私を好きになって

アイノカタチ

　あ、来た来た。先輩、こっちです！

　もー、レディを自分から誘っておいて待たせるなんて酷いですぅ。そんなんじゃダメですよ。女の子に嫌われちゃいますよ！

　あっ、露骨に落ち込みましたね。まあ当然か。今から恋愛相談するんですもんねー。

　えへへ。その顔は図星でしょ。それくらい分かりますって。何でってもう、そんなこと言わせないでくださいよぉ。私と先輩の仲じゃないですか、なんちゃって！

　おっと、注文が来ましたね。

　先輩が遅すぎるからカプチーノ頼んどきましたよ。いつもカフェオレだけどたまにはいいでしょ？

　ふふ。気に入ってくれたみたいで嬉しいです。

　それで、相談の内容は？

　ふーん、なるほど。気になる人を振り向かせるにはどうしたらいいか、ですか。随分とありきたりな質問ですね。私じゃなくてもいいでしょそれ。

　ちょっ、橘が一番信用できるからだなんて、、、えへへ。そんな事言われても笑顔ぐらいしか出ませんよぉ。信頼してくれるのは嬉しいですけど、私はそんなに綺麗な人間じゃないですって。

　まあ、先輩の頼みなら仕方ないですね。その悩み私が解決しましょう。私は先輩の味方ですから！

　そうですね。客観的な意見として、やっぱり好きな人を振り向かせるってのには何らかの魅力が必要不可欠です。顔にお金にエトセトラ。人間的な魅力は絶対条件ですねー。

　寧ろある程度の条件が揃って、ようやくスタートラインって感じかな。厳しい言い方になりますけど、最低ラインを満たさない限りどんなに頑張っても無意味です。

　まあ先輩に関して言えば、、、包まず言います。人柄は良い。顔は中の上。金銭面の問題もなし。ギャンブルや酒もやらないし清潔感もある。正直スペックは悪くないです。でもね、根本的な問題があるんですよねぇ。

　分かってるんでしょ。自分のコミュニケーション能力が壊滅的だってこと。

　結局これのマイナスが大きすぎるんですよねー。

　どんなに魅力的でも人と話せなかったらお終いですもん。今日私を誘ったのはそれをなんとかしたかったってのが理由でしょ。ふふ。そのリアクションは当たりってことでいいですね。続けます。

　一言で言うと、厳しいです。二十年かけて形成された性格ってのはそう簡単には変われません。突然コミュ強陽キャになるなんて都合が良すぎる考えですよね？

　陽キャってのは結構大変なんですよ。八方美人を極めた生き物ですからね。苦手な奴とも上手く付き合っていかないといけない。人との関わりを避けて生きてきた人間が簡単に変身できるようなものじゃないんです。

　ほら、試しに今日の私を褒めてみてくださいよ。

　服が可愛い、ですか。嬉しいです。でも赤点ですね。お前は不細工だと暗に言っているみたいなものです。もっとこう、ありませんか？

　なんかいつもと雰囲気が違う、か。酷すぎますね。小学生のお世辞以下。

　はあ、残念。まあいいや。先輩にそういうのは期待してないですし。

　これで分かったでしょう。やっぱりキラキラ陽キャへの道のりは厳しいって。

　ふふふ。心配しないでください。先輩の考えてることなんて大体お見通しですからね。当然、解決策を考えてきましたとも！

　こんなにできる後輩を持った幸せを噛み締めながら聞いて下さいね！

　それでは結論から。催眠術ってのはどうでしょう。

　その狐につままれたような表情。必死に考えてきた甲斐がありました。予想通りの反応でとっても嬉しいです。

　催眠術と一言で言ってもなかなか奥深くてですね。世に蔓延るものの殆どは眉唾モノです。テレビで下らない奴やってるじゃないですか。あんなのは詐欺ですね。

　でもね、本物の催眠術っていうのは実在するんですよ。

　暗示ってあるじゃないですか。俺は天才だと思い込むことで恐怖心が消えて、これまでできなかったことが可能になるみたいな。あれと原理自体は同じです。もっと高度に、魔法と見紛うまでに昇華させたのが催眠術って呼ばれるものになります。

　やっぱり疑ってますね。でもなー。事実だからなー。

　そうだ、こんな逸話を知りませんか？

　昔、ある罪人を使った実験が行われました。研究者達は罪人に『人間は血液の三分の一を失ったら死ぬ』と伝えました。そうして研究者は罪人の脚にメスを入れたんです。水滴がバケツにポトポトと滴る音が数時間続きます。そうしてある時、研究者が言いました。「血液が三分の一とれました」ってね。

　それを聞いた罪人は静かに息を引き取ったんです。

　この話には恐ろしい真実がありましてね、実は研究者は罪人にメスなんて入れてなかったんです。ただ痛みを与えただけ。バケツに滴り落ちる水滴の音はただの水の音でした。

　分かってくれました？

　思い込みは簡単に人を殺すことができるんです。ノーシーボ効果って言われてます。同様の事例は多くあって、自分を不幸だと信じ込んでる人は本当に不幸になるって研究結果もありますね。

