第7話 千花と赤色のお風呂
日曜日、わたしと茶々は朝ごはんを食べてすぐに町へ出かけて行った。
お休みの日なら少しは時間に余裕があるから、みんないつもよりも足を止めてくれるかもしれない。
そんな期待を胸に、勇んで吊り橋を渡っていった。
「……それなのに、みーんなおでかけかあ」
「キューン」
突き抜けるような晴天となった今日は、どこの家もお出かけ日和だと思ったみたい。住宅街はシンッとしているし、目抜き通りの方に行っても、お店は開いているけれど、人はほとんどいなかった。
「当てが外れちゃった。どうしよう」
「キュキュ?」
茶々はおいしそうなパンが並んでいるお店を小さな手で示した。その次に、わたしのポケットに入っているチラシを手で指した。
「お店にチラシを置いてもらうってこと? 良いアイディアだけど、子どもを相手にしてくれるかな」
茶々は「キューン」とうなりながら、小さな手で、小さな頭を抱え込んだ。
わたしもおでこを指でコンコン
「……うーん。これだけ人が少ないなら、一人ひとりに手渡ししていくのが、一番良いのかな」
そう言ってチラシを取り出した時、「ねえねえ」という明るい声がすぐ目の前で上がった。
顔を上げると、そこにはクモの糸みたいにツヤツヤした金髪の女の人が立っていた。金髪はゆるく三つ編みに編まれていて、耳をおおい隠している。大きな目は青くて、グローリアさんと少し似ている。海外の人かな。
「そのチラシ、もらっても良い?」
「あ、もちろんです。どうぞ!」
チラシを受け取った女の人は、上から下までチラシをじっくりと読み、「へえ!」とまた明るい声を上げた。
「こんなお風呂屋さんもあるんだ。ねえねえ、このお風呂屋さんってどこにあるの?」
「あの山の奥の方です。良かったら案内しますよ」
「いいの! ありがとう!」
女の人は白い歯を見せてにっこりと笑った。声も笑顔も明るい人で、わたしまで笑顔になる。
こんな素敵な人が七彩湯に来てくれるなんて、うれしい!
「こちらこそ、興味を持ってもらえてうれしいです。ありがとうございます。さあ、行きましょう」
女の人は大きなリュックサックを背負いなおして、「行こう行こうー!」と元気よく答えてくれた。
七彩湯までの道のりで、女の人ことピーアさんとわたしと茶々はすっかり仲良しになった。ピーアさんは話し上手で面白い人だったのだ。
「わたし、フィンランドのラップランド出身なの。自然豊かで、冬はすごく寒いところなんだけど、知ってる?」
「サンタさんが住んでるところが、フィンランドってことしか」
「そうそう! ラップランドのロヴァニエミにサンタクロースは住んでるのよ。冬の間はずーっと雪におおわれてて、辺り一面白銀世界なの」
「へえ! 想像もできないです。この辺りは、雪が降っても、そんなに積もらないから」
「長い時は、春の終わりごろまでスキーができるくらい雪が残ってるのよ。空気が澄んでいて気持ちが良いし、きれいな景色が広がってるから、いつか千花たちにも生で見てほしいわ」
ピーアさんはスマートフォンを起動して、ラップランドの写真を見せてくれた。トナカイの引くそりや、空に輝くオーロラなどなど、どれもワクワクする写真ばかり。海外旅行なんて考えたこともなかったけど、楽しそうだな。
「わたし、そんな寒いところに生まれたのに、すごく寒がりなんだ」
「えっ、そうなんですか」
「カタツムリみたいに、サウナを背中にくっつけて生活したいくらいにはね」
そう言われてみると、夏にもかかわらず、ピーアさんの
「でもね、日本に来て、サウナと同じくらい温かくて、安心するものに出会ったんだ。それが温泉!」
