第19話 千花は七彩湯の真実を知る

 わたしがイスに座ると、グローリアさんは四本足を器用に折って座って、ゆっくりと話し出した。

「あの男の魔法のせいで、わたしはずっと本当のことを話せないようにされていたの」

「時々口に変な力が入ってたから、気になってたんです」

「鋭いわね、千花。そういうあなただから、あの男を撃退げきたいできたんだわ」

「いえ、茶々が大活躍でした! お守り入りのお湯が、あの人に効くことに気づいてくれたのも茶々だし、茶々に言われてクロユリにお守りをかけたら、きれいな青色のユリになったんですよ!」

 茶々が誇らしげに胸を張ると、グローリアさんは「クロユリッ!」と驚きの声を上げた。そして何度かうなずいてから、わたしの方に向き直った。

「二人一緒にがんばってくれたのね。ありがとう。巻き込んでしまったからには、今日までのことを全部話したいの。長くなるんだけど、聞けるかしら?」

「もちろんです。話せることなら話してください」

「それじゃあ、話すわね。わたしは元々、この町から南下したところにある大平原で、草木の力を借りて、生き物を癒す仕事をしていたの。自分で言うのもなんだけれど評判は良かったわ。みんなが笑顔で帰っていくと、それだけでわたしも幸せだった」

 グローリアさんは一度黙って、天井の草原を見上げた。

「そんなある日、あの男がやって来たの。わたしの癒しの力を、お風呂屋という形にしないかって。もう感激だったわ。湯治治療にずっと憧れていたから、それが実現するなんて、夢が叶うも同然だもの。あの男は、わたしの仕事ぶりに心を打たれたから、無償で手伝うと言ったの。その時のわたしは舞い上がって、頭が働いていなくて、彼の話をそのまま信じてしまったの。それでこの山奥に七彩湯を構えることになった。それが六年前の春よ」

「……ちょっと待ってください。そんな風に言ってくれた人が、どうしてグローリアさんを裏切ったんですか?」

「あの男はね、『洞男ほらおとこ』と言って、生き物の不幸を吸って生きているの。彼らが最も好む不幸は、幸福の絶頂をひっくり返した不幸。その不幸を味わうためには、人の幸福に協力することもいとわないの」

「おいしい不幸のために、一度はグローリアさんを幸福にした、ってことですか?」

「そうよ。それにしてもやりすぎる洞男で助かったわ。温泉を引いてくるのも、お湯の出入り口を作るのも大変なのに、快くやってくれたんだもの。お湯が冷めない特殊とくしゅな浴槽まで作ってくれたのよ」

 グローリアさんはいたずらっぽく笑った。

「まあ、その親切全部が、わたしを油断させるためのあっちの作戦だったんだけどね。さあお風呂屋さんができる、ってところで急に魔法で捕らえられたの。その時、初めて彼が洞男だって気づいたわ。長い間わたしのそばにいることで、少しずつ少しずつ、ここに閉じ込める魔法をかけていたみたい。それから、この足を奪う魔法も」

 グローリアさんはフワフワした毛の生えた馬の足をなでた。

「本当はケンタウロスだから、天井の絵が草原なんですか?」

「ええ。故郷を忘れないように、そこをイメージした天井画にしたの。それからあの馬の銅像も、わたしの親友がモデルなのよ。辛い時もこの二つを見れば、思い出の場所に戻れた気がして、救われたわ」

 わたしと茶々は、馬の銅像を見て、天井を見上げた。

 馬は天へ昇っていきそうな勢いで、前足を高く上げている。最初に見た時は、花の王様みたいだと思ったけれど、今その表情をじっくりと見ると、とても優しそうで、王様というよりはお姫様に見えた。

 天井に描かれているのは、太陽がサンサンと降り注ぐ、淡い緑色の草原。チョウやハチや鳥が飛び回っていて、赤色、オレンジ色、青色、紫色の花がポツポツと咲いている。まるで七彩湯のドアみたい。

