二章



 帰りは輿こしに乗らず歩きだした。ぴんと背筋を伸ばしゆったりと進んで行くが、それはただ習慣づいているだけのことだ。

「姫さま」

 声をかければ振り返る。思った通り、朝の元気はどこへやら悄然しょうぜんと思い詰めた顔をしていた。

「……ね、淳佐は鳴州へ一緒に来てくれるよね?」

「俺はともに入ってます。宗正府そうせいふの視察にも同行しましたし」

 不安げに袖を握ってくる。「本当に……?」

 片膝をついた。

「公主殿下の側にはべるのに宦官兵かんがんへいは絶対にご入用でしょう。そんなに心配せずともどこでもついて行きますよ」

 覗き込むと、半分安心し、半分心残りのために視線を逸らした。

「香円は、わたしの七番目の姉さまみたいなものなのに、なんでだめなの……」

 諦め悪く言うと下僕しもべはやれやれと言いたげに溜息をつき立ち上がる。

「淳佐だって、もうずっと香円と一緒にわたしの宮で働いてきたじゃない」

「……姫さま。俺たちと鱗族では違うんです。歴史の勉強をしたのなら分かるでしょう?」


 もちろん、分かっている。鱗族とはかつて毒霧の彼方に棲んでいた泉外人であり、今はここ七泉国の南州・州の居住区にいる氏族だ。咲歌たちはじめ泉民との交流に制限があるのも、宮入りしている彼らの子女は皆厳しい選抜をくぐり抜けて出仕を果たしていることも知っている。


「香円はたしかに後宮に仕える女官ではありますが、扱いは典客府てんかくふの管轄です。それに、鱗族の営み自体、俺たちとはなかなか相容れない部分も多い。でも宮城への登殿は双方に利益があるようにと微妙な均衡を保ちつつ取り決められた。これはとても繊細な問題なんですよ、姫さま」

「……分かってるよ……」

「互いに扱いを間違えば最悪暴動に発展するんです。過去何回もそういういざこざがあったんです。姫さまは頓着なさらないけど、ふつうは鱗人と仲良くする泉民は少ない」

 きっ、と顔を上げた。「淳佐は仲良くしてたでしょう!」

「個人としてはとても優秀な下官だと認めてます。ずっと姫さまに仕えてきたしそこは信頼もある。でも宮から出すのは反対です」

「もういい」

 ぶっきらぼうに言って向けた背を見下ろし頬を掻いた。

「……怒ったんですか」

 返事はなく、若干くつの音が強い。それに再度息を吐いた。


 咲歌は普段は聞き分けのいい鷹揚な公主だ。宮主の性格というのは近侍にも伝染するもので彼女の居宮・宜漣ぎれん宮ほど和気藹々あいあいとした場所はないと言われるほど咲歌と下官たちの仲は良い。鱗人の香円を最も近しい侍女にしているのも咲歌だけだ。

 もちろん、第七公主であり王宮の力関係においては最弱でそれが逆に周囲から目くじらを立てられない為という理由もある。父王の目も遠く、姉公主たちからは素直で気立ての良い咲歌は可愛がられて育ったから、多少の我儘わがまま、自宮での勝手は許されておりそうして今までやってきた。

 だが何事も越えてはならない一線というものがある。それを止めるのは近衛である淳佐たちの役目だ。



 自宮まで戻って来ると門前で待っている二つの人影が見えた。あれ、と咲歌は気がつき、急いで礼をとる。

「大叔父上」

「咲歌。久しぶりだね。少し見ない間に背が伸びた」


 泉主の叔父・しゅん封侯王ほうこうおう冀謹ききんは威圧感のある頑健な図体とは裏腹に気安く笑う。腰は曲がっておらず極太の竹のよう、甲冑よろい姿で余計に武官然としている。齢七十を越えているとは思えない若々しさだ。


 旬州は来年下る鳴州の南隣にある州であり、咲歌の冊封に際して何かと世話を焼いてくれているのは立場としては同じになるこの冀謹だった。とはいえ彼自身は下城せず今現在も本宮の一角に住み、時折こうして大姪おおめいの様子を伺いに来る。


 それは冊封が決まった三年前からさらに頻繁になった。淳佐はというと、はっきり言えばこの旬侯が嫌いだった。

 咲歌の頬を太い指で撫で、流れるように肩に手を置き、ねぎらいに背を叩く。そのまま腰に降りて止まる。淳佐は今すぐはたき落としてやりたい、と冷たい目をした。

 冀謹は女にたいそう優しく、男にも平等で宮中でも仁徳高い湖王しんのうだ。泉主によく尽くし、七公主にも分け隔てなく恭順を示す。そんな中でもとりわけ末子の咲歌に甘かった。

 昔から無駄になれなれしい。咲歌の笄礼の儀せいじんしきはまだだが末娘で重要視されていないから遅れているだけだ。だのに扱いはまるで幼子にするよう、昔からちっとも変わらない。たとえ祖父と孫ほど歳が離れているとしても距離が近すぎる。それが淳佐には不快だった。

