第4話 千花と黄色のお風呂
「グローリアさーん! お客さんですよー!」
両開きのドアを勢いよく開けると、バシャッという水しぶきの音が返事をした。
「わあ! 本当に連れてきてくれたのね!」
シャツの下半分が濡れているグローリアさんは、目をお星さまみたいにキラキラ光らせた。
本当にうれしそう!
「はい! こちらのお客さんです!」
わたしは両手を広げて男の人を紹介した。するとグローリアさんは「まあ」と声を上げた。
「ドワーフのお客さま第一号ね」
「えっ、ドワーフ!」
「あ、名乗っていませんでしたね。わたしはドワーフのボトンドと言います」
本当にドワーフだったんだ!
ボトンドさんは帽子を外してあいさつをしてくれた。とってもお上品なドワーフさん。わたしもスカートをつかんで、お嬢様みたいなあいさつを返した。
「いらっしゃいませ、ボトンドさま。うちには七つのお風呂があります。何かご要望があれば、一番おすすめのお風呂にご案内しますよ」
ボトンドさんは「そうですねえ」と言って、フワフワした口ひげをなでた。
「……お風呂屋さんを前に、こんなことを言うのは気が引けるのですが。実を言うと、わたしはあまりお風呂が好きではないんです」
「えっ、そうなんですか! ひょっとして、無理やり連れてきてしまいましたか?」
「ああ、いや。そんなことはないんです。行きたいと言ったのはわたしですから」
ボトンドさんは帽子を両手でこねながら、ゆっくりと話し出した。
「昔、ひどい湯あたりになったことがあるんです。そのお風呂はとても熱かったんですが、話し好きの友人につかまってしまって、一時間以上も出られず、湯あたりを起こしてしまったんです。頭がグルグル回って、体がマグマのように熱くて……。本当につらくて、それからお風呂が苦手になってしまったんです」
グローリアさんを見ると、何度かうなずいて、「なるほどね」とつぶやいていた。
「千花、ボトンドさまを黄色のドアのお風呂へご案内してくれる?」
「はいっ」
わたしが元気よく答えると、茶々はするするとわたしの肩から降りて、一足先に黄色いドアの方へ走っていった。
ようやくお風呂の中が見られるんだから、ワクワクするよね。わたしもそう。早く見たくて、体がうずうずしちゃう。
「ボトンドさま、彼女がお風呂へご案内します。タオルは、中に入ってすぐ右の棚のものを使ってください。着替えや荷物も同じ棚にお願いします」
「ありがとうございます」
「それから、お風呂には砂時計がありますから、入ったらひっくり返してください。そしてその砂が落ち切るまで、ゆっくりと浸かってください」
ボトンドさんは少し疑う様な顔で「わ、わかりました」と答えた。
「こちらですよ」
わたしはまるで何年もここで働いているような顔をして、ボトンドさんを黄色いドアの前まで案内した。
ドアには金色のインクで、リムナンテスの花が模様のようにいくつも描かれていた。ドアまで本当に素敵。
ドアノブをひっかいている茶々を抱き上げると、ボトンドさんに見えるようにしながらドアを開けた。
「「わあ!」」
わたしとボトンドさんは一緒になって叫んだ。
ドアの向こう側には、黄色一色のお風呂が広がっていた!
壁を覆う透き通った黄色のタイルは、リムナンテスの花を無数に描いている。その壁にはイチジク型の大きな窓が三つついていて、虹色のガラスがはまっていた。
窓の周りと
淡い黄色の石けんが置かれた洗い場の棚には、黄色いポピーの置物が並んでいて、その置物から、甘い花の香りが漂って来た。これはカモミールの香りかな?
