拙者、お嬢の忠犬なり!

ねこ沢ふたよ

侍犬ヘルメスでござる

 二階堂彩音にかいどうあやね

 これが拙者の主である。

 中学二年生、好きな殿方もいるお年頃だ。


 そして拙者の名はヘルメス!

 拙者は、お嬢の忠実な家来なのだ。 

 いつでもお嬢のそばにいて、お守りすることこそ拙者の喜びなのだ。


 本日は大切なお嬢との楽しい散歩。

 お嬢との時間に拙者のシッポは自然と揺れて心は弾む。

 

「ヘルメス! お座り!」


 お嬢が命令すれば従う。

 ペタンと大人しく拙者が座れば、お嬢は満足そうな笑顔。


「ヘルメスえらい!」


 お嬢が褒めてくれる。

 拙者は、尻尾をさらにブンブンと振って、お嬢の親愛に答える。


 ふふん! 主従として、完璧なお嬢と拙者!


 いつものように、我ら主従が仲良く楽しい時間を過ごしていれば、不安そうな表情をお嬢が浮かべる。

 

「ねぇ……ヘルメス、どうしたら足が速くなるの?」


 どうした? そんな意味を込めてお嬢の顔を舐めれば、お嬢が頭を撫でてくれる。

 うつむくお嬢は、拙者のモフモフの毛に顔を埋める。


「無理だよね? 私なんかが……リレーの選手になるなんて。あのね、杉下君、リレーに出るんだって。リレーの選手になれたら、少しは話す機会もあるかもっておもうんだけれども」


 ぎゅっとお嬢が拙者を抱きしめる。杉下君とは、お嬢が好いた殿方の名前だ。

 内気なお嬢は、杉下君が好きなのにずっと話しかけられずに早一年半。片想いを拗らせ続けているのだ。

 その杉下君と仲良くなるきっかけが欲しいからリレーの選手に成りたいということだろう。

 『りれーの選手』なるものが何なのかは分からんが、ともかく、何もやらずに諦めるなんて気に喰わない。


 主君の窮地に奮い立たずに、何とする!

 拙者が! このヘルメスがひと肌……あ、いやいや、ひと毛皮脱いで、協力しようではないか。

 このヘルメス! お嬢の幸せのためなら、犬かきで明石海峡も越えてみせる覚悟がある!


 拙者は決意を固めたのだ。

お嬢の足を速くしてりれーの選手にして、杉下君と仲良くなるために!


 そんな決意の元で拙者によるお嬢の特訓が始まった。


 足が速くなるコツとは、前足と後ろ足、四つの足のバネを生かして軽やかに動くこと。

 だが、お嬢は残念ながら二足歩行。お嬢も四足歩行出来れば話は早いのだが人間には難しい。


 ならばどうするか……。

 決まっておる!


 特訓あるのみ!

 何のひねりも必要ない!

 とっぷあすりぃと! それは、日々の鍛錬の先に成るものなのだ。

 鍛錬こそ正義! 筋肉こそ正義なのだ!


「ヘルメス!! は、速い! 速すぎる!」


 散歩の時間、リードを持つお嬢を引っ張って拙者は走る。全てはお嬢を鍛えるため。

 

 もちろん手加減はしている。 

 雑種といえども大型犬の拙者。本気で走ればお嬢は追いつけない。

 有能な指導者たる拙者は、お嬢の走れるギリのスピードをちゃんと保っている。


 さあ、お嬢よ!!

 ぞんぶんに己の足を鍛えるのだ!!


 いつもの散歩コースである河川の土手を走り抜け休憩に立ち寄る公園。

 ここまでは、いつも三十分かけて歩く道程であるが、本日はお嬢の特訓のために十分も掛からずに来てしまった。もっと走っても良いのだが、どうやらお嬢が限界だ。


 元々インドア派のお嬢にあまり無理をさせるのも酷だ。

 ここは、少し休憩といこう。


 ぜいぜいと息をして公園のベンチに崩れ落ちるお嬢。

 ……ちっとだけやり過ぎたか?


 お嬢の足元に控え尻尾を振りながら拙者はお嬢を見つめる。

 お嬢はそのままベンチに倒れ伏す。

 大丈夫か? お嬢! 頑張れ。

 

「ワン!!」


 拙者の激励をどのように聴いたのか、お嬢は優しい顔で撫でてくれる。

 良かった。どうやら生きていた。


「何やっているんだ。馬鹿犬」


 馬鹿にされて見上げれば、カラスが一羽。


「そなたには関係ない」

「でも、その女の子、もうヘロヘロじゃねえか。翼も四本足もない人間に無理させんなよ」

「しかしだな。こちらにはこちらの事情があるのだ」


 拙者は、カラス野郎にこちらの事情を話す。


「へぇ……かけっこ競技ねぇ……リレーの選手ねぇ」


 クスクスと笑うカラス。

 イケすかない野郎だ。


「俺も協力してやろうか? 脳筋のお前の指導じゃ、この子潰れちまう」


 カラスめ。拙者の完璧な筋肉増強作戦に文句を申すか!


