第8話 千花は放課後に友達と遊ぶ

「ねえ、最近の千花は何をしてるの? お母さんから、何かのチラシを配ってるって聞いたんだけど」

 次の日、教室に入ると、ドッと押し寄せて来た友達に取り囲まれた。

 今こそ七彩湯を宣伝する時! 

 わたしは学校中にひびかせるつもりで、大きな声で答えた。

「七彩湯っていう世界一素敵なお風呂屋さんで、お手伝いしてるんだ!」

「お風呂屋さんでお手伝い?」

 正面に立つかえでは、まゆをしかめてオウム返しをしてきた。

「そう。うちから北に向かった先にあるんだ。すごく素敵だから、みんなで一緒に行かない? わたし、案内するよ」

「どう素敵なの?」と椿つばき

「まずは見た目がすごくきれいな青色なんだ。海って見たことないけど、きっと七彩湯くらいきれいだと思う」

「見た目だけ?」とあおい

「ううん。お風呂の中も、お花の置物が置いてあったり、浴槽が一つひとつ違ったりするんだよ。それから、お花のいい香りもして、心も体も幸せな気持ちにしてくれるの」

「そんなに勧めるってことは、千花の知り合いがやってるお風呂屋さんなの?」とえりか。

「ううん。少し前に知り合った、優しい女の人が店主さんだよ」

 みんなは顔を見合わせて「ふーん」と言った。

「……どういうお風呂屋さんなのかはわかったけど、ちょっと変よね」

「えっ、どうして」

 少しムッとしたけれど、それが顔に出ないように気を付けながら楓にたずねる。

「だって町から遠いし、お店とも店主さんとも知り合いじゃない千花が宣伝してるでしょう。店主さんはその間どうしてるのよ」

「そ、それは……」

 グローリアさんが人魚だから町には来られない、って言っても良いのかな。

 わたしもボトンドさんも百合さんもピーアさんも、グローリアさんの尾ひれを見て、少し驚いただけだった。でも、店主が人魚だって知ったら、もっと変なお風呂屋さんだって言われちゃうのかな。

 どう答えたらいいのかわからなくて、わたしはだまりこんでしまった。すると、なぜか満足げな顔をした楓が「まあ、いいわ」と言った。

「そのお手伝いって、毎日行かなきゃならないの?」

「……う、ううん。毎日行くって、約束はしてない」

「それなら今日はうちに来ない? わたし、今日は習い事がないから、みんなと遊ぼうと思ってたの」

「えっ! 楓が!」

 大きな家に住むお金持ちの娘である楓は、一週間のうち六日は何かしらの習い事をしている。だから学校の休み時間以外では遊んだことが一度もない。そんな楓が、今日は放課後に遊べるなんて! 急に胸がソワソワしてきた。

「ほ、本当に、遊べるの?」

「ウソ言ってどうするのよ。それに、今日は菫も遊べるのよね」

 楓はニコッと笑って、後ろの方に立っていた菫の腕を引いた。

「えっ、菫も来られるの?」

 菫は少しうつむいたままうなずいた。

「……千花が一緒なら、今日は、遊んできても良いって」

「本当に! うわあ、夢みたい!」

 正直なことを言うと、わたしはずっと、菫や友達ともっとたくさん遊びたかった。でも家の手伝いや習い事でみんなそれぞれ忙しいから、放課後はほとんど遊んだことがなかった。

 みんなが悪いわけじゃない、しかたがないことだって、自分を納得させて我慢していた。

 だから、今お家の手伝いが一番忙しい菫にまで一緒に遊べると言われたら、断れるはずがなかった。

「千花も来るでしょう?」

「もちろん!」

 わたしはすぐに答えた。

 今日は家に帰ったところで、おばあちゃんが待っているわけでもない。朝から頭痛がする楠さんのところに行っているから。家に帰っても、茶々と一緒に町へ戻って来てチラシを配るか、グローリアさんのところに行くくらいしかすることがない。

 せっかく珍しく友達と一緒に遊べるんだから、今日くらい寄り道したっていいよね。

 わたしはそう言い聞かせて、この日は夕方まで楓のお家で過ごした。


 楓のお母さんが作ったシフォンケーキを食べたり、テレビゲームで遊んだり、流行りの配信者さんの動画を見たり。

 ずっと笑いっぱなしですごく楽しくて、友達と一緒にいる間は、茶々のこともグローリアさんのことも少しも思い出さなかった。


 でも、楓の家を出て、みんなが町へ帰っていく中、わたしだけが虹光山に向かって一人で歩き始めると、急に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 茶々はお家で、グローリアさんは七彩湯で、わたしを待っていたかもしれないんだ。今のわたしみたいに一人きりで。

 それなのにわたしは、二人に一言も言わずに、よそで遊んでいた。

「……茶々もグローリアさんも、怒ったよね」

 大嫌いな吊り橋が見えて来た。すみみたいに真っ黒な谷底から、ビュルルルという舌をすするような不気味な音が聞こえてくる。思わず体がブルリと震えた。

 最近は茶々が一緒にいてくれる時は、ちっとも怖くなかったのに。

 今はこのつり橋が、地獄じごくに通じているような気がした。

「……はあ。でも、これってばつだよね。最低だもん、わたし」

「……すみません」

 突然現れた声に、パッと右を見た。そこには、暑い夏には似合わない黒いマントを着た背の高い男の人が立っていた。

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