 咲歌も咲歌で懐いているから気にも留めない。それもなんだか心配で冀謹がいるとどうしようもなく苛立ってしまうのだった。


 咲歌は嬉しげに、しかし首を振る。

「叔父上、嘘ばっかり。背なんて十五の時からちっとも伸びてません」

「おや、そうかな?では細くなったかい?」

「そんなこともありません」

「ははあ、化粧をして大人びて見えるから、きっとそのせいだね」

 咲歌は彼の出で立ちに首を傾げた。

「もしかして、叔父上も打毬だきゅうに参加なさるの?」

 そう、と冀謹は破顔し、隣に控えた女と顔を見合わせた。女も笑う。

「冀謹殿下は王太女殿下の主将を任されたのでございます」

 とんだ隠し玉だ、と咲歌は目を丸くした。

「といってもほぼ座っているだけだがね」

「叔父上が本気になったら大変」

 何を言う、と冀謹は女の肩も叩く。「咲歌にはこの涼永がいるではないか」

「たしかに涼永は毎年強いけど、模擬戦で負けなしの叔父上が出てきては勝ち目はありません」

 冀謹は立派に整えた髭を撫でた。「いやなに、私もいいくらい引退だよ。最近すぐに息が上がってね、さすがに歳を感じる。試合に出るのは今年が最後と意気込んで来たんだ」

 寂しげにした。

「少しでも泉主の慰みになるといいのだが」

「……そうでございますね」


 冀謹もまた、王統の端くれであり貴重な男子で直系ではないもののかつては次代泉主を熱望された身の上だった。王位は無事においへ受け継がれた今、尊属そんぞく男子となった冀謹に継承権は無い。さらに彼の子は二十人とも公主でついぞ公子はもたらされなかった。四十半ばにして封領をもらい、責務から解放されてわりと自由に過ごしており、ここ数年病みがちの泉主を励ます役割が板についていた。



 冀謹が去り、涼永が改めて礼をとる。彼女は禁中女騎じょき兵、いわば宦官兵と対をなす後宮の守衛兵である。

 去年の打毬では第四公主下の主将として功績めざましかった。剣技は羽林うりん軍も唸るほどだと有名だ。

 二年前の異動で宜漣宮の警固に就いて以来、咲歌とは親しい。


「泉主がもうすぐ遊技場へおいでになります。我々もそろそろ参らねば」

 咲歌はその手を取った。

「涼永、頑張ってね。でも怪我しないで」

 はい、と凛々しく笑い、用意していた輿に主をいざなう。自身は馬にまたがり、横に並んだ淳佐に口端で別の笑みを見せた。

「機嫌が顔に出すぎだ」

「あんたは何とも思わないのかよ」

湖王こおうに狼藉を働くものか。首が飛ぶぞ」

「……色ボケじじいめ」

 あまりの言に涼永は呆れて首を振る。「お前な、不敬に過ぎるぞ。ここにいるのは皆姫さまの近侍だからいいものの、他の奴に聞かれたらとんでもないことになる」

 うるさいな、と小指で耳を掻く。「あんたから姫さまにそれとなく言ってくれ。男の俺からは気まずいだろ」

 はん、と涼永は小馬鹿にして鼻を鳴らした。


「男ね。、だろ」

「ああ、うるさいうるさい」


 七泉に宦官は少ない。もともと男子の出生が少ない上に機能を失わせてはあまりに惜しいからだ。後宮に仕える兵卒も九割は女騎、宦官としては非常に肩身が狭い状況だ。自ら根を断ち切っているわけで一部の官吏などは宦官を不徳、親不孝者と嫌厭けんえんしている。

 したがって同職ともいえる女騎から軽んじられることもしばしば。しかしやはり力仕事やら小汚い雑務などは宦官の手が必要なのである。


 ぼそぼそと言い合っていれば主がくるりと振り向き、二人ともぎくりと固まる。

「ね、淳佐。お前も試合に出たい?」

 なにも聞こえていなかったようで咲歌は無邪気に問いかけてきた。

「いつもわたしの護衛ばかりだとつまらないのじゃない?」

「宦官は出ないのが決まりですよ。そもそも女人とは戦えません」

「でも最近よく素振りしてるよね。力が有り余ってるの?」

「淳佐も年頃ですから。姫さまがもっとしごいておやりなさればよろしいかと」

 咲歌は七つ上の彼をそうだねえ、と眺める。淳佐は不覚にも思わず耳が火照ったのを隠し、余計なことを、と涼永を睨み据えた。そちらは飄々としている。

「淳佐をこき使って房室へやの模様替えでもしようかな」

「それはようございますね」


 暢気な会話を聞きながら内心息をつく。見渡すかぎり女ばかり。焚きしめた香と白粉おしろいのにおいには飽き飽きだ。噂話に虐めに足の引っ張り合いに、褒貶ほうへん渦巻く後宮にはほとほと辟易している。だから咲歌が宮を出るとなって即、自分もついて行くと上申した。冀謹からも引き離せる。

