【郷倉四季】回答2 作家VS AIとなった際に、何が勝てるのか、そしてどんな風に付き合っていくのが正解か?
【人物紹介】
郷倉四季
最近、引っ越しをした。姫路市内の移動だが、気持ち新たなに頑張ろうという気持ち。妻の実家がリフォームする兼ね合いで、妻が子供の頃に使っていた学習机を引き取ることになる。僕の小説を書くスペースは今後、妻の学習机になる予定。ここで、名作を生み出すぞ、という気持ち。
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質問内容はAIについてですね。
僕はあんまり詳しくありませんので、その点ご了承ください。まず、前提として生成AIは単体では何の意味もなく文章を生成するのであればAIにテキスト情報を学習させないといけないんです。
その際に学習させたテキストが問題になって話題になったことがあります。
「『ゲーム・オブ・スローンズ』原作者らがOpenAIを著作権侵害で提訴」
https://forbesjapan.com/articles/detail/66146
ちなみに日本は購入した本の文章をAIに学習させることは禁止されていないらしいんですが、kindleの本は購入してもレンタルの形式になるので学習させてはいけないんだそうです。
現在、日本語の生成AIの精度が低いのは学習させる文章をネットから拾ってきているからです。考えてみれば当たり前で、5chや爆サイなんかの文章を無限に勉強したところで良い文章が出てくるわけがありませんよね。
この辺の知識は「清水亮×東浩紀「2023年AIニュース総ざらい──2024年はどこに行くのか?」(https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231227)」で得たものなので、ご興味があればぜひ。
AIも人間も学習が重要で何を書くかよりも何を読んでいるかに注目すべきなのでしょう。ベートーベンがもしも無人島に生まれて一度も音楽を聴いたことがなければ、交響曲第五番は作曲できないようにインプットなくして価値あるアウトプットは生まれません。
小説家のインタビューを読むとだいたい昔はどんな本を読んでいて、今はどんな本を読んでいるかばかりですしね。
という前置きの上で、今回の内容は「作家VS AIとなった際に、何が勝てるのか、そしてどんな風に付き合っていくのが正解かと思いますか?」ですね。
まず作家VS作家という形になるのかという疑問があります。今触れたように生成AIは前提として学習する必要があります。この学習素材を選別し用意する人が必要です。
そして、その上で生成AIが吐き出してきた作品が読むに耐えうるものなのかをチェックをする人も必要になります。
結局、クリエイティブな大切な部分は人間が担っているという現状があります。作品を作るというプロセスが変わったとしても、結局やることは今と大差ありません。
なにより小説を読むのは人間です。
我々はAIが書いたと言われている小説を楽しめるのか。あるいは、読んで面白かった作品が後からAIが書いたと言われても、その作品を支持することはできるのか。
この辺に関して僕はやや懐疑的です。
東浩紀がAI関係において、よく使う例があります。
異性と楽しくやり取りをしていて相手のことを好きになる。けれど、その相手がAIだったと分かった時、人は何を思うのか?
ここで人は結婚詐欺にあったような気持ちになるんじゃないか、と東浩紀は言います。
僕も同意見です。
結婚詐欺師はこちらとは別の思惑を持って動いていますし、そうであってもやり取りは本物だったし、詐欺師でも好きだと言う人はいないとまでは言いませんが、少ないことは間違いないでしょう。
それと同じようにAIが書いた小説だと言われて読んでも、この人は言うても詐欺師だしなぁと思いながら付き合うのと似たような感じになり、それでも面白いと言う読者は少ないのではないでしょうか。
需要があるのなら作品は作られれば良いし、支持する人がいても良いと思います。ただ、僕から見るとAIは「HUNTER×HUNTER」の「天空闘技場(251階まであり、勝てば上に進める格闘技場)」で言う1階で負けているヤツに見えてしまうんです。
そりゃあ、無茶苦茶に体を動かせば光ものがある!となるのかも知れません。けど、その動きに法則性はなく、ただ無茶苦茶に動いているだけなら、時間と共に誰も見向きもしなくなるのが自然な流れです。
とはいえ、いつかAIも一定の法則性を持つ日が来るのかも知れません。ただ、だからと言って「念」を習得して200階を超えられるのは何百年先の話になるのか。
それよりは人間が小説を書いた方が絶対に早いし、本を読みたい人からすれば世界には先人たちによって脈々と読み継がれてきた小説が無数にあって、それらが図書館や本屋に行けば気軽に手に取ることができます。
現状、AIは敵にまったくなりません。
というような前提で、AIと我々は「どんな風に付き合っていくのが正解か」について考えてみます。
AIが小説を書く時に決定的に足りないものがあります。
それは作家性です。
佐藤究の「Ank:a mirroring ape」という作品の中で、ある女性が電話口でカウンセリングを受け回復した後に、そのカウンセリングをしてくれた人がAIだったと分かるエピソードがあります。その女性はAIだと分かった上で、そのAIを作った開発者を調べて彼に話を聞くためにサイエンスライターになります。
ここで彼女が聞きたいと思っていることは、なぜ私を救うAIを作れたのですか? でした。
彼女はAIという空虚なものに興味は向かわらず、それを作った人間に向けられます。
変な言い方かも知れませんが、人間は人間にしか興味がないのではないでしょうか。
一定の作家性を持った人が学習から携わった生成AIが作った小説。であれば、作家性は担保されつつ、その人に対する興味を持って多くの人が読むことはできるのではないでしょうか。
例えばですが、タモリがAIの学習で学ばせたいテキストをすべて用意し、かつ生成AIから吐き出された大量のテキストを自ら目を通して読めるものに編み直した小説を出版と言われたら多くの人が読みたいと思うでしょう。
これはけれど結局、人間は人間にしか興味がないという帰結でしかありません。AIは人間が使った。そして、使っているのも人間です。
今、AIは盛り上がりを見せています。けれど、それはAIそのものではなく、AIという新しい玩具を人間はどう使うのか、という興味でしかありません。少なくとも僕から見ると、そう見えます。
芥川賞を受賞された作品でAIが使われました。しかし、それは一部分をAIで生成された文章を使ったとのことでした。まだ読めていませんので、どれくらいの濃度だったか分かりません。
けれど、すべてAIが書いた訳ではありませんし、芥川賞の候補に入るほどの実力を持った小説家が使ったから形になったのであって、素人でも同じ価値ある小説が書けるとは思えません。
結論。AIは部分的に使うと便利。更に付け加えますと、それなりに賢く技術のある人が部分的に使うと良いもの。
という感じです。
最後に個人的にAIを活用してみたいことを一つ。
AI関係に関して調べていく中で、AIを使ってノベルゲームを作っている人がいました。これにはちょっと興味が出ました。システムから背景、立ち絵、BGMなんかをAIで作れるのなら、インディーゲームの世界に足の指先くらい突っ込んでみたいなと。
倉木さんご存じですか? 最近、インディーゲーム業界が結構な盛り上がりを見せているらしいんです。
最後の質問の「自分の作品をもっと魅力的に出来る方法がAIの可能性にあるならば」ということですが、小説が書けるという能力を別のジャンルで発揮しようと思った時に使えるのではないでしょうか。
それこそ倉木さんの作品はノベルゲームの枠組みで読ませるように作り替えたら、今までとは違った人たちに認知してもらえるかも知れません。
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