「要らぬ! 拙者さえいれば大丈夫だ!」

「結果がこれだろう?」


 クッ! いまだに立ち上がれずにベンチでのびているお嬢。


「し、仕方あるまい!」


 拙者は、お嬢の幸せのためにやくざ者のカラスと手を組んだ。


 カラスの名前は、クロウというらしい。


「で、クロウ殿は、お嬢の特訓のために何が必要だというのだ?」

「餌だよ餌」

「餌……とな?」

「そう、餌」


 拙者は首をかしげる。

 つまりは目標と言うわけか? それならば既にある。お嬢は、ただ足が速くなりたいのではない。『りれーのせんしゅ』とやらになって杉下君とかけっこをするチャンスがほしいのである。


「例えば……そうだな。お前が速く走る特訓をされたとして、この公園に美味い肉があればどう思う?」

「嬉しい」

「そうだろう? また来たいと思うだろう?」

「なるほど。しかし、お嬢のためにはどうしたら良い? 散歩が楽しくなるためには?」


 枝の上ですまし顔のクロウ。ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「これだから脳筋は!!」


 うぬ! 生意気なカラスめ。

 

「もういい。クロウ殿の言っていることは、拙者には分からん」


 そもそも、お嬢が拙者と親睦を深める最良の方法である散歩を嫌うわけもない。

 そして散歩は楽しいものなのである。

 よって、クロウの申す「餌」とやらは、初めからいらぬのだ。そうに違いない! お嬢と拙者の絆は岩よりもかたいのだ!


「ちょ、ちょっと私じゃ無理かも……。お父さんに散歩任せようかなぁ……」


 ぬぬっ! やはりやり過ぎたか!

 お嬢の呟きに慌てる拙者の横で、クロウが腹を抱えて笑う。


「そりゃそうなるって脳筋!」

「くっ! 無念!」

「いいか? 最初から答えは決まっている。お嬢の目的は?」

「それは、『りれーのせんしゅ』になって杉下君とかけっこをすること」


 可愛らしい乙女の夢だ。


「ほら、みろ。答えは出ている。お嬢は、その杉下君が好きなんだろう?」

「そうだ」

「だろう? だから、散歩コースに無理矢理、その杉下君の家の前を組み込むんだよ」

「ふぁあ?」

「あわよくば、その男の外出する時間に合わせて通りすがるようにする。そうすれば、杉下君と出会えて散歩が楽しくなる」

「な、何と腹黒い! あ、いやカラスだから全身がそもそも真っ黒か」


 確かにそれならば、お嬢もさらに楽しく特訓出来そうだ。


「し、しかし、拙者には、杉下の外出時間なんて分からんぞ?」

「そこは、ほら。俺ならば調べられるだろう?」


 クロウは、そう言ってウインクした。


 しばらくして訪れた、クロウの指定した日。


 おお。あれが噂の杉下君の家か!

 カラスのクロウに導かれて、拙者は激しく嫌がるお嬢を引きずりながら杉下君の家とやらに立ち寄る。


「ちょっと! ヘルメス! 何でこんなところに!」


 最近のちょこっとだけハードな拙者との散歩に備えて、バッチリとランニングウェアを着込んだお嬢は、突然「杉下君」とやらが出て来はしまいかとオロオロしている。


「どうしよう。こんな格好を杉下君に見られたら、恥ずかしい」


 慌てて手櫛で髪を整えだすお嬢。

 お嬢よ。それが残念なことに、出てくるのだ。この日はこの時間、杉下君は、塾に行くために門を出る。

 クロウが調べあげたのだ。


「いってきます!」


 室内にそう声をかけて出てくる「杉下君」。

 あれがお嬢の想い人! あんなヒョロ男のためにお嬢は、こんな苦労を……!

