4話 マリオネットに花束を
あの日、比羅澤 奏斗は2つの願い事をした。
1つは死ぬこと。
そして、もう1つは生きることだった。
1つ目の願いを叶えるために生まれた死神が、雛菊 彩寧だった。彼女は奏斗が求める幸福を与え、奏斗の願いを叶えることだけを目的としていた。そして死神ゆえに、彼女は奏斗を愛した。それと同時に奏斗も彩寧を愛した。そして少しづつ、彼女は人として奏斗と生きることを望むようになった。しかし最期は、死神の運命に抗えず悪魔に身を堕とした。
2つ目の願いを叶えるために生まれたのが私だった。私は橘 花桜の名前で彼の近くで見守ることにした。彼が試練を乗り越えられるかどうかを。だけど上手くいかなかった。死神が与えようとする死を回避しながら、生きるための試練を乗り越えるのは至難の業だろう。私は半ば諦めていた。彼には生きて欲しいとそう思いながら、彼もまた死を望むのだろうと思っていた。
それでも、彼は試練を乗り越えた。
私が彼に与えた試練は1つ。
自らの望みを自覚し、受け入れること。
言い換えれば、自分に素直になるということ。
私は彼の望みを叶える義務がある。
だから私は、彼の選択を待っていた。
まさか、死神と生きたいと言うとは思わなかったけど。それもまた、奏斗らしいのかもしれない。
「奏斗、私の名前を呼びなさい。
そうしたら、お前の願いを叶えてあげる。」
悪魔に堕ちた死神までもを救う力は、今の私には無い。だけど、もし彼が私の真名を呼ぶことができたら、私は彼に応えることができる。
「お前の、名前は………………。」
彼は聡い。きっとこの瞬間に、私の名前を呼ぶ意味を理解したはずだ。だけど時間が無い。奏斗が生きようともがくたび、あの悪魔は奏斗を強く引きずるのだ。
「迷うな、奏斗!私は、ずっとそばにいたはずだ。お前しか知らない、私の名前を!」
底なしの闇に落ちかけた奏斗に手を伸ばす。しっかりとその手が繋がれた時、奏斗は大きく息を吸って叫んだ。
「シェーラ!」
彼女の水色の瞳を見たとき、俺は安心したんだ。それから、夢の中で時々聞こえた声。その声が、橘 花桜の声だと気づくのは時間がかからなかった。
俺が彼女の名前を呼ぶと、彼女は満足そうに笑った。その笑顔は、どこか彩寧に似ているものがある。
直後、辺りの暗闇は晴れて、青い空から穏やかな雨が降り注いだ。しかし、その雨が俺たちの肩を濡らすことはない。
理由はわかっている。
シェーラとは、水の妖精の名前だと祖母が言っていた。きっとこの雨はシェーラが俺たちのために降らせた雨。思い返せば、轢かれかけた時に彼女に呼び止められたのも、バケツの水が俺にかからなかったのも、零れた水がいつの間にか無くなっていたのも、全部彼女のおかげだったのかもしれない。それなのに俺は、彼女に酷い態度をしてしまった。
「夢から醒める時間よ、奏斗。」
「あぁ。」
橘 花桜は、俺たちを残して去っていった。屋上の冷たい床の上で眠っている彩寧。もしも、橘 花桜がいなかったら。もしも、雛菊 彩寧がいなかったら。
俺は、ここにいなかっただろう。
翌朝、彩寧はいなかった。代わりにまた橘 花桜と会った。そして、彼女はこんな話をした。
「神というのは案外身近にいるものよ。それに、私たちは人間と大きな違いは無い。ほんの少し、特別な力が使えるだけ。」
「水、とか?」
「そう、私は水を使う。それから、神様なら大体は声を使えるわ。強制力のある声。私のはあまりに強くないけど、それでも動きを止める程度のことはできるわ。雛菊 彩寧は私より声の力に長けていた。お前だけでなく、その周りの人にも自分がこの学校の生徒だと思い込ませていたなんて。」
