秋に沈む
ヒューリ
第1話 触れないで出会う
『彰人くんって、刺激がないからつまんない』
『彰人君ってチャラい』
『彰人君って、優しんだけどなんかちょっと、こう……引っ張ってくれる感じないよね。頼りないっていうか』
歴代の彼女の辛辣な言葉が常に頭によぎる。告白はされるし、デートはできるのに短期間に3人付き合って3人に浮気されるなんて……とショックを受けていた葛城彰人は友人に別れたことを飲み会で報告していた。
「またダメだったのか?彰人。あの、広告代理店の女」
「ダメだった。うまく行くと思ったんだけど」
「ちな、今回の別れの文句は?」
「"同じ会社の同い年の人の方が出世コースに乗ってかっこいいから"」
「えっ最悪。社内恋愛かよ」
「そう……俺そんなに出世しないように見えるのかなあ?」
「いや……なんかオブラートに包んだ別れ文句だと思う」
オブラートに包んだ別れ文句?と友人に聞くと
「いや、多分……お前なんかやらかしたんだよ。沢山会いたい!って言ってるのに放置したりしてなかったか?」
「いや、僕が会おうって毎回言ってたし。向こうが忙しいからって……」
「じゃあ、優しくし過ぎたんだよ。好きだって確定すると舐めプするタイプだったんだ」
「最悪……俺、ピュアなのに……」
「あれだけ外デート拒否して家デートばっかだったら普通に不安になると俺は思うけどね。お前の抱き人形になるのは嫌だったんだろ」
「抱き人形……微妙な表現するね」
「最近そういうのさ、色々言われるからな」
「……つまり、体目的だと思われて俺は振られたわけね?」
「うん。まあ、俺もいつ注意しようかと思ってたけど」
「早く言ってよ」
「お前は恋愛すると人の話を聞かないじゃん?」
「そんなあ」
飲み会で友人と彼女談義で盛り上がったあと、俺は友人が結婚することを招待状で知った。
*
「彰人、いい加減にしなさい。転職したばかりなのに仕事が終わったら引き込籠って。運動でもいいしお茶でもいいから外に出かけなさい。お父さんだってジムに通って体鍛えてるのに」
「いやだよ……もう、仕事場の人間関係しんどいし……何もしたくない」
「おじさんになるわよ」
「おじさん……」
友人の結婚式と披露宴をソロで出席して物凄くダメージを受けた俺は、それから一念発起して資格を取り、転職に成功した。そこまではよかった。だが、今までと全く違う業種に転職したために、コミュニケーションが取れず仕事はなんとかこなすが以前より怒鳴られていることが多くなった。家に着くとほぼ倒れている。そういう生活が1年半になり、親がしびれを切らしたように運動や気分転換をしきりに勧めてくるようになった。
(ジムか……でももう動くのしんどいし)
職場の年齢層は結構高めだ。美人は多い。だがもう恋愛も友人づきあいもいらない……と悲観的に仕事を選んだせいか、まるきりドライな関係性の業種に飛び込んで、忙しくて飲み会もほとんど出席する体力がない。前は友人とかなりの頻度で飲んでいたのに、今は会社の飲み会や研修でしか同期と会わない。連絡は取れるのだが、職場的にハラスメントに対しては厳しいようだ。社内恋愛の話はやっぱりあるが、密やかだ。前職のオープンさは何だったのだろうという感じだ。だれそれが付き合った、別れた、という話は職場では聞くのだけれど結局どうなったのかまでは知ることができない。前は結構はっきりわかっていたらしいのだが。
「そんなことより仕事が辛いんだよ」
「じゃあ転職しなさい」
「いやだよ。やっと再就職したんだし」
「そうね、前の職業より手堅いとこでよかったわね。頑張りなさい」
「母さん……」
ああ、母の息子に対するどうでもいい感にちょっぴり居場所のなさを感じる。もうじき30になる息子が未だに実家暮らしなんて恥ずかしい、という母の態度は誠にごもっともなのだが、激務で家事をする能力に乏しい俺が一人暮らしができると思うのだろうか。
(俺、こんなにメンタル弱かったかなあ……)
恋愛している時は結構強気だった。友人が結婚してからダメになった。黙って付き合って黙って結婚した友人を信じていたから、裏切られた感が強かったのかもしれない。人それぞれの人生だから、とは思えども結局、男同士では友人と言っても競争相手なのだなあ、と思うとやっぱり女性の方がいいなあという気がしてくる。
(女の子の方があったかいし、優しいし、いい匂いがするから癒されるし)
たぶん、挑んでこない女の子と付き合えればいいのだ。俺は男同士の戦いに辟易しているけど、社会はそういう戦いに生き残る男が出世する社会構造だ。それは俺のせいじゃないし、社会構造がこれから変わるとしても、結局男同士は戦わざるを得ない。