 

 ガルルルル


 自然と牙をむいてしまう。


「ばーかーいーぬー! それだから脳筋だって言っているんだ! そこでお前が牙むいてどうするんだ! お嬢が悲しむぞ!」


 クロウが電線から拙者に注意する。

 口が悪すぎて一々腹立つが、言わんとしていることは、もっともだ。

 拙者が敵対して杉下君に嫌われれば、お嬢の想いは叶わない。今までの苦労は水の泡となってしまう。


「ではどうしたら良い?」

「ほら、可愛いワンちゃんを演じるんだよ! チワワ的な? ポメラニアンのような? 誰もが可愛い~って言いたくなるワンちゃんに成り切って!」

「可愛いワンちゃん! 大型犬の拙者が? このヘルメス、お嬢の身を守る侍として生きてきた! その拙者が、チワワやポメラニアンのような可愛いを売りにしたワンちゃんのフリなど」

「良いのか? 杉下君に嫌われたら、お嬢が泣くぞ?」


 クロウに遊ばれている。

 これは、完全に遊ばれているに違いない!

 しかし……拙者の武士道たる物が!


「きゃきゃううん」


 蚊の鳴くような小さな小さな声で、仔犬のように鳴いてみる。

 く、屈辱!! 主のため……主のため……!


 クロウがゲラゲラ笑っている。


 腹を……腹を見せてゴロンと寝転がって……。


「わぁ、人懐っこい犬だね」

「え、ううん。いつもは、知らない人にこんな態度は取らないんだけど。杉下君が動物に好かれる体質とか?」


 違う! これは拙者のお嬢への忠誠心が成せる技!

 杉下の手が拙者の腹をナデナデしておるが、これ、拙者にとってはかなりの屈辱!

 拙者は、二君に仕えるようなやからではない! 腹を撫でるのは、本当はお嬢にのみ許した行為! 御父上にも許したことないのに!


「わふわふ」


 心を殺して、親愛を込めて、杉下にスリスリ。

 敵を騙して主の利を守るのだ!


「すごい! 杉下君!」


 すごいのは拙者! 拙者だお嬢!

 もはやクロウは笑い過ぎて震えている。


 おのれ、クロウめ。

 このまま笑い死にさせてやろうか!


 笑い死に寸前のクロウの見守る中、可愛いワンちゃん(拙者)を挟んで、お嬢と杉下君がなごやかに語り合う。


「えっと……確か同じクラスだよね?」

「覚えていてくれたの!」

「すごい気合入った格好で散歩するんだね」


 杉下がお嬢の姿を見て感想を述べる。

 この野郎! 失礼であろう? 

 可愛いワンちゃんモードの拙者でなければ、一噛み喰らいついておったぞ!


「あ、分かった! 今度の運動会、リレーの選手狙っているんでしょう!」


 この格好は、正確にはお嬢的には拙者とのハードモードな散歩対策なのだが、リレーの選手に成りたかったことを言い当てられて、お嬢はごまかす。


「そ、そうなの」

「そっか。リレーはやっぱり観るより参加する方が楽しいし!」


 ニコリと笑う杉下君。

 貴方と走りたい……とは、言い出せない内気なお嬢。

 代わりに言ってやりたいのに、人の言葉を話せないで歯痒い拙者。上空から興味しんしんでクロウが見ている。


「お互い頑張ろうね! じゃあ、僕、塾があるから!」


 しばらく話した後、杉下はそう言うと、さっさと立ち去ってしまった。

 これは……脈なしか?

 好いた女子ならば、この態度はないであろう。


「クゥン」


 お嬢が心配になって、拙者はお嬢の手を舐める。


「ヘルメス。私、頑張る! 頑張って、杉下君とやっぱり走りたい!」


 心配はいらなかった。

 逆に杉下君のそっけない態度でお嬢の心に火が点いたようだ。


 それからのお嬢は、すごかった。

 朝晩、拙者と共に走り込み、スマホの動画でフォームを研究し、食事に気をつけて。およそ考えられる努力は全てした。


 見違えるように速く走れるようになったお嬢を、拙者は目を細めて見つめる。

 誰かの成長する姿を見るということは、こんなにも嬉しいことか。ましてや、相手は、大切な主であるお嬢。感慨もひとしおである。


 努力の甲斐あり、お嬢は見事リレーの選手に選ばれた。


 運動会当日、室内で飼われている拙者は当然お留守番。

 あるじの晴れの日。

 お嬢の活躍を観たいけど。 運動会にペットは連れていけない。


 クウウウ! 仕方ない! でも観たい!


 拙者がモヤモヤしながらリビングで寝ていると、御父上が頭を撫でてくれる。


「せっかく観に行こうと思ったのに……。もう中学生になったから、観に来ないでって……寂しいよな」


 おお! 御父上もか!

