第18話 千花は茶々と一緒に黒色のマントの男に立ち向かう

「ど、どうしてあなたがここにいるの。男の子はどこへ行ったの?」

 男は黙ったまま、黒い爪の手で、マントの下のシャツやズボンを必死にしぼっている。

「それとも、あなたがあの男の子なの?」

 男の黒色の目でにらまれると、自分の質問の答えがわかった。

 男の子なんか最初からいなかったんだ。わたしと一緒にここまで来たのは、この人だったんだ。だからこの人のことを思い出したんだ、それからクロユリの銅像のことも。

 ……クロユリ? どうしてクロユリを思い出したんだろう?

 頭の中を整理しようとすると、突然どろを投げられたような重たい怒鳴り声が上がった。

「よくも! よくも俺をコケにしてくれたな!」

「コケにしたつもりなんてない! あなたこそ七彩湯になんの用があるの? どうして男の子のフリなんてしてたの?」

「うるさい! アイツは外に出してはならないんだ!」

「アイツってグローリアさんのこと? あなたがグローリアさんをここに閉じ込めてるの?」

「うるさい!」

 男のびしょぬれの手がズルズルと伸びてきて、わたしの顔をつかもうとしたその時、「キュー!」と鳴き声が上がって、茶々が飛び込んできた。

 茶々は小さいけれど鋭い歯で、男の長い手をガブッとかんだ。また悲鳴が上がる。でも茶々は少しもおびえずに、毛を逆立てて威嚇いかくした。

 やっぱり茶々は臆病なんかじゃない!

「くそお、なんだコイツ!」

 茶々はもう一度「キュー!」と鳴くと、浴槽の中に飛び込んだ。そしてしっぽや足を器用に使って、男に向かってお湯をかけ始めた。するとまたシュウシュウという音が鳴り始めて、男が煙に包まれた。

 そうか! この男には、お守り入りのお湯が効くんだ!

 わたしはお風呂の中をぐるっと大きく回って、男から離れた辺りの浴槽に飛び込んだ。そして両手でお湯をバシャバシャ浴びせた。

「やめろ! 何しやがる!」

「あなたこそ何するつもりだったの! グローリアさんに何かしたら許さないんだから。ううん。さっきグローリアさんと茶々を傷つけたこと、絶対に許さない!」

 わたしは近くに転がっていたスイセン柄の水瓶をつかんで、浴槽の中からグイッと持ち上げた。ザバーッと滝のような量のお湯を浴びた男は、また悲鳴を上げた。そして、イチジク型の窓ガラスをバリーンと割って、外へ逃げ出した。

「待ちなさい!」

 水瓶いっぱいにお湯をくんで走り出そうとすると、茶々が行く手をふさいだ。

「茶々、アイツが逃げちゃう!」

 茶々は「キュー!」と鳴いて首を横にふり、「着いて来て」と言うように手をふってから、走り出した。

 お風呂の外へ出ると、グローリアさんは浴槽の中でぐったりしていた。アイツに触られたのが良くなかったのかしら。

「待って、茶々。どこに行くの?」

 茶々はわたしが閉め忘れていたドアからターッと外へ出て行くと、彫刻だらけででっぱりの多い壁をスイスイと上って、あっという間に波型の屋根の上に到達した。そして、クロユリの銅像の前で、自分の首に下げているお守りをふってみせた。

「そのクロユリにお守りをかけろってこと?」

 茶々は「キュー!」と喜びの雄叫びのような声を上げた。

 グローリアさんが心配だし、アイツを追いかけたいけれど、茶々が言っていることも正しいような気がする。あの男とクロユリは何か関係があるんだ。

 わたしは水瓶をドアのそばに置いて、茶々が登った通りの道順で壁を上っていった。イチジク型の窓枠も、豪華な花の彫刻も、まさかわたしの足置きになるなんて思ってなかっただろうな。

 屋根の上は周りの木のてっぺんと同じくらいの高さで、下を見下ろすと頭がクラクラした。でも今は怖がってる場合じゃない。

「はずすね、茶々」

 茶々は自分から顔を上げて、お守りを取りやすくしてくれた。コルクのフタを取って、ビンを両手で持った時、どこからか「やめろ!」という声が聞こえて来た。

「当たりだ! すごいよ、茶々! 茶々は最高の親友で英雄だね!」

 男の手が伸びてくるのを横目に感じながら、わたしはクロユリにお守りの粉をふりかけた。

 すると、洞窟の中で雫が零れたようなぽーんっという音が鳴って、太陽が落ちて来たみたいに周りが明るくなった。

 わたしはとっさに茶々を抱きしめて、ギュウッと目をつぶった。


 遠くの方で薄いガラスのような何かが割れるような音が鳴った気がして、ゆっくりと目を開ける。

「……あれ、クロユリじゃなくなってる」

 どす黒い色をしていたクロユリは跡形もなく消えていた。その代わりに、透き通った青色の石でできたユリが現れていた。これなら七彩湯にぴったりだ。

 わたしがにっこりすると、腕の中にいた茶々がペロッとわたしのほほをなめてきた。

「お手柄だよ、茶々! すごいすごい!」

 両手で空高く掲げられた茶々は、「キュウキュウ」と鳴いてはしゃいだ。

「あ、グローリアさん、大丈夫かな。行こう、茶々」

 わたしたちは慎重に屋根から降りて、七彩湯の中に入った。

「グローリアさん、大丈夫ですか!」

 さっきまで浴槽の中でぐったりしていたグローリアさんは、しっかりと目を開けて、背筋をピンとして、わたしたちを待っていた。それも魚の尾ひれではなくて、馬の四本足で。その姿は、本で見たケンタウロスそのものだった。

「グローリアさん!」

「ありがとう、千花、茶々。二人のおかげで、わたしは身も心も自由になれたわ」

「自由って、やっぱりあの人に閉じ込められてたんですか?」

 グローリアさんは悔しそうに顔をゆがめて「ええ」と答えた。

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