ピーアさんはチラシの七彩湯という文字を指でなぞった。
「だからわたし、
「えー! すごい! 全国ですか?」
ピーアさんは得意げな顔で、「そうだよ」と答える。
「事前にいろいろ情報を集めて、一つも行き損ねないようにしてるんだ。でもこの七彩湯の情報は見たことなかったなあ。あんまり宣伝してないの?」
「そうみたいです。せっかく作ったチラシも、ずっと配れてなかったみたいで」
「そうなんだ。じゃあ、千花たちに偶然会えてラッキーだったね!」
ピーアさんとキャアキャア言いながら吊り橋を渡って、わたしの家を通り過ぎて、もっと山の奥へ進んでいくと、緑の世界に突然青い建物が現れた。それに気が付いたピーアさんは「わー!」と無邪気な声を上げて、七彩湯の方に一目散にかけていった。
「すってきー! ここが七彩湯?」
「はい。到着です」
ピーアさんはその場でウサギみたいに飛び跳ねて喜んだ。でも、屋根の上のクロユリに気が付くと、飛び跳ねるのをやめて、首を傾げた。
やっぱり誰が見ても合わないんだな、あのクロユリ。
「入っても良い、千花?」
「どうぞ、どうぞ」
ピーアさんは「おじゃましま―す!」と元気よく言って、勢いよくドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
すぐにドアの方に振り返ったグローリアさんの顔はすごくうれしそうに見える。
「初めてのお客さまですね」
「千花と茶々の紹介で来た、ピーアよ。フィンランドから来たの」
ピーアさんは七彩湯の中をグルグル見回しながら、グローリアさんに歩み寄っていった。そしてグローリアさんの尾ひれに気が付くと、後ろ姿でもわかるほど大きくニコッと笑った。
「人魚さんが店主さんなのね」
「はい。人魚で店主のグローリアです。フィンランドから
ふたりはにこやかに握手を交わした。
「どんなお風呂をご希望ですか? ご希望を言っていただければ、最適なお風呂にご案内しますよ」
「温かいお風呂が良いな! わたし、寒がりで。エアコンの風も寒くて苦手なの」
ピーアさんは「ここはエアコンがないけど、過ごしやすいね」と言った。
確かに七彩湯はいつ来ても、暑すぎることも、寒すぎることもない。まるで何か不思議な力が働いてるみたい。
「そういうことなら、良いお風呂がありますよ。千花、ピーアさんを赤いドアのお風呂にご案内してくれる?」
「はいっ。ピーアさん、こちらへどうぞ」
「はーいっ。それじゃあいってきます、グローリアさん」
「ごゆっくりどうぞ」
茶々はまたわたしの肩からすべり降りて、一足先に赤いドアの間に立った。
赤いドアのお風呂はどんなふうになっているんだろう。わたしもワクワクしてきた!
「こちらです」
わたしはピーアさんに中が見えるようにドアを開けた。
「わー! 素敵!」
ピーアさんは今日一番の明るい声を上げた。ピーアさんに続いてお風呂をのぞいたわたしも、「わあ」とため息のような声をもらしてしまった。
中はまぶしいほどの赤色のお風呂だった。
中央には、バラの形をした透き通った赤色の浴槽がどっしりと置かれていた。
天井から吊り下がるアマリリスのランプは、赤色のタイルで飾られたお風呂の中をいっそう濃い赤色に染めている。
イチジク型の窓と丸い鏡は、オレンジが足されたようなさわやかな赤色の石で縁取られていた。なんだか神秘的な輝きを持った石。
シャワーがついている壁の向かいの壁際には、赤色のソファが置いてある。ひじ置き付きの一人掛けのソファのそばには、小さな腰かけイスのようなものも置いてある。足をのばして座るためのものかな?
