【郷倉四季】質問3 倉木さんが影響を受けたラノベはなんですか?


 吉川浩満の「哲学の門前」に「人間っぽいAIとAIっぽい人間」という章があります。

 ここで、カール・マルクスの「人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である」という一文が引用されています。

 どういうことでしょうか。

 吉川浩満は以下のように説明します。


  たとえば、チンパンジーは仲間同士で毛づくろい(グルーミング)と呼ばれる行動をしますが、これは単に互いの毛並みを整えているのではありません。霊長類学の研究によって、毛づくろいは仲間同士の協力関係や順位制を維持したり紛争を解決したりするための社会的コミュニケーションでもあることが明らかにされています。このような認識が可能であるのも、そもそも私たち人間自身がコミュニケーションに関する高度な理論と実践を身につけているからにほかなりません。人間の解剖は猿の解剖に役立つのです。


 そして、吉川浩満はこの構図は人間と人工知能(AI)にも当てはまるのではないかと書きます。「人工知能は、人間の知性をモデルにつくられた、言ってみれば次世代の「高級」な知性(の候補)」だから、と。

 この「「高級」な知性(の候補)」であところのAIについて、倉木さんのご質問によってここ数週間ほど考えてきました。

 結果、僕が得た実感は「少なくとも小説家志望くらいは本をいっぱい読むべきだよな」でした。

 前回の回答でも書きましたが、AIにおいて重要になるのは「学習」です。ネットで読める文章だけを学習させれば解像度の低い文章を吐き出す生成AIが完成するわけですから、人間は可能な限り良質な文章を読んで解像度の高い文章を目指すべきなのではないかと思う次第です。


 同時に僕が興味深く思うのは生成AIは文章を学習しなければ文章を生成できませんが、人間は映画やアニメ、ゲームの「学習」によって文章を書く(書こうとする?)人がいることです。

 もし仮にAI的な価値観に基づくのなら、小説家を目指すのなら小説や文章で書かれたあらゆる本を読むはずです。しかし、現実に小説家志望の人たちを観測する限りはそうではありません。

 AIはこの一見不可解な事実に対し、どのような解答を持つのか気になるところですが、今回は僕なりの解答を導き出しそれを質問にしたいと思います。


 最近、X(旧Twitter)にて「ライトノベルの解説本企画において、作家に「あなたが影響を受けたラノベは?」と聞くと、コメントを断られることが多いと仄聞する」というポストがありました。

 このポストを読んだ時、ふと「あなたが影響を受けたアニメやゲームは?」と尋ねた場合もコメントは断られたのだろうかと疑問に思いました。

 作家の読書道というウェブで読めるインタビュー記事があります。この企画が僕は好きなのですが、小説家になる人は誰も彼もが本当によく本を読んでいるんです。

 例えばですが、「ライトノベル作家の読書道」という企画をした時、それは成立するのでしょうか。先程のポストを踏まえると難しいのかも知れません。

 しかし、同時に「ライトノベル作家のコンテンツ道」にしてアニメや漫画、ゲームなんかを縦横無尽に語ってもらう企画にした場合は、なかなか盛り上がるのではないでしょうか。


 これは作品で何を大事にしているかという話なのだと思います。

 ライトノベルはどれだけ魅力的なキャラクターを書くかやワクワクする展開をスムーズに読ませるかが重要になっているコンテンツです。可愛い女の子を考える時に大江健三郎や三島由紀夫を読んだりはしません。

 それよりは流行りのアニメをチェックしたり、話題のアプリゲームをプレイする方が読者のニーズを意識することができるはずです。


 ちなみに、今年の2月にファンタジア大賞、電撃小説大賞、スニーカー大賞の各大賞作品が出版されて話題になっていました。ご存じですか?

 2月1日に第28回スニーカー大賞〈大賞〉受賞作として凪『人類すべて俺の敵』(スニーカー文庫)が、2月10日に第30回電撃小説大賞〈大賞〉受賞作の夢見夕利『魔女に首輪は付けられない』(電撃文庫)が、2月20日に第36回ファンタジア大賞〈大賞〉受賞作として零余子『夏目漱石ファンタジア』(ファンタジア文庫)が刊行されました。

 あらすじを読み限り電撃文庫が王道でシリーズ化しやすそうで、スニーカー文庫はタイトルでちょっと損をしてそうだけど設定は面白い、ファンタジア文庫はニッチな読者を獲得すれば人気になりそうな印象でした。

 まだ読んでいないので何とも言えませんが、各レーベルの特色を現したバラエティーに富んだ三作に思えます。


 あえて注目するのなら『夏目漱石ファンタジア』ですかね。漫画ですが、『文豪ストレイドッグス』も人気ですし、過去の文豪をキャラ化した作品は今後も需要はあるのではないかと思います。

 同時にライトノベルで言えば「文学少女シリーズ」もありましたし、文学作品をあえて扱うことは読書の幅を広げるきっかけの一つにもなるのでしょう。


 さて、本当は「葬送のフリーレン」と「ダンジョン飯」を絡めて「ゲーム的世界観を前提とした」作品について質問をしようと考えていたんですが、はじめにAIの話を絡めてしまったせいか、小説家とライトノベル作家の違いみたいな話になってしまいました。

 なので、「ゲーム的世界観を前提とした」作品の話は別の機会にして、今回の質問は「倉木さんが影響を受けたラノベはなんですか?」にしたいと思います。


 と質問する以上、僕が影響を受けたラノベはなにかを考えてみました。『アリソン』からはじまる「一つの大陸の物語シリーズ」と「文学少女シリーズ」と『カレとカノジョと召喚魔法』の三つを挙げたいと思います。

 三つに共通しているのは、良かれと思ってしてしたことの責任を取ろうとする物語だと言えます。

「一つの大陸の物語シリーズ」は『アリソン』で二つの国で起きていた戦争を止めて(一つの大陸に)してしまったこと。

「文学少女シリーズ」は好きな女の子に向けて書いた小説で作家デビューしてしまったこと。

『カレとカノジョと召喚魔法』は幼馴染の女の子が事故で動かなくなってしまった足を悪魔と契約して治してしまったこと。

 三つとも悪いことではなく善いことなんですが、それによって不幸になる人がいて、世界そのものも変えてしまう。そして、それには責任が生じてしまいます。

 責任を負うこと。それが大人になる一つのプロセスなんだと僕はライトノベルを通して学んだように思います。

 そういう意味で僕はライトノベルを十代の頃に読んでいて本当に良かったです。

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