橘 花桜は溜息をつく。
「お前も、あの本を読んだでしょう?」
「あの本って………………?」
「神様の真実。あれは雛菊 彩寧が用意した、小さな抵抗だった。」
奏斗、お前のような強く願った人のことを私たちは願い人と呼んでいるわ。願い人が現れると、それぞれに合わせた神が選ばれる。そして、誰よりも近くで願い人の運命を見守ることになるの。そのために、願い人に出会うと私たちは力を得る。さっき言った、水とか、声とか、そういうのね。
願い人と神様は、強い縁で結ばれている。時々私たちは願い人の生活に干渉して手助けをするのだけれど、ごく稀に強い力で願い人を操ろうとする者もいる。それが、死神よ。
愛という強い縁で結ばれたがために、願いを叶えることに夢中になる。願い人の幸せが死神の幸せ。故に、どんな手を使ってでも終わりへと導こうとする。
「マリオネット、と聞いたことがあるかしら?あれは、死神が願い人を呼ぶときに使う言葉よ。弱い弱い縁で結ばれて自分の思うままに操れる存在、という意味だと聞いたけれど、本当に操られているのはどちらかしらね。死神と願い人は言わば運命共同体。死ぬときは一緒、生を望めば共に滅亡。結局、私たちは皆、運命に操られたマリオネットにすぎないのよ。」
「それなら、一体誰が運命を決めるんだ?」
ふと思い浮かんだ疑問を口にしてみる。
「さあ、知らないわ。だけど、私たちの結末は初めから決められていたのは間違いないわ。運命に抗うなんてバカバカしい。私たちには、何もできないのよ。さあ、行きましょう。」
橘 花桜はそう言うと早足で校舎へと入っていった。それを追いかけるように俺も教室へと向かう。ざわめく教室。ホームルーム開始の鐘と同時に、扉が開かれる。
「今日は転入生の紹介からだ。」
担任は、誇らしげに言った。それから少しして、おずおずと開かれた扉から、見慣れた横顔が現れる。息を飲む声が静かに響く。
「初めまして。雛菊 彩寧と言います。」
そう、これが橘 花桜が叶えてくれた未来。彩寧と、生きる未来。きっと周りの誰も覚えていない。一昨日も彼女がここの生徒だったこと。そして、俺たちだけが知っている、神様の真実。
人は都合のいい出来事を幸運と呼び、都合の悪い出来事を不幸と呼ぶ。
人は努力が報われると運が良かったと謙遜し、報われなければ運が悪かったと慰める。
この世界に、人々が望むような神様はいない。
身勝手で、傲慢で、人々に憎まれ、あるいは親切で、控えめで、人々に愛される。神様とはそういう、人間に最も近い存在なんだ。
「それじゃあ、雛菊さんは比羅澤君の隣の席だから、みんな仲良くな。」
適当くさい担任の言葉なんて気にせず、クラスメイトは皆彩寧に夢中になっているみたい。だけど、それでいい。
「奏斗。」
「どうしたの、彩寧。」
「これからも、よろしくね。」
彩寧が笑う。つられて俺も笑う。
「なんだ、お前たち知り合いだったのか?それなら早く言ってくれ。校舎の案内は比羅澤君に任せるから。」
校舎の案内?と首を傾げる彩寧がおかしくて、それから温かい気持ちでいっぱいになる。
これは、俺が選んだ未来。
そして、俺が望んだ結末。
たとえこれが知らない人が決めた運命だとしても、後悔はない。
俺たちの物語はこれからも続いていく。
誰にも知られないとしても、ずっと。
これは、彼らが紡いだ物語。
彼らの運命を見届けたあなたへ。
残す言葉はただ一つ。
マリオネットに花束を 蒼井 芦安 @Aoiroa
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