Day31 またね
家を出たのは朝早かったのに、夕方に向かう日の色になっている。虫の声と風と日差しと緑がうるさく生きていたけど、その中に立つ男は静かだった。熊と同じ。諦めの静けさ。助けてと騒がしい俺は、たぶん諦めてないんだ。失敗しても、他人を傷つけても、どうしようもなくても、俺はまだどうにかしたいって思ってる。
笑ってしまった。しかも、自分だけじゃない。この男もあの熊もどうにかしたくて話をし、手を出したのだと気づいて。助けだなんて言えない、なんとなくの行動で。本当に笑ってしまう。だから男を誘った。
「ソーダ水のみに行こう。今度は俺が奢るから」
だって、片目の見返りみたいなもんなんだろ。そんなんで奢られてもゾッとする。
「俺が払えるものってあるかな? 体以外で」
「ははは。人間の金でいいだろ。金を持ってないから別なもんで払ってるだけよ」
楽しそうに口を開けて笑う男は、静けさが薄れた気がして嬉しくなる。それがなくならないように、急いで財布を取ってきて喫茶店へ向かった。いつか男を案内するのに道を覚えようと顔を上げて周りを見る。田舎の一本道は背の高い草に覆われた耕作放棄地が続いて代わり映えしない。
「一人じゃ難しいぞ」
「一本道だろ」
「さっきの道と同じよ。人間一人じゃ難しい」
「えぇ……、行けないのか」
「そうなりゃアンタの家でスイカでも食うさ」
「それでもいいけど」
うん。どこに出かけたって、楽しいことが少しでもあればいいんだ。諦めない理由が自分の外にあったっていい。俺は本当にぜんぜん足りないから、ひとまず理由があるだけで十分だ。
喫茶店にはカニがいた。カニしかみたことないんだけど、ここの客はカニだけなのか。そういえばカニはお金持ってるのか、持ってなかったら何で払ってるのか気になって聞いてみた。
「お金もってるよー。川に落ちてるから。ないときは金の粒。こっちもたまに拾うんだ」
「砂金?」
「さきん、てなに?」
え、知らないの? 水と魚肉ソーセージのかけらだけでしょ。砂金だけで永遠に食べれそうだけど。もしかしてマスターぼったくってない?
マスターを見たらすごい笑顔で見返された。
「自分と関係ない決まり事に首をつっこむのは感心しませんね」
やっぱぼったくってる、絶対。干物だってたくさん持ってったらしいし。
「干物は」
「あれは助けた対価です。おすそ分けしたでしょう?」
「あー、友達が食べたけど不味いって言ってたよ」
何の話? てか、自分で自分を食べたの?
「琥珀糖ですよ。寒天みたいでしたから」
え、俺に出したやつ? 食べてないけど、人になに出してんの?
「人間の反応を知りたかったんですけどねぇ、いやしい男がいたもので」
涼しく微笑むマスターはほんの少しも悪びれない。ところで、もしかして、そのあと俺が食べた「クラッカーは……?」
「ああ、ふふっ。……ふふ、このソーダ水はただのソーダ水ですよ」
それっきり黙った。
ねえ、なにそれ? 気になるんだけど。ソーダ水がただのソーダ水でよかったけど、クラッカーは?
そのあといくら聞いても口の端で笑うだけだった。消化不良のままソーダ水を飲み終わったら、氷までぜんぶ食べた男が席を立った。俺も立ってマスターにいくらか聞く。マスターはチラと男を見てから俺に向き直って金額をつげた。ホテルのラウンジみたいな値段設定で、ぎりぎりぼったくりと言えないような、ような。なんか悔しい。でも、高い。これからは気軽にこれないな。
「肩にいる毛玉でもいいですよ」
「や、これ貰いものだから」
急いで体を離して断った。何かに混ぜて食わされるなんて絶対やだ。抜け毛だぞ。
帰るのに玄関ドアを開けたらドアベルが鳴る。「またねー」とカニが屈託ない声で言い、俺も「またね」と返した。今まで込めたことない気持ちを込めて真っすぐに。俺にも男にもカニにも熊にも、「また」があるといい。
なにかそういうものなんだろう、たぶん ~文披31題 三葉さけ @zounoiru
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