第16話 千花は違和感を持つ

 次の日は、昨日までの雨がうそだったようなピカピカの太陽が昇った。きっとお日様が七彩湯の味方をしてくれてるんだ!

 学校が終わると、わたしは矢のような速さで家までかけて行って、茶々と一緒に町へ戻った。

「七彩湯でーす! 寒くなり始めた今、とっても気持ちいいですよー!」

 雨が降ってグッと寒くなったからか、今日は一段とチラシをもらってくれる人が多かった。みんな場所を知ると、「また今度ね」とか「時間がないわ」と言ったけれど、知ってもらえるだけでも充分うれしかった。

 だって町の人が来られなくても、評判が巡り巡ったら、わたしが行けないような遠いところに住んでいる人がわざわざ来てくれるかもしれないもん。たくさんの人に知ってもらって損はないでしょう。



「――やっぱり怪しいわよね、七彩湯」

 目抜き通りを通り抜けて、細い道の右と左、どっちに行こうか迷っていると、菫の家がある醸造所の方から、楓の声が聞こえて来た。大きなへいで囲われているせいで、楓の姿は見えない。わたしは塀にぴったりとくっついて、耳をそばだてる。

「千花は素敵だって言ってたけど、やっぱり変よ。また宣伝が始まったと思ったら、今回もやってるのは千花だけよ? どうして店主さんじゃなくて、関係ない子どもが宣伝するわけ?」

「それに、千花と店主さんは、知り合いでも何でもないって言ってたわよね」

「チラシにも大したこと書いてないし、なんかコソコソしてる感じがあって怖い」

「わたしはお母さんから、あんまりかかわるなって言われた」

 ほかにも何人かが「そうよね」、「変なの」、「わたしも」と楓に賛成する声が聞こえてくる。

「あの日、うまいこと引き離せたと思ってたのに、失敗だったのね」

 楓の悔しそうな声に、足元がぐらぐらして、塀に体を預けないと倒れそうになってしまった。

 みんな、あの日からずっと七彩湯を怪しんでたってこと? 

 わたしがちゃんと答えなかったから?

 突然ショックなことが起こってぼうぜんとしていると、首に巻くように肩に座っていた茶々が、ペロッとほほをなめてきた。

「……ありがとう、茶々。大丈夫だよ」

 茶々は優しくて小さな声で「キュー」と鳴いた。

 茶々にはばれてるんだ、わたしがウソついてるって。

 頭が石のように重く感じられて、とてもじゃないけれど、顔を上げていられない。しかたなく塀に背中を預けて、スニーカーをはいた自分の小さな足をじっと見つめた。


 わたしがもっと大人で、力持ちで、頼りになる人だったら、グローリアさんを浴槽ごと町へ連れてきてあげられるのに。

 それで、三人一緒に七彩湯を宣伝できたら、七彩湯は怪しまれずに済んで、もっとお客さんであふれるのに。

 だって、グローリアさんも七彩湯も、あんなに素敵なんだもん。


 そう思って、醸造所の入り口に足を向けると、「でもっ」と菫の声が聞こえてきた。

「千花って困ってる人をほっとけない子でしょう。うちの収穫も手伝ってくれるんだよ。だから、確かにお店は怪しいから心配だけど、きっといつも通りの親切心でやってるんだよ」 

「……まあね。千花が、超がつくほどお人よしだってことは認めるわ。でも問題は、店主だけじゃなくてお店自体も怪しいってことよ。どうしてわざわざ山奥なんかでやってるのよ? 町に昔からやってるお風呂屋はあるけど、お客さんを呼びたいなら、町に建てればいいじゃない。人里離れたところに建てたりして、自分から怪しまれにいくようなものだわ」

 また楓の不機嫌な声が聞こえてきた。

「……それはまあ、わたしもそう思うけど。どうして山奥なんかにあるんだろうね。千花はあの吊り橋が苦手なのに、宣伝のために一日に何度も橋を渡らなきゃならないのはかわいそう」

 菫の声は本当に心配そうで、申し訳ない気持ちになった。

 七彩湯の誤解を解くこともできなくて、菫には心配をかけて。

「……わたしってダメなヤツだなあ」

 ハーッと大きくて長い長いため息をつくと、吐いた分だけたくさんの新鮮な空気が体に入ってきた。すると、急に頭がピシッとして、一つの考えが浮かんできた。

「……どうしてグローリアさんは、動けないのに、山奥なんかにお風呂屋さんを作ったんだろう」

 わたしがつぶやくと、茶々は「キュー?」と首をかしげた。

「よく考えてみて、茶々。グローリアさんは人魚なんだよ。水が無きゃ生きていけないし、動くこともできない。そうじだってできなかったんだよ。それなのに、山奥でお風呂屋さんをやるなんて、おかしな話だと思わない?」

 茶々は「確かにね」と言うようにうなずいた。

「それに、もっとよく考えたら、どうしてあのお風呂屋さんを建てるのを手伝った人は、今はいないんだろう。お店って始めるだけじゃダメでしょう。お客さんに来てもらわなきゃ。そのためにはたくさん宣伝しなきゃならない。菫たちが言う通り、ただでさえ見つけてもらいにくい山奥にあるんだよ。それなのにどうして、七彩湯を作るのを手伝ってくれた人は、お店を建てるだけ建てて、宣伝は手伝ってくれなかったんだろう。グローリアさんがあそこから動けないってわかってるのに」

 茶々は「キュキュキュキュキュッ」と鳴いた。確かに「確かにね」と言ったのがわかった。

「大工さんだったらしかたがないけど。もしわたしと茶々が七彩湯に行かなかったら、グローリアさんは山奥でずっと、お客さんが来るのをただ待ってたかもしれないってことでしょ。あのしっかり者のグローリアさんが、そんな無茶を考えるかな。このチラシだって、配れないのに作ったってことになっちゃう」

 よく見ると、チラシの四隅よすみは茶色く薄汚れていたり、ほころびていたりした。

 それに気づいたとたん、なぜか急に、風邪をひいた時のようなゾクリとした寒さに襲われた。

 思わず首から下げているお守りをにぎると、茶々も何かが怖いのか、わたしのワンピースにしがみ付いてきた。

「……と、とりあえず、グローリアさんのところに行こう。聞いたら、全部話してくれるかもしれない」

 そう言って茶々を抱きしめて歩き始めた瞬間、「……すみません」と声をかけられた。バッと右を見ると、真っ黒い洋服を着た小さな男の子が立っていた。

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