第2話 千花は七彩湯の宣伝係りになる

 七彩湯はすごくきれいだけれど、少し不思議なお風呂屋さんだった。

 女の人の後ろ、金色のインクでチューリップが描かれたクリーム色の壁には、二メートルはありそうな七個のドアがズラリと並んでいる。あの先にお風呂があるのかな。

 ドアは一つひとつ色が違っていて、その中で左端のドアが一番目立っていた。だってドアの板もドアノブも金ぴかなんだもん。

 金色の縁がついている天井はうんと高くて、見上げると草原の絵が書いてあった。たいていは空の絵が書いてあるものなのに不思議。

 部屋の右側には、天井に届きそうなくらい大きな馬の銅像が置いてある。クリーム色のツヤツヤした石でできた馬の体全体には、ゼラニウムが彫刻されていた。まるで花の王様みたい。

 左側には銅像と同じクリーム色の石でできた背の高い棚が、壁を埋め尽くすように置かれていた。中には数えきれないほどのビンと、色んな種類の花の形をした置物が並んでいる。一体何に使うんだろう?

 でも一番不思議なのは女の人。クリーム色の石でできた丸い大きな浴槽よくそうの中に、シャツを着たまま入っているんだもん。ゼラニウムが彫刻された浴槽の前には、同じ石でできた小さなテーブルが置いてあって、そこにたぶんお金が入っている金庫のような箱が置かれていた。

 この人は店主さん? それともお客さん?

「ふふふ、わたしはここの店主のグローリアよ」

「あ、お店の人……」

 それならもっとおかしい! お風呂に入ったままの店主さんなんて見たことないもん。

 でもグローリアさんはちっとも気にしていない様で、わたしと茶々を交互に見て、またにっこりと笑った。

「動物が入れるお風呂もありますよ。よかったらどうぞ」

「あ、お風呂に入りに来たわけじゃないんです。茶々が、あ、この子が茶々って言うんですけど、鬼ごっこ中にここを見つけて、中が気になるって言ったんです」

 茶々の名誉のために、ウサギに驚いたことは黙っておいた。

「それはお目が高いカワウソさんだこと! あなたは茶々に付き合っただけなの?」

「あ、いえ。わたしも、気になっていました。見た目がすごくきれいだったから、中も素敵だろうなって。想像通り、すっごくきれいですね」

「ふふ、ありがとう」

 グローリアさんはにっこりと笑ってから、わかりやすくシュンッと肩を落とした。

「でも残念。初めてのノックが聞こえてきて嬉しかったけど、お風呂に入りに来たわけじゃないのね」

 そういえばさっきも「初めてのお客さま」って言っていた。少し変わっているけれど、こんなに素敵なお風呂屋さんなのに、どうして人が来ないんだろう。山奥だからかな。

「今日は、お金も無いのに来てごめんなさい。次はお金を持って来るので、その時はお風呂に入れてください」

 グローリアさんは、アクアマリンみたいな青い目をキラキラさせてバンザイをした。

「やったあ! ぜひ来てちょうだい」

 青色の爪がきらりと光る手は、つやつやしていてすごくきれいだった。

 どうしてだろう? ふつうは、気持ちが良いからっていつまでもお風呂に入っていると、日が経ちすぎた桃みたいに、指がしわしわになっちゃうものなのに。

「……あの、お風呂に入ったままで、ふやけちゃわないんですか?」

 グローリアさんは大きな目をパチパチさせた後、自分のきれいな手を見て、困ったような笑顔を浮かべた。

「そうね。わたしはどれだけ長く入っても、ふやけないみたい」

「すごい! 何かコツがあるんですか?」

 わたしがズイズイと歩み寄ると、グローリアさんは「おっとっと!」と言って、水をポタポタたらしながらわたしの前に手をのばしてきた。顔に水が飛んできた茶々は、うれしそうに腕の中でキューキュー鳴いた。

「そこで止まって。ねえ、あなた名前は?」

雪村千花ゆきむらちかです」

「千花ね。良い名前だわ。ねえ、千花、どうしてわたしの指もふやけちゃうと思ったの?」

「えっ。だってわたしもおばあちゃんも、友達もみんな、長く入るとふやけちゃうから。誰でもそうじゃないんですか?」

「あなたは、わたしをみんなと同じだ、と思うってこと?」

「……ちがうの?」

 グローリアさんはにっこりと笑って、わたしを手招きした。そして何も言わないまま、指で浴槽の中を指した。

 わたしはドキドキしながら、茶々と一緒に浴槽をのぞき込んだ。

「あっ! お、尾ひれ!」

 足があるはずの場所には、七彩湯で一番きれいな青色をした尾ひれがあった!

 わたしが何度も口をパクパクさせると、それに合わせるように、グローリアさんは何度もうなずいた。

「だ、だからずっと水に入ってても平気なんだ」

「そう。目に見えているものだけが真実ではないのよ、千花」

 昔、絵本で見た人魚と同じだ!

 わたしがそうささやくと、茶々はフンフン鼻息をならしながらうなずいた。

「でも、お客さんが来ないのも無理ないですね。その尾ひれじゃ、お客さんを呼びに町へ行けないもん」

 一瞬、グローリアさんの赤い唇が、糸でぬい付けられたようにぎゅっとくっついた。

「……そうっ、そうなのよ! せっかくお店を開いたのに、お客さまが来ないんじゃ意味ないわ」

 グローリアさんはまたがっくりと肩を落とした。

 こんなに立派なお風呂屋さんを建てたのに、誰にも入ってもらえないんだから、当然だよね。

 どうにか力になれないかな。

 おばあちゃんも一緒に、毎日お風呂に入りに来るのはどうだろう。ないよりは良いだろうけど、たった三人じゃグローリアさんもさみしいよね。それに、うちにもお風呂はあるから、今度はうちのお風呂がさみしがっちゃう。

 SNSで宣伝するのはどうだろう。でも、SNSはおばあちゃんにダメって言われてるから、やらせてもらえないかな。

 わたしがうんうん言いながら頭を抱えていると、いつの間にか手からすべり下りた茶々が、後ろでキューキューと鳴いた。ふり返ると、茶々は入り口のそばにあるドングリ型の棚を開けようとして、取っ手をひっかいていた。

「どうしたの、茶々」

 小さな頭の後ろからガラス戸の棚をのぞき込むと、中にはいろんな花の絵と一緒に「七彩湯開店!」と書かれた紙の束が入っていた。

「わあ! こんなにいいものがあったんだ!」

 わたしは茶々を優しくどかすと、紙の束を持ってグローリアさんのところへ戻った。

「グローリアさん、わたしがこのチラシを配るよ! この辺りには人が少ないけど、町にはたくさんいるから、町で宣伝すれば、きっと誰か来てくれますよ」

「まあ。……うれしいけれど、お願いしても良いの?」

「はい! すごく素敵なお風呂屋さんだから、もっとたくさんの人に知ってもらいたいんです。わたしだけ知ってるなんてもったいない! だからお手伝いさせて!」

 グローリアさんは大きな目に涙をためて、にっこりと笑った。

「ああ、奇跡ってきっと、こういうことを言うんでしょうね。ありがとう、千花。これまでの人生で、こんなにうれしかったことはないわ」

 グローリアさんは感動屋さんなんだな。

 わたしは思わずフフッと笑ってしまった。

 こうしてわたしと茶々は、グローリアさんが店主のお風呂屋「七彩湯」の宣伝係りになった。

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