戦いたくて戦っている男もいるだろうが、友人のように黙って結婚して出し抜いていくのが普通なのだ。黙って出世したり。俺もそうすればいいだけのことなのだが、そういうちょっと狡いことをすぐ思いつかない気の弱さが俺の欠点だった。
「そんなにめげなくてもいいだろう、彰人。お前に朗報を持ってきたぞ」
悲しみに暮れながらソファでクッションに顔をうずめていると、帰ってきた父親が鞄をソファにおいて俺に話しかけてきた。
「父さん。お帰り」
「ただいま。随分な顔色をしている。激務なのはわかるが体調管理がそれでは体を壊して転職一直線だぞ。そんなにつらいのか?」
「……職場の年齢層が結構高くて。美人が多いけど社風もドライだし。テンション高く仕事する業務量じゃないんだ」
「お前は前職で遊び過ぎていたんだ。人脈とコミュニケーションで仕事が取れるのは若い一時期まで。お前の年齢ではもうそれは難しい。友人が結婚しなきゃならなかったのは結婚というカードが仕事では有用だからだという事をお前も理解しなさい」
「わかってます……」
しょんぼりしながら父親の言葉にうなだれていると、父が肩を叩きながらこちらに来なさい、というのでしぶしぶソファ立ってダイニングテーブルの椅子に座る。
すると、そこには部屋のパンフレットのようなものがあった。
「これ、なんですか?父さん」
「リノベーション物件のパンフレットだ。間取り図もある。どれがいい、彰人」
「え?」
「だから、部屋だよ。お前はこれから二人暮らしをするんだ。家族以外と話せばお前ももう少し考えが変わるし、友人づきあいを考えるだろうと思ってね。親戚と同居してもらうよ。親戚って言っても、最近養子に来たみたいだからほぼ他人だけど」
「え?親戚で養子?どういうことですか?」
俺が慌てると、母さんがまあまあ、とアイスティーをすすめてくる。とりあえず頂いて飲み干しながら父さんにもう一度聞くと。
「お前より一つ下の子がさ、前の会社でものすごいセクハラにあったらしいんだ。しばらく恋愛はいらないし、その子は月経痛が酷くてなかなか働くのが大変らしいんだよ。結婚したいけどセクハラが原因で男性恐怖症だし、一人で暮らすにはちょっと大変だと相談を受けてね。彰人も恋愛要らないと言ってるし、2LDKなら個別で部屋もある。他は共同でもいいでしょ。彼女は男避けが欲しいし、お前は彼女が出来るまでそこで暮らせばいい。家賃や水光熱、食費は折半だ。他は彼女と相談して決めて」
「え?あの、俺の意見とかは」
「求めていない。これはもう決まってるし。お前の女癖の悪さと性格を叩きなおして真人間にしてもらういい機会だ。その子はお前が彼氏のフリをしてくれれば今の仕事を続けられそうだから」
「どういうことなんですか?」
「なんかねえ……そのこ、アダルト系の女優さんに似てるから勘違いされるらしいんだよ。何もしてないのは調査済み。私の親族なのにそういう事言われるのも困るし。まあ、そういう事ならある程度の容姿あるってことだろうから。お前もまず、会ってみようか」
「は、ハイ……」
お前が彼女で大丈夫なら、部屋を借りるからね。来月の28日に有給申請してね、と父親に笑いながらすごまれ、俺は悩む時間がされに増えた。
*
そして迎えた8月の終わり。テラス席のオープンカフェで俺は目の前の小柄な女性とまるで見合いのような体裁を整えられていた。
「葛城彰人です。29です。初めまして」
「えっと……日高、沙雪です。32です。すいません、うまく話せなくて」
「いえ」
(あ、ほんとにあの動画の女優さんに似てる)
これは見る人によっちゃ、困るだろうなあと俺は思った。小さくて細っこいが出ているところは出ている。頑張って隠しているのだろうが、経験数が多い男はこの人の体型はわかりそうだ。髪からふんわりフローラルな感じの香りと、若干汗のにおいがする。俺より上のお姉さんだ。同年代から年下と大体付き合ってきた俺からすると全く未知の人である。
「あの、前の会社で大変だったって聞いたんですけど」
「……はい、ちょっと、大変で……」
怯えている感じが見える。前は長い髪だったそうなのだが、わざわざ切ったらしいし、眼鏡をやめてコンタクトレンズにしたそうだ。俺が彼女に振られたことなどを話すと大変でしたね、と言った後にふんわり笑っている。
(あ、これマッチングアプリで好感触な反応だ。久しぶりにこの反応見た)
前は結構チャラい服を着てデートをしていたのだが、今回の俺は彼女が男性恐怖症という事で、威圧感のなさそうな服を着ている。俺のほうが背が高いし、ガタイもでかい。どうやっても俺が上から見ることになるが、それは結構心理的にはよかった。
