
それが嫌だったから、マグロ漁船の網に引っかかったんですよ」
太平洋沖でマグロ漁船の網に人魚が引っ掛かった。
下半身が魚の女の人が引っ掛かったもんだから、船はパニックに陥った。
漁船はすぐに港に戻り、人魚は保護された。
その後、市民権を取得し、この水族館に住むことを許された。
正直、悪質だと思う。自由になるために、まったく関係ない人たちに迷惑をかけた。
彼女は自分のことしか考えていない。
路地裏で人間をカツアゲしているバケモノと同じだ。
「あなたは自分を何だと思っているんですか?」
「自由になることがそんなにいけないことですか?」
何かがストンと落ちたと同時に、もぞもぞと這い上がる。
なんてグロテスクな世界なんだろう。
自分の価値観に合わないから、そう言っているだけなのに。
だから、俺は彼女を一ミリも理解できないんだ。
「今日は終わりです。なんかあったら呼んでください」
「はーい」
彼女は掃除の終わった水槽に飛び込んでいった。
人魚と内緒話 長月瓦礫 @debrisbottle00
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