 拙者だけではなのか。

 まぁ、お嬢からすれば、好きな男の子とかけっこするのに御父上には見られたくはないか。

 残念がる御父上は、そのまま話を続ける。


「転勤が決まってな……。まだあの子に言えてないんだ。怒るかな?」


 突然のことに拙者は驚く。転勤、つまり引っ越しだ。

 それは御父上よ。怒るなんてものではないだろう。

 せっかく好いた人が出来て、その人に近づくために努力しているお嬢。

 可哀想ではないか。


 書斎に引っ込んでしまった御父上の言葉を反芻し、引っ越しを知って悲しむお嬢の顔を想像して拙者がしょぼくれていると、コツコツと窓を叩く音がする。


「おい! バカ犬!」


 クロウだ。

 窓を見れば、カラスのクロウがカアカア言っている。


「その呼び方、どうにかならんのか。クロウ殿には、お嬢の特訓を手伝ってもらった恩義がある。だが『バカ犬』呼ばわりされるのは、やはり心外」

「今は良いんだよ! それより、間に合わなくなる! 急げ!」


 良いか悪いかは、呼ばれている拙者が決めるべきことだと思うのだが。それよりも気になるのは、『間に合わなくなる』の一言。


「どうした? 何があった?」


 晴れてリレー選手となり、かけっこが出来るようになったのなら、我らの役割は終わり。

 今は、引っ越しの話はさておき、お嬢の笑顔を待つばかりだと思うのだが。


「お嬢が、お嬢が大変なんだよ」

「なんと? 何があった?」

「いねぇんだよ! 学校に!」


 あんなに楽しみしていたのに? あんなに頑張ってリレーの選手になったのに?


「なぜじゃ?」


 誘拐、事故……最悪の事態の想像に拙者の声は震える。


「知らねぇよ! 早くしろ! 探すぞ!」


 早くしろと言われても……窓は閉まっているし。拙者は開け方を知らない。


「焦ったいな! そこ、そこに金具があるだろ? それを……そう、下に回して。ほら、それで鍵は開いたから、あとは横に窓を引っ張って……」


 クロウに言われるがままに窓を動かせば、するりと簡単に窓が開く。


「すごいな。なぜこんなことを知っている」

「ちょいと室内の物をくすねるのに……て、良いだろ、今は!」

「それよりも今はお嬢だ!」


 拙者は、とにかく急がなければと、慌ててクロウと一緒に、走り出した。


「しくじった! 登校中も目を離さなければ良かった!」

「クロウ殿のせいではない」


 フンフンと拙者は匂いを嗅ぐ。

 優秀なる拙者の鼻。大切なお嬢の匂いを見逃すはずがない。


「こっちだ! クロウ殿!」


 匂いを辿って拙者がクロウを先導する。

 もしお嬢に害なす悪漢がいるのならば、拙者が一噛みで喰い殺してやる。

 そう意気込んで険しい顔で走れば、辺りで悲鳴が上がる。


 と……。気をつけねば! 大型犬の拙者、険しい顔は人々を怖がらせてしまう。ここで警察に通報されて逮捕されてしまえば、お嬢を探せなくなってしまう。


 落ち着いて笑顔だ。

 はい~。皆様~。拙者は、人間の味方~。可愛らしいワンちゃんですよ~。


「気持ち悪いな。そのツラ」

「うるさいな。小柄なカラスには分からん辛さが、拙者のような大型犬にはあるのだ!」


 クロウとヤイヤイ言い争いながらも、お嬢の匂いをたぐる。

 匂いはドンドン強くなる。

 怪しい輩の匂いは今のところしないが一体どうしたというのだろう?


 お嬢の匂いを辿っていけば、いつもの公園にたどり着く。


 拙者の特訓でへたばって突っ伏していたあのベンチ。

 ハラハラとお嬢が一人で泣いていた。


「ワン!」


 お嬢に声をかければ、お嬢が泣き顔をあげる。

 真っ赤な目。

 可哀想に。


「ヘルメス? どうして? お父さんは?」


 拙者が一匹でここに来たとは思わないお嬢は、キョロキョロと御父上を探す。


「まさか一匹で? やだ、抜け出して来たの??」


 良かった、迷子にならないで。なんて、拙者の身を心配している場合ではないぞ、お嬢! リレーが始まってしまう!