それから床に埋まっている広々とした四角い浴槽の角には、透き通った黄色の柱が立っている。まるで巨大なつららみたい。よく磨かれた表面には、わたしとボトンドさんの驚いた顔がくっきりと映っていた。
「素晴らしいな。まるで黄色の
わたしとボトンドさんがうっとりとしていると、いつの間にかわたしの手から抜け出した茶々が、「キュウキュウッ」と鳴いた。浴槽のそばに立つ茶々の前には、黄色い砂の大きな砂時計があった。
「あ、あれが砂時計ですね。おっきい!」
粒の大きい砂がたっぷり入っている砂時計は、わたしの足から腰までの長さと同じだった。
「……いったいどれだけ入っていればいいのだろうか」
ボトンドさんは心配そうにつぶやいた。
確かに湯あたりを起こしたことがある人が、この砂の分だけお風呂に入るのは不安だろうな。
「そうだ! わたし、ドアの前で待ってますから、何かあったら呼んでください。いつでも耳をそばだたせてます」
「ああ、それは助かります。ありがとう、えっと……」
「千花ですよ」
ボトンドさんと握手をすると、わたしはお風呂から出た。
部屋の中央で浴槽に浸かったままでいるグローリアさんは、ご機嫌に鼻歌を歌っていた。
「あの、グローリアさん」
ドアの前から動かずに声をかけると、笑顔を浮かべたグローリアさんが「なあに、千花」と言って、こっちを向いた。
「あの砂時計、全部流れるのにどれくらいかかるんですか?」
「二十分よ」
「二十分! ……ボトンドさん、そんなに入って大丈夫でしょうか?」
「心配ないわ、千花。あなただって公衆浴場で長湯をしている人は見かけるでしょう」
確かにおばあちゃんと町のお風呂屋さんへ行くと、わたしもたいてい三十分はお風呂に入っている。おばあちゃんと花のお世話のことで、熱心に話したことも何度もある。
周りの人の中にも、慌てて出て行く人なんて一人もいなかった。
「でも、ドワーフは暑がりな生き物かもしれませんよ?」
「それは大丈夫よ。知り合いにドワーフがいるからね」
「なあんだ! それなら心配ありませんね。よかった!」
また湯あたりを起こしたら大変だもん。グローリアさんはちゃんとドワーフのことを知ってて勧めたんだ。
安心して思わずふうっと息を吐くと、グローリアさんは「フフッ」と笑った。
「前のお風呂がたまたまボトンドさまに合わなかっただけで、本当はお風呂は気持ちが良いものだって知ってもらうためには、あのお風呂が一番いいのよ」
グローリアさんは片目をパチンと閉じた。
ひとまず安心はしたものの、約束をしたからには、ドアの前から動くわけにはいかない。ボトンドさんを待つ間、わたしは茶々とひんやりした床に座ってゲームをした。「どっちにあるでしょう」というゲームで、わたしが右手か左手にボタンを持って、どっちに持っているかを茶々が当てるというゲームだ。
茶々はボタンじゃなくて貝がらの時はすごく勘が良い。カワウソは貝が大好物だからか、茶々も貝がらが大好きなんだ。
今日はボタンだからか、わたしと茶々の戦績はだいたい同じくらいだった。
コンコンコン
内側からノックが聞こえてくると、わたしは茶々を抱き上げて立ち上がった。
ドアが開くと、まどろんだ表情のボトンドさんが出て来た。
「いやあ、気持ちよかったあ」
「本当ですか! よかった!」
「千花君がドアの前に居てくれて心強かったよ」
ボトンドさんはわたしの肩を優しくポンと叩いた。すると、お風呂の温かさと優しい花の香りが、わたしにも伝わってきた。
「最初はぬるいくらいで驚いたんだ。でも下へ落ちていく砂を眺めながら浸かっているうちに、体の奥から温かくなってきて、気持ちよくて、危うく眠ってしまいそうになったよ。こんなに心地良い思いをしたのは初めてだ」
にっこりと笑うボトンドさんのほほと鼻の先は、きれいな赤色をしている。
「うちのお風呂は、ボトンドさまが前に入ったお風呂よりも、五度くらい温度が低いんです。そのくらいのお風呂に長く、ゆっくりと浸かると、体の芯から温まるんですよ」
「ほう! 熱ければよいというわけではないのか」
「ええ。お風呂にも作法があるんですよ。気に入っていただけて良かったです」
「お風呂の湯加減も、中の景色も最高だったよ。ありがとう、七彩湯さん」
ボトンドさんはお代と言って、透き通ったアクアマリンでできたクモの置物を渡して帰っていった。
六角形に広がる巣の真ん中にいるクモは、今にも動き出しそうなくらい細かく彫刻されている。グローリアさんはこれをすごく気に入って、自分のテーブルの上に飾ることに決めた。
わたしもグローリアさんの目とよく似ていて、すごく素敵だと思った。
「すごいですね、グローリアさん! ボトンドさん、お風呂が大好きになりましたよ、きっと」
「そうね。でも、彼がここに来ようとしてくれて、あなたがそれを後押ししなかったら、彼はお風呂を好きになれなかったわ」
グローリアさんは濡れたままの手で、わたしの頭をなでてくれた。
「ありがとう、千花。あなたに出会ったのってやっぱり奇跡だわ。それから、茶々もね」
グローリアさんはにっこりと笑って、茶々の小さな頭も優しくなでてくれた。
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