河童 ~豊峰~
希の魂は間違いなく天国へ行くことが出来た。そう実感することが出来たからだろうか、それとも最後に希の想いに触れることが出来たからだろうか、あれほどまでに執着していた希と一緒に居たいという気持ちがまる憑き物が落ちたかのように無くなっていた。
「警部……」
琴音ちゃんを抱きかかえた袴田が、今にも泣きだしそうな顔で近寄ってきた。
まったく、刑事が犯人を前に何て顔をしてんだよ。
「袴田。手間をかけてすまなかったな」
「希くんは……」
「逝ったよ……。多分成仏したんじゃないか」
「そう…ですか……。良かった、と言って良いんでしょうか?」
「……さあな。それは俺が言って良いことじゃないだろう」
二人の子供の命を奪ってしまった俺が口にするのは違う。
「君もありがとうな」
風紀委員だと名乗った不思議な力を持った少年。
俺たちの会話を黙って聞いていたその表情からは、何の感情も窺い知ることは出来ない。
ただ、俺の言葉に軽く首を振っただけだった。
袴田に向かって両手を突きだす。
全て終わった。
後は俺の罪を清算するだけだ。
夫が連続殺人犯として捕まる。妻には可哀そうなことになるが、おそらく今のあいつにその事を理解することは出来ないだろう。
それだけが唯一の救いなのかもしれない。
「警部……自首してください。俺はここで何も見た事をなかったことに――」
「やめとけ。今更自首したところで何も変わらんさ。それに俺は自分の犯した罪にきちんと向き合わなきゃならんからな。……気持ちだけありがたく受け取っておく」
「袴田さん」
それまで黙っていた少年が突然声を発する。
「あんたはその子を連れて警察署に戻れ。その子は堤防から足を踏み外して河原に落ちた。そして気絶していたその子をあんたは偶然発見した。良いな?」
「おい、急に何を――」
「……はい」
「え!?」
素直に少年の言葉に従おうとする袴田。
驚いて袴田を見ると、まるで焦点の合っていない視線を真っすぐ少年に向けていた。
「おい!袴田!どうした!?」
「袴田さんとは取引をしていた。あんたを助ける代わりに、俺の指示に従うと」
「……それも君の力か?」
「ああ、この結界内で交わされた言葉は全て俺の解釈通りに改ざんすることが出来る。まあ、いろいろと制限はあるがな」
「……君の存在が明るみになっては困るということか」
「半分正解、半分間違いだな。この世界にはな、知らない方が幸せに生活出来ることがあるということだ。あんたなら分かるんじゃないか?」
少年の言葉に妻の顔が浮かぶ。
「……分かった。じゃあ俺の記憶も消すんだな」
「それが望みならな」
俺は少年の意外な返答にその真意を測りかねた。
「あんたが本当に罪を償いたいというのなら、全てを覚えていた方が良いんじゃないのか?それにあんた一人が妖を見たと言ったところで、誰もそんな話を信じるとは思えないさ。袴田さんもそんなことは知らないと言うだろうしな」
これは俺への慈悲なのだろうか?
