鎌鼬(3)

 京都府の都市部から離れた山沿いの場所にその建物はあった。

 長い歴史を感じる巨大な日本家屋。

 高い白塗りの塀に覆われており、外から敷地内を覗き見る事は出来ない。

 巨大な木製の門扉を抜けると景色を切り取ったような美しい日本庭園が広がり、敷かれた飛び石は玄関まで続いている。


 この地で生まれ、常にこの地と共にあった一族の宗家。

 千年以上の時を経てもなお、その一族にとっては最も神聖なる場所として変わることなくそこにあった。


 陰陽師としてこの国を陰から護り続けてきた一族――物部もののべ家。


 二十畳ほどの広い座敷の上座に座る老人こそが、現家元である物部コウリュウである。

 齢七十を越えてなおその眼光に衰えなく、凛とした佇まいは歴戦の苦難を乗り越えてきた事による己への自信の表れの様に感じられる。


 コウリュウから離れ、部屋の中央に座るカタル。

 頭を下げたまま口を開かず、ただコウリュウが何か発する時を待っていた。


「顔を上げよ、カタル。お主に会うのは一年と半年ぶりほどであるな。息災であったか」

「はい。お陰様で無事に生き残っております」

「お主の報告は受けておる。役目を無事果たしておるようで何よりだ。さて、今日お前を急遽呼び戻した理由だが――」


 学園の夏休みを控えた七月中旬。

 カタルの下に宗家の連絡係から一本の電話がかかってきた。

 理由はコウリュウが直接会って話があるとのこと。その詳細は当然の如く連絡者にも知らされておらず、至急戻ってくるようにとの事だった。

 一族にとって家元の命令は絶対。そもそも逆らうつもりもないカタルは、学園に三日ほどの休みの連絡を入れ、ただちに宗家へと向かったのだ。


賀茂かもが動いたとの報が入った」

「……賀茂が?」


 賀茂(賀茂氏かもうじ)とはかつて阿倍と共に朝廷に仕えた陰陽道の一派である。

 陰陽寮おんようりょうと呼ばれていた天文道・暦道・陰陽道を掌握し、現在に繋がる陰陽道を確立したとされる賀茂忠行かものただゆきは、かの有名な安倍晴明の師とされている。


「ああ。現在結界の綻びによる特異点はS県に限られている。その押さえとしてお主に行ってもらっているわけだが、どうやらそれを奴らは気が入らないらしい」

「気に入らない……しかし、これは物部の受けた勅命ではないですか。それに逆らってまで動くとは考えにくいのではないですか?」

「奴らには八咫烏やたがらすの誇りがあるのだ。勅命を受けたのが自分たちではないことに、その誇りを傷付けられたと感じておるのだろう。調べさせたところによると、現在のS県は我らの報告以上に深刻な問題であると直訴し、物部と協力関係を結んで事に当たるという条件で認められたらしい」

「賀茂と協力関係を?」

「当然奴らにそんな気は毛頭無いだろうがな」

「では賀茂からの連絡は……」

「あるはずもない。奴らは我らを出し抜くつもりであろうよ」

「……それが賀茂氏かもうじの誇りですか」

「長年安倍の下風に立ってきた上に、今度は物部にまで後れを取るわけにはいかぬのだろうな」

「安倍には負けても良いが、物部には負けるわけにはいかない、と?」

「奴らの中ではそういう図式が出来上がっておるのだろう。上がどう思っているかなど関係ないのだ」

「そもそも物部と賀茂では役割が違う。今回我らが受けた任は結界の修復までの時間稼ぎのようなもの。そこに滅を是とする賀茂が手を出せば、結界の綻びが更に悪化する恐れがあります」

「その通りだ。だからこそ封を是とする我らが選ばれたのだからな。だが――奴らには天の時が味方したようだ。現在H市内で起こっている事件が大きく報道された」

「……児童連続誘拐事件」

「ああ、そして先月から二件の通り魔事件が発生しているな。ああ――今朝三人目の犠牲者が出たとの報道があった」


 どちらの事件もカタルは報道で見て知ってはいたし、学園近郊で起こっている誘拐事件に関しては、その周辺に妖の気配をすでに感じ取っていた。

 だが通り魔事件は警察が調べるべき人の起こした事件だと考えており、これまで特段注意を払ってはいなかった。


「まさかそれを――」

「事の真相はまだ分からんが、奴らはこれらを全て鬼による仕業だと訴えた。事態は封だけで鎮圧出来ないほどに緊迫してきているのだと。そしてそれが受け入れられたという事は、どちらの事件も警察の調べでは手に負えない事態となっているだろうな」

「では通り魔事件も鬼の仕業であると?」

「そう考えて間違いなかろう。何の裏取りも無しに賀茂がそのような事を言い出すとは思えぬ。おそらく派遣されている手の者がすでに何らかの気配を察しておるのだろう」

「……最初から大人しく見ているつもりはなかったんですね」

「場合によっては物部に勅命が下るよりも前から忍ばせていた可能性もあるな。自分たちが任されるつもりでいたのであろうしな」

「申し訳ありません……。賀茂につまらぬ隙を突かれたのは俺の落ち度です」


 そこまで聞いて、カタルは己の浅慮を恥じた。

 本来であれば自分も同じような報告を上げなければならない立場にありながら、先入観に捕らえられた事で調査を怠ってしまっていたのだと。

 ただ、その事でカタルを責めるつもりはコウリュウには最初から無かった。

 周囲に正体がバレぬように学園の生徒として送り込んだのは自分である。その事でカタルの時間と行動が制限されるのは致し方が無い事だ。そして配下から報告を受けているように、カタルは最近二匹の鬼の封印に成功していた。同時期に三件もの事案が発生する状況はコウリュウにとっても計算外の事であり、その責任をカタルに問うのは己が落ち度を棚に上げるようなものであるからだ。


「お主を責める為に呼んだのではない。報告を受けながら何の対策もしなかったワシに全ての責任はある。お主は出来る限りの事をやってくれていたと考えている」

「いえ、そんな事は――」

「その上で恥を忍んでお主に頼みがある」


 家元の命令は絶対。しかしコウリュウは頼み、と言った。

 それはカタルに対して最大限の敬意を払っているという証でもある。


「すでに下った勅命に異を唱える事は出来ぬ。しかし賀茂の企みを傍観していては大事に繋がりかねない。そこでお主には引き続き任務を続けていく上で、賀茂におかしな動きがあればそれを阻止して欲しい。もちろんこちらからもS県に諜報用の人員を送るように手配する。その者たちと協力して賀茂の暴走を阻止してもらいたい」


 

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