　その逆。小麦粉を練った玉でも良薬と信じ込んで飲めば病気が治る、みたいに思い込みで良い結果をもたらすのがかの有名なプラシーボ効果です。

　どうです？　こんな話を聞くと催眠ってのもあながち鼻で笑い飛ばせないでしょ。

　実際の高度な催眠ってのは五円玉を揺らしたりなんかはしません。会話での身振り手振り、部屋の物の配置、光や音響なんかも使って相手の思考を自然に誘導するんです。手品師の手口と似てますね。

　熟練にもなると対象を意のまま自由自在に操れるんですよ。別に魔法なんかじゃありません。人間の脳の仕組みに基づいた科学的な技術です。

　外部からの刺激で脳をハッキングするって表現が一番しっくりきますね。故に対策がしっかりしてればバレるし抵抗される、諸刃の剣です。

　さて。前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

　今から先輩に催眠をかける、なんてどうです？

　大丈夫。自己肯定感を上げるだけですよ。そうすれば自分に自信を持ててコミュ力アップ間違いなしです。ね、簡単でしょ？

　だから、そんなに怖いものじゃないんですよ。心配しないでください。私が先輩のためにならない事をしたことあります？

　え？　気持ちは嬉しいけど俺は自分に正直でありたい、ですか。はあ、まあビビりな先輩ならそう言うんじゃないかって思ってましたよ。それじゃ、これで話はお終いです。

　怖がらせちゃってごめんなさい。

　私に失望しました？

　帰っちゃうんですか？

　残念。寂しいです。

　私は先輩の味方なのに。

　仕方ないか、私みたいな女じゃ。

　本当にごめんなさい。

　気持ちは伝わった、ありがとう、ですか。

　ふふ。嬉しい。

　それじゃあ、さよなら。先輩。

　あれれ？どうかしました？

　帰るんじゃないんですか？

　ふふ。当ててみせましょう。

　ずばり、体が動きませんね？

　あははははは。

　まさか、ですって？　はい。そのまさかですよ。流石にそこまで鈍感じゃないか。

　でも、気づくのが遅すぎます。

　振り返ってみて下さい。ヒントは散りばめてましたよ。

　言ったでしょ。催眠術っていうのはちょっとした日常動作で誘導できるんです。私が上手いのか先輩が鈍いのかは知らないけど、バレなくてよかったぁ。ずっとヒヤヒヤしてたんです。

　ところでこの店、お洒落でしょう。私の親戚の店なんです。不思議じゃなかったですか？　私がいつものカフェじゃなくてこんなに遠くの喫茶店を指定したの。飾り付けやテーブルの配置はね、私が考えたんですよぉ。

　そう。全てはこの瞬間、先輩を催眠に堕とす時のためにね。

　意識を残したまま行動を制御するのは催眠術の中でも最高難易度なんです。いやあ、ホントに成功して良かったぁ。

　えへへ。凄いでしょ！

　褒めてくれてもいいですよ！

　まあまあ、そんなに怖い顔をしないでくださいよ。

　私はね、ヒントや抵抗の機会は与えてたんですよ？

　失敗したら大人しく身を引くつもりでした。

　なのに、先輩は抵抗しなかった。

　それって実質、先輩を私の好きにしていいって事ですよね？

　ふふふ。返事をしないってことは認めてくれたとみなします。

　あ、返事はできなかったか。

　さて。私が先輩にかけたのは、とある行動をプログラムする催眠です。

　大丈夫ですよ。あと5分くらいで全部が終わって催眠は解けます。

　ふふ。何をさせるんだって表情ですね。まあ簡単なことです。そろそろ分かると思いますよぉ。

　右ポケットに手を入れて。

　スマホを取り出して。

　意思に反して体が勝手に動く気分はどうですか？

　こんなに可愛い後輩に操られるなんて先輩は幸せ者ですね！

　さあさあ、スマホのロックを解除して。

　通話を開いて。

　ふふ。顔が青くなってきましたね。

　可愛いです。

　さてさて、誰に電話するか分かってきましたか？

　何か言いたげですね。

　そんな顔しないでくださいよぉ。先輩がいけないんです。私がいるのに他の女に騙されて、あまつさえ恋なんてしちゃうから。だからこれは、仕方ないんです。

　言ったでしょ。私は綺麗な人間じゃないって。

　だからこれは、ほんのお仕置きです。ぜーんぶ、先輩のためなんです。

　ほら、さっさと先輩を誑かすクソ女に電話して、暴言吐いちゃってください！

　その間に私は先輩の秘蔵映像を全世界に公開しておきますね！

　大丈夫。先輩は今日から人類全員の敵だけど、私だけは先輩の味方だから！

　ねえ先輩。どうして私がこんなことしてるか分かります？

　でしょうね。先輩、鈍感だもん。

　答えは簡単です。

　私は先輩が大好きなんです。だからリスクがあっても意識は奪いません。無理やり私に惚れさせるのは嫌。先輩に自分から私の事を好きになってもらいたいんです。

　私と先輩。二人だけの世界なら、先輩は私しか好きにならない。

　もう一度言いますよ。

　先輩、大好きです。

　えへへ。楽しみですね。

　もうすぐ先輩は私だけのもの。

　私は先輩だけのものになるんだ！

　心配いりませんよ。先輩はただ私に身を委ねるだけでいいんです。

　ずーっと一緒ですよ。私だけの大好きな、せ・ん・ぱ・い　♡

　それじゃあ手始めに、目障りなクソアマから先輩を救ってあげます！

　、、、ええっと、どうして私の携帯が鳴ってるんですか？