それとも忘れることで少しでも苦しみから解放されないよう為の罰なのか。
どちらでも構わない。
「恩に着る」
元より誰にも言うつもりはない。
希との最後の別れは俺だけの想い出として墓の中まで持っていくつもりだった。
「俺はもう行く。後はあんたが思う通りに行動するといい」
少年がそう言うと、真っ白だった周囲が突然元の夜の河原に戻る。
驚いて周囲を見回していると、いつの間にか少年の姿はどこにもいなくなっていた。
「夢……じゃないよな……」
一瞬そう思った。
狂ってしまった俺が見ていた夢。
しかし――
俺は自分の両手を見つめる。
そこには確かに希を抱きしめていた感触が残っていた。
冷たい身体だった。
それでも俺には温もりが伝わってきたように思えた。
「俺も少ししたら行くからな……」
いや、俺は希と同じところには行けないだろう。
それでも、遥か輪廻の果てに、いつかまた希と出逢うことが出来るなら。
そんな奇跡があるかも知れない。
それだけを胸に抱いて逝こう。
まずは現世での罪を償わなくてはな。
俺は堤防を見上げ、署のある方を見つめた。
――ぴちゃり
その時、裸足の俺の両足首を何か冷たいものが掴んだ感触があった。
一瞬ビクッとしてそちらに顔を向ける。
「ああ……そうだな。君たちをいらない子だと否定したのは俺だったな……」
十二月に入り、世間にはクリスマスムードが漂い始めたある日の午後。
私は夕飯の買い出しの為にスーパーへ向かうべく家を出た。
しばらく歩いていると、冷たい風が首元を吹き抜け、私は思わず足を止めて身震いをする。
これならマフラーを巻いてくれば良かったと後悔した。
亀水川の堤防の上にある道路は周りに風を遮る物が無いので冷たい風が直接身体に当たってくる。この時期に歩いて通るのは結構辛い。
夏から行われていた堤防に沿ったフェンスの設置もほぼ完成してはいたのだけれど、格子状のフェンスで風を防ぐことなんて出来ない。
「あら?」
フェンスに張られている看板。
それは子供がフェンスを越えて川に近づかないようにする為の注意を促すもの。
そこには川面から飛び出して子供を驚かせているコミカルな河童のイラストが描かれていた。
「あ、豊峰さん」
河童のイラストをじっと見ていると、ちょうど知り合いの奥さん二人が堤防へと上がってきて声をかけてきた。
「あ、どうもこんにちは」
「こんにちは。寒いわねえ。あ、豊峰さんもその絵が気になった?」
「え?ええ、まあ……」
「河童っていつの時代の看板かしらって、私たちも昨日話してたのよ」
「ほんと、今の子供たちはそんなのに怖がったりしないわよねえ」
「そう、ですよね……」
「まあ、それでもこのフェンスが出来たことで少しでも子供の事故が――」
「ちょっと!」
「――あ!……ごめんなさい」
何かバツの悪そうな顔で私に謝ってこられた。
「じゃあ、私は晩御飯の買い出しがあるのでこれで」
すぐに帰るつもりで家を出てきていた私の恰好は、それほど二人の長話に付き合えるほどの重装備ではなかった。
私は二人に軽く会釈をしてスーパーへと歩き出した。
「豊峰さんの奥さんて強いわよねえ……」
「そうね、去年息子さんがこの川で事故に遭って、行方を必死で捜していた刑事だった旦那さんも夏ごろから行方不明なんでしょ……。きっと心が壊れそうなくらい悲しいはずなのに、そんな素振りは一切見せないものね……」
スーパーに近づくにつれて寒さは徐々に厳しくなってくる。
ああ、やっぱりきちんと着込んで出てくれば良かった。
帰り道は更に冷え込んでいるだろうか?とか考えると憂鬱な気持ちになる。
ああそうだ、今晩はお鍋にしよう。
寒くなると鍋の頻度が上がるので意識的に避けてきていたけど、一週間ほど空いたし、今日くらい寒かったら文句は出ないだろう。
身体の芯まで温まるような温かいお鍋。
部屋の中も暖かくしてお迎えしよう。
きっと二人とも冷え切った身体で帰ってくるだろうから。
―― 其の弐 『河童』 完 ――
次怪 ―― 『覚』 ――
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ここまで読んでいただきましたこと、心よりの感謝を申し上げます。
其の弐まで完結した『異説・百物語』ですが、ここで一旦お休みをいただきます。
理由としては……
現在連載中の他の作品が完全に止まってしまっているということです\(^o^)/
気分転換も含めて、夏だー!ホラーだー!と軽い気持ちで始めた本作でしたが、せっかくならちゃんと続けていきたいという気持ちが強くなり、今後も続けていく為には他の作品との兼ね合いを考えていこうかと……。
それでも待っていてくださる方は、フォローボタンをぽちっと押してお待ちくださいませm(__)m
それではまた次怪で――
異説・百物語~物部カタルは斯くも語りて~ 八月 猫 @hamrabi
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