「足を尾ひれに変えられて、浴槽から動けない魔法をかけられて、真実を言えない魔法をかけられて……」グローリアさんは青色の爪で、天井を指さした。「さっき言ってたクロユリ、それもたぶん洞男の仕業だわ。わたしはてっぺんに青いユリをつけたもの。きっとそのクロユリから、わたしの不幸を吸い取って、自分がいる鍾乳洞しょうにゅうどうのような地下世界に届ける仕組みや、監視する仕組みを作ったんでしょうね」

 わたしは背中に氷の塊を入れられたような、ゾクリとした悪寒に襲われた。

 親切が全部裏切りへの道筋だったなんて。わたしだったら誰のことも信用できなくなっちゃうかもしれない。

「……そんなの、ひどすぎるし、悲しすぎます」

 口に出すとますます悲しい気持ちになって、茶々を抱く手の力が強くなった。

 すると、グローリアさんの手が伸びてきて、わたしの髪をサラサラとなでてくれた。その顔は笑っていた。

「六年間ずっと生きてるけど、心は死んでるみたいだったわ。死ぬことができないようにされていたから、ずっと悲しい気持ちを抱えながら、ここで水に浸かっていることしかできなかった。だからね、二人に出会った日に、奇跡だって言ったのは大げさな言葉じゃなかったの。わたしの救世主だったのよ、二人は。六年ぶりに人と話をして、笑顔を見て、『ああ、わたし、今生きてるんだわ』って思えた」

「救世主だなんて……」

 照れくさくてうつむくと、茶々はうれしそうにニマニマしていた。茶々は素直でうらやましい。

「でも、わたしが二人に見つけてもらって、幸せの最高潮になったことで、洞男に変に思われちゃったのよね。最近不幸が届かないと思って、わざわざ地底二千メートルから来たみたい」

「おばあちゃんとあいさつに来た時ですよね。あの時は何もされなかったんですか?」

「ええ。無言で店の中を見回して、しばらくしたら帰っていったわ。でも内心すごく焦ってたの。わたしと関わったせいで、二人が洞男に襲われたらどうしようって。だからあの日、晴乃さんと一緒に二人が来て、無事だってわかってすごく安心したわ。まあ、結局今日、こうして巻き込んじゃったんだけどね」

 グローリアさんはまっすぐにわたしを見て、「ごめんなさい。大変な目に合わせて」と言った。

「言えないようにされてたんですから、謝らないでください。……それよりも、洞男はまたここに来るんでしょうか? それなら薬草が効くってわかったから、おばあちゃんに頼んで、もっとお守りを用意してもらいますよ」

「たぶん、その必要はないわ。さっきの音は、魔除けの音だもの。二人と、そのお守りのおかげで、洞男はもうここには近寄れないわ」

 グローリアさんは、わたしの手をそっとにぎってきた。その温かみは、すぐにわたしの胸まで届いた。

 わたしは震える唇を必死に動かした。

「それじゃあ、これからは、ここで、安心して、七彩湯が、続けられるんですか?」

「ええ」

「グローリアさんも、一緒に、町へ行って、お客さんに宣伝できるようになるんですか?」

「ええ」

「……グ、グローリアさんと、わたしと、茶々で、ここで、この町で、七彩湯が続けられるんですか?」

 グローリアさんがとびきりの笑顔で「ええ」と答えた瞬間、わたしは涙があふれてきた。

「よ、よかったあ!」

 あれ、わたし、怖かったのかな。それともうれしいのかな。

 理由はわからなかったけれど、涙が流れるたびに、心は温かくなった。

 茶々はわたしの肩によじ登って、ぐいぐいと頭をすり寄せてきた。茶々もうれしそうな顔をしていた。

「ありがとう、千花、茶々。あなたたちに出会ったのって、本当に奇跡だわ」

 そう言うグローリアさんも涙声だった。わたしは涙を流したまま、グローリアさんのやわらかい馬の足にギュッと抱き着いた。

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