彼女の怯え怯えした態度は変わらないが、このラフすぎる格好に対して何も反応しないあたり彼女は本当に恋愛を考えていないようだ。
「あの。何て呼べばいいですか」
「え。あの、これでいいんですか?」
「うん。大丈夫なら、部屋をシェアしましょう。今の会社で恋愛トラブルに巻き込まれたくないんですよね?」
「はい。出来たら一人で生きていこうと思ってて……その、病院にいかないと、いけないから」
「病院?」
「はい。ちょっと、婦人科に行かないといけないんです。でも、今の会社の人にあまり知られたくないんです。前の会社の時に、病気になっちゃって」
「彼氏いたことあります?」
「あります……一昨年の夏に別れたけど」
「一昨年?今の会社は何年目?」
「今、二年目です」
「男性恐怖症で別れちゃったの?」
「はい……どうにも、ダメで。その、触るのが」
「ああ……なるほど」
冷たいアイスコーヒーを飲みながらこれは大変そうだなあ、と思う。彼女は触られるのが苦手なのだ。前の彼氏はそういう関係になりたいから早々に手を出そうとして拒否られて別れたというところか。
「俺は大丈夫そうだと思う?」
「握手ぐらいなら……」
「握手かあ」
ちなみに言っていないが俺も触るのは苦手だ。俺は女性恐怖症だから触るのが苦手なんじゃなくてその逆である。触ると触りたくなるから触らない。
「大丈夫だよ。俺は触らない。俺も今恋愛はいらないけど、家に居るとダラけて親が心配しているから。いい歳だし、自立しないといけないんだ」
前は社員寮でさ、借り上げ社宅だったけど辞めちゃったから実家に出戻りなんだ、というと。
「うちは社宅ないんです。今の部屋ももうすぐ更新だから、引っ越すか悩んでて。最近怖いこともあったから」
「なんかあったの?」
「なんか、下着が……なくて」
「え?それってやばくない?」
「でも、部屋で干してて。外に出してないし……。ただ、鍵が最近壊れてたから。すぐ直せなかったのもあって、ちょっと不安で」
「それ危ないよ。引っ越したほうがいいよ」
「それもあって……相談したら、葛城さんが相談に乗ってくれたので」
「え?父さんに相談したの?」
「私、彰人さんのお父さんの会社に勤めてるので……一応、親戚です。私の祖父が彰人さんのお父さんの親族です。伯父経由で祖父に話が……」
「ええ?」
「祖父の養子なんです。母が離婚後に亡くなって、それから祖父の養子になって。今は祖父の姓を名乗っているんです」
「なんか大変だね」
「すいません」
謝ってくる彼女もアイスコーヒーを飲んでいる。別のを頼む余裕がなくて同じものを、と言ったからそうなっただけだ。木の下のテラス席は静かで、少し暑いが風は気持ちい。じんわりと汗をかく温度で、まだ体感は夏だが秋は近い気がする。
Tシャツにスカート、サンダルの彼女と半袖シャツとスラックスにサンダルの俺。見た目にはいいんだろう。彼女はお姉さんだが童顔で小さいし、俺は童顔だがガタイがデカいので俺の方が年上に見える。
周りも自然とそういうカップルが席を埋めていて、数席は子供連れが座っている。ちなみにここは薔薇園だ。父親が何を思ったのかチケットを取ってきて薔薇園で顔合わせをさせられている。軽食も売っているし、アイスも売っている。女性が好きそうで、こういう場所に男は来たがらないから配慮としてはいいのだろう。
「薔薇の匂い、凄いですね」
「うん」
「大丈夫ですか?」
「まあ……平気だよ。植物は好きだから。薔薇は育てられないけど」
「植物すきですか?」
「うん」
「ミニサボテンとか多肉植物とか平気ですか?」
「サボテン?ああ……小さい鉢だったら別に。部屋に置きたいってこと?」
「はい!」
好きな話題を振られると笑顔が出るのは人間の性なのだろうか。32だというのにどこかおっとりした感じと、そっくりさんが大人向けの人であるからか控えめな感じは幼さを印象付けるが、彼女は年上だ。
「すいません、君を何て呼べばいいですか?」
「あ、そうでした!」
葛城さん、日高さんで結局は落ち着くのだが。薔薇園でのとりあえずの顔合わせは穏やかだった。
*
恋愛が欲しいわけではなくて、ただ優しさが欲しいだけ。
嫌いにならないでほしい、好きにならなくてもいいから。
駆け引きみたいなことをしなくても穏やかに話せれば、それでよかったんだ。俺は疲れていたから。
それでよかった。他は考えていなかった。
触ることが、互いにできなくてもいいと思っていた。
秋に沈む ヒューリ @hyuri06
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