 幸い、リレーとやらは、クロウが収集した情報では、クライマックスの最終競技。まだ今すぐ学校に向かえば、間に合うはずだ。

 

 グイグイと拙者が袖を引っ張れば、お嬢は、拙者の気持ちを察したようだ。


「ちょ、ヘルメス! もう良いのよ……」


 もう良いとは? どういうことだ? お嬢よ。

 あんなに頑張って勝ち得たリレーの選手の権利なのに。


「運動会の後、すぐ引っ越すの。私達」


 御父上と御母上が話しているのを聞いてしまったのだそうだ。引っ越しは避けられない。ならば、もう杉下君とは会えなくなる。


「リレーなんかしても無駄じゃ無いかと思うと足が進まなくなって涙が止まらなくなったの」。と、お嬢は、拙者に語る。


 お嬢……。

  

「あーあ。残念だったな。せっかく俺達も手伝ったのにな。こりゃどうしようもねぇや」


 クロウは、ため息をつく。


「いや……違う」


 拙者は、スクッと立ち上がり、お嬢を引っ張る。


「ちょ、ヘルメス!」


 無理矢理お嬢を引っ張る。引っ張る! ひ、引っ張る! つ、強いな、お嬢。ちと特訓し過ぎたか。


「お、おい? 脳筋??」

「最後ならばこそ! ならばこそ走らねば一生後悔するのだ!」


 ここで諦めたら、お嬢はこの先、努力は無駄だと感じてしまう。そんなの良くない。

 たとえ杉下とは仲良くなれなかったとしても、ここでリレーを走るのは、決して無駄ではない! 少なくとも拙者は、そう信じている!


「ヘルメス……」

「ワン!」

「諦めるなって言うのね?」

「ワン!」


 しばらく考え込んでいたお嬢がギュッと拙者を抱きしめてくれる。


「ありがとう。ヘルメス。そうよね。せっかく頑張ったんだもの」


 良かった。お嬢に拙者の想いが通じたようだ。

 お嬢が学校に向けて走り出す。当然、拙者とクロウも、その後を追う。


「俺が先に行く! 運動会の進行を止める!」


 スイッとクロウが、翼を広げて先に飛んでいった。


 お嬢が全力で走る。拙者も走る。

 公園から学校は遠い。間に合うかどうか分からない。


「もう、もう無理!」


 無理じゃない! きっとクロウが何とか頑張ってくれている。

 その頑張りに報いるためにも、どんな結果になろうとも頑張って走らねば!


 お嬢が諦めそうになるたびに、拙者はお嬢を鼻で突っつき袖を引っ張って励ます。

 諦めない。それが今のお嬢には、一番大切なことのはずだ。


 ようやくたどり着いた学校。リレーの時間はとっくに過ぎているはずだ。

 だが、何やら様子がおかしい。

 学校中が笑いに包まれている。


 何事かと見れば、騒ぎの真ん中にはクロウがいる。

 クロウが何かを咥えて運動場を飛び回っている。

 その後ろを教師と思しき大人が数名、大慌ての様子でクロウを追いかけている。

 皆はどうやら、その様子を見て笑っているようだ。


「校長先生のカツラだ……」


 お嬢の言葉を聞いて、クロウが咥えている物を見れば確かにそうだ。

 ありゃ、カツラだ。


 クロウを追いかける校長先生の頭が日光を反射してキランッと輝く。


 ますます校内は、笑いに包まれる。

 もはや競技は中断され、先生達はクロウを捕まえようと躍起になっている。


 お嬢は、この混乱に乗じてクラスに潜り込む。

 どうやら間に合ったようだ。


「杉下君! リレーは?」

「二階堂さん! 良かった! 間に合ったんだね!」


 そんな会話が聞こえてきた。


「ワン!」


 拙者がクロウに合図を送れば、クロウはカツラをポトンと校長先生の頭の上に落として飛び去った。


 ――ダイレクトキャッチ!


 綺麗に校長先生の頭にカツラが被さったのを見て、運動場は、またドッと大きな笑いに包まれた。


「競技を再開する!」


 教師の言葉にバタバタと運動会は再開され運動会は無事終了した。


 お嬢のクラスは、リレーで優勝した。

 だが、やはりそれだけでは恋は実らなかったようだ。


 引っ越し当日、寂しそうなお嬢。

 手に持っているのは、クラスの仲間で優勝した記念に作ったキーホルダー。


「ヘルメス、私諦めない。お父さんが、この街に戻れるように転属願い出してくれるって約束してくれたの」


 お嬢は今回の引っ越しは仕方ないとしても戻ってくる方法はないかと、御父上に相談したらしい。ダメだったら高校生になってから一人暮らしする覚悟だったそうだ。以前のお嬢なら、とても出来なかったこと。

 何事にも諦めない勇気をお嬢は手に入れてくれたようだ。


「ワン!!」


 拙者は、そんなお嬢に心からのエールを送った。

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拙者、お嬢の忠犬なり! ねこ沢ふたよ @futayo

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