悪魔と願いごと

LAST GEESE(アガタ)

第1話

 一体の大悪魔がいた。

 どんな願いも一つだけ叶える悪魔の目的は、自分の願いが成就した人間の魂を死後、自分の奴隷にしたり糧として喰うことだった。

 悪魔は老若男女さまざまな人間たちの前に現れて、次のように問うた。

「お前の願いを一つだけ叶えてやる。何を望む?」

 一人は『権力』と答えた。

 悪魔は望みを叶え、その人間は世界を支配するほどの覇者となった。

 一人は『富と名声』と答えた。

 悪魔は望みを叶え、その人間は巨万の財産得て、地方を代表する名士となった。

 一人は『異性にもてたい』と答えた。

 悪魔は望みを叶え、その人間は幾つになっても異性にもて続けた。

 一人は『病気を治し、もっと長く生きたい』と答えた。

 悪魔は望みを叶え、その人間は難病が完治し、誰よりも長生きした。

 一人は『歳を取りたくない。若いままであり続けたい』

 悪魔は望みを叶え、その人間は寿命が尽きるまで若いままであった。


 大悪魔は、それぞれの人間たちの欲望を叶えるたびにほくそ笑んだ。

「実に愚かな生き物だ」と。

 死を迎える直前の人間たちの反応は多様だった。泣きわめいたり、懇願したり、神に祈りを捧げたりする者もあった。だが、ただ一人の例外もなく、死んだ者の魂は大悪魔との契約通りに地獄に召された。

 嘲笑うと同時に大悪魔は何故、神がこのような浅ましい存在を創造したのか、少し考えた。

 おそらく自分たち悪魔と天使たちとで、どちらが人間の魂を多く引き込めるか競わせるためだ。人間などというのは所詮、ゲームの駒に過ぎない。そのためだけに創られた、そう勝手に結論付けた。

 ならば、一人でも多くの人間を堕落させてやろう。そして、いずれは再び神や天使たちに戦いを挑んでやろう、とさらに


 ある時、悪魔はいつものように一人の人間の前に姿をみせた。

 それは若い女だった。女は国同士の宗教戦争に巻き込まれ、敵国の要塞の薄暗くじめじめとした地下牢に投獄されていた。そして異教徒として明日にも処刑される運命にあった。

 大悪魔はいつものように望みを訊ねた。

 鎖に繋がれた女はすぐ答えが出せずにいた。しばらく考えた後で

「私をあなたのお嫁さんにしてくれない?」

 と言った。

 悪魔は予想外の回答に、堰を切ったように大笑いしていた。

「妻にしてくれ、だと? お前みたいな醜い女、頼まれても娶りたくない。ーーいや、それにしても傑作だ。こんな阿呆な人間がいるとは」

「それがダメなら、私をここから逃がして」

「ほう? そんなつまらん望みでいいのか。 お前をここに閉じ込めた奴らを八つ裂きにすることや、世界を破滅させることもできるのだぞ?」

「そんなこと望まない。誰かが傷付いたり、死んだりするのはもうたくさん。それより、私はここから逃れた後、遠くへ旅をしたいの」

「旅だと? どこへ逃げてもお前を捕らえる為に追っ手が来るに決まっている」

「その時はその時よ。運命だと受け入れることにするわ」

 女は大悪魔をまっすぐ見据えながら言った。その声に怯えや畏怖はない。それどころか死期が迫っているというのに、実に堂々としている女の姿に、大悪魔は気付かぬ内に興味を持ち始めていた。

 ただ願いを叶えてやって、すぐに命を奪うのはなにか惜しい――この女を堕落させてみたいという考えが悪魔に浮かんだ。

「よかろう。ならば、俺と契約しろ――そうすれば、お前は生きているうちは俺を自由に使役できる。その代償として、お前が死んだ後はその魂を貰いうけるぞ」

 悪魔は契約の証として、女の白く細い左の手首に赤い焼印のような跡を残した。それが終わると、今度はおもむろに顔を上に向けると口から竜よりも強力な火球を吐いて、牢獄の天井に穴を開けた。

「しっかり掴まっていろ」

 鎖を引きちぎり、女を脇に抱え込むと背中の黒い羽根を大きく羽ばたかせ、地下から一気に空高く上昇する。地上では要塞に駐留する兵士や司祭たちが集まって、上空の大悪魔と囚人の女を仰いだ。

 突然の出来事に慌てふためく人間たちに一瞥もくれず、そのまま遠くへ飛び去ってしまった。

 いくつもの山や谷、川を越えて悪魔はずっと飛び続けた。陽が西の彼方に沈んで、夜には月と星々が瞬く空の上を。

 そして東から日の出が上る前に適当な森外れの平原を見つけると、そこで女を降ろした。

「さあ、これでお前は晴れて自由の身だ。だが、決して忘れるな。死後、お前は私の奴隷となるのだ」

 悪魔は釘を刺すような強い口調で言った

「分かってるわ、約束だもの」

「それで何処へ行くつもりなのだ?」

「私にも判らないわ、あての無い旅になるから。ただ――」

 女は眼下で風に揺れる草花を眺めながら

「旅の目的はこれから見つけるわ。訪れた場所で、きっと何かに出会えそうな気がするの」

「まったく奇妙な女だ」

 大悪魔には、これまで願いごとを叶えてやった人間たちとは全く異なる、このうら若き乙女の魂が特別な宝石のように見えていた。

「あなたも一緒に来ない?」

「旅の護衛でも欲しいか? 生憎だがオレはお前が早く死ぬのを待っているんだ」

「そうでしょうね。でも、生きている間は私があなたの主人よ」

 乙女がそう言うと、悪魔は口元を歪めにんまりとした笑みで「いいだろう」と承諾した。

 こうして人間の女と大悪魔の旅が始まった。

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