それから、赤色の石けんが置かれた棚の上には、バラの置物が三つ並んでいて、うっとりするようなバラの香りがした。
「まるでバラの国に迷い込んだみたい」
わたしがそうつぶやくと、ピーアさんが「素敵な表現ね」と微笑んでくれた。
このお風呂には、砂時計が二つ置いてあった。ボトンドさんの入った黄色いお風呂の砂時計よりも小さい砂時計だ。どちらかを使えば良いのかな。
「この砂時計が落ちるまで、お風呂に入ってください。それから、着替えはここの
「自分のもあるけど、借りて良いの?」
タオルを持っているなんて、さすが温泉巡りをしてるピーアさんだ。
「どちらでも大丈夫だと思います。好きな方を使ってください」
「わかったわ。ありがとう、千花」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
茶々を抱き上げてドアを閉めると、グローリアさんはご機嫌に鼻歌を歌っていた。
「あ、千花、おかえりなさい。ピーアさんはお風呂を気に入ってくださったみたい?」
「はい。バラの国みたいだって、ふたりで話してました」
「ふふふ、それなら良かったわ」
わたしはイスを持ってきてグローリアさんのそばに座り、ピーアさんの話を聞かせてあげた。日本全国のお風呂屋さんを回っているという話には、グローリアさんも驚いていた。
「そんな目のこえた人に、うちのお風呂はどう思われるかしらね……」
「ここに着いてから、何度も『素敵』って言ってくださってるから、きっと七彩湯も気に入ってくれますよ」
「そうだと良いわね。あー、ちょっと緊張してきた」
グローリアさんは落ち着かない様子で、水の中で尾ひれをバシャバシャ動かした。すると、茶々がグローリアさんの浴槽にすべり込み、落ち着かせるように体をすりよせた。グローリアさんは「ありがとー!」と言って、茶々を抱き上げた。
わたしの感覚でだいたい一時間後、ピーアさんはお風呂から出てきた。ツヤツヤだった髪はすっかり濡れていて、ますます輝いて見える。
「あー、気持ちよかったあ」
わたしはイスから立ち上がって、「よかったらどうぞ」と声をかけた。
「ああ、大丈夫よ。お風呂の中でソファに座って
「あ、それじゃあ、砂時計を二度に分けて使ってくださったんですね」
「えっ! ひょっとしてあれって、二回お風呂に入るって意味だったんですか」
「ええ。お客さま次第ではあるけど、それを
「きめ細やかな気遣いですね」と笑顔で答えたピーアさんは、まだ少し水がぽたぽたとたれてくる髪をタオルでしぼった。その時、わたしは自分の目を疑った。
ピーアさんの耳、先がすごく尖ってる!
髪の中から現れた耳は、わたしの耳よりも尖っていて、少し外に向いているのだ。まるで物語に出てくるエルフの耳みたい。
わたしが目をパチパチさせていると、それに気が付いたピーアさんと目が合った。
「あ、ごめんなさい、ジッと見て」
「ふふふ、気になるよね、わたしの耳。実はわたし、ハーフエルフなんだ」
「ハーフエルフ?」
わたしと茶々は一緒に首をかしげる。
「フィンランド人とエルフの間に生まれた子ってこと」
そんな人もいるんだ! わたしと茶々は驚いた顔を見合わせた。
「まあエルフって付くだけで、お父さんみたいに魔法は使えないんだけどね。変わったところっていえば、この耳と、ちょっと人より長生きってことくらい」
「長生きのおかげで、じっくり温泉巡りできるからうれしいよ」と言って、ピーアさんはケラケラと笑った。
「やっぱりそうだったんですね。ひょっとしたらと思ったんです」とグローリアさん。
「気づいてたんだね。ハーフエルフだって言うと、たまに妙に期待のこもった目で見られちゃうから、あんまり言わないようにしてたんだ。お風呂屋さんに行く時も、耳が見えないように髪で必死に隠して……」
ピーアさんはそこで一度口を閉じた。
「ジッと見て、ごめんなさい。わたしも、ピーアさんをいやな気持ちにしましたよね」
わたしがそう言うと、ピーアさんはすぐに「ちっとも!」と言った。
「むしろ今、千花たちになら、最初から知られても良かったって思ったよ。だってここには、人間の女の子も、人魚も、カワウソもいるんだもん!」
ピーアさんはそう言って、今日一番の明るい笑顔を見せてくれた。
「いろんな生き物がいる、良いお風呂屋さんだね! 今まで行ったお風呂屋さんで一番!」
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