 あと少し――と空を見上げた。田舎で主とのんびり過ごす時を寸暇空想した。ここよりは息がしやすいだろう。ひとり頷き、来たるべき出宮を実は待ち侘びていることを悟られないよう、「重いものは運びますよ」と平然と相槌あいづちをうった。





 粉塵防止の油灑ゆさいを敷いた広い遊技場は外朝西にある。夏季は打毬が、冬季には禁軍と首都州軍、つまり京師兵けいしへいたちの打毬が催される。羽打毬は七公主を頭として七組勝ち抜き戦が行われるのが恒例であり、泉主も高覧する年中行事の一と化していた。

 公主たちは名目上総帥ではあるが選抜した兵たちを戦わせるのみである。しかし第二公主だけは毎年自ら参加して駆け回るのはこれも宮にいる者すべてが知るところ。


 元星げんせい琥嶺これいくん冀耀きよう醍亜だいあは六嶺宮の一に住み、他の姉妹と同じく毎年、新年とこの羽打毬試合のために本宮へやってくる。武に秀で剣を究めた勇ましい公主で禁軍諸将とも渡り合う腕の持ち主。別名を巨門こもん将軍と称えられていた。

 見目も美しく威厳がある。姉妹たちの中で最も背が高い彼女は遠目から容易にその姿を発見した末妹の呼びかけに斗篷がいとうをなびかせて振り返った。


「醍亜姉さま!」

「――――ああ、咲歌。息災か」


 咲歌は礼もそこそこに飛びつく。受け止めた醍亜は甲冑よろいを鳴らしながら軽々と抱え上げた。

正旦しょうがつはあまり話せなんだ。下城の準備はつつがないか?」

「ええ。大叔父上がよくしてくださってるもの」

「そうか、なによりだ。旅のおりには我が下官らも応援に寄越そう」

「ありがとうございます、姉さま。今年も姉さまの組が勝ってしまうでしょうか。でも聞いて。うちに涼永が来たの!」

 妹を降ろした醍亜はほう、と後ろに控えた女兵に視線を向ける。「それは良い。手合わせ出来るのを期待しているぞ」

 涼永が、は、と慇懃いんぎんに軍礼したところで案珠あんじゅが到着した。

「醍亜。毎度勇ましいこと」

「姉上、無沙汰しておりました。ご体調は」

 問題ないわ、と長姉は伴侶に手を取られつつ笑む。

「それよりおまえの夫君は?」

「来ておりますよ。三人とも」

「きちんと仲良くしているのでしょうね?一緒になってもう四年ほどよ。そろそろおまえにも良いしらせを聞きたいところだわ」

 一転、醍亜は渋い顔をして濁した。

「それは、その……それなりにむつまじゅうしておりますとも」

潑辣おてんばはいいけれど、少しはしおらしくなさいな。駙侯ふこうどのより強くては遠慮されてしまうでしょう」

 なおも続く叱責に参ったな、という顔をして頭を掻いた。咲歌はそんな少しがさつな醍亜が好きなので慌てて話を切り上げる。

「案珠姉さま。ずっと立っていてはお体に障ります。お席へ」

「ああ、そうね……」

 解放されて醍亜が片目を閉じて感謝を表し、咲歌はおかしくなって口を押さえながら手を振り別れた。



 公主たちの席は見晴らしの良い高台、さらに一段上に設けられた席にはまだ王の姿はない。おとなしく座り斜め後ろにはべった淳佐と話していたところ、すっとかげが射した。


「ごきげんよう、咲歌」


 陽除けを傾けた人物は微笑む。「隣に座っても構わないか?」

 あまりの美しさに呼吸を忘れた。


「も、もちろんです、乙琳おつりん姉さま……」


 水松みるの瞳は自分と同じだが頭はまるで異なる。稀有な明色のあでやかな髪を緩く纏め真珠を散らし、鳳凰と水仙の銀華勝かんざしを飾った女は第四公主・紐星ちゅうせい琮嶺そうれいくん冀翠きすい乙琳。


「あれ……乙琳姉さま、今年はお出になられないのですか?」

 乙琳は指南役として試合に関わることが多かったのだが、観覧席に来たので首を傾げた。四姉は微笑する。

「良い参謀を捕まえた。その腕を見たくて今回はだんまりなんだ」

 指甲套つけづめを嵌めた指で示した先、年嵩としかさの女が采配している。

「今年は醍亜姉上に勝てるかもしれないな」

「本当に⁉すごい!」

 乙琳は薄く笑い目を細めた。「聞いたよ。咲歌もあの涼永を引き入れたと」

「あの?」

「ああ……そうか。あなたは三年前の御前闘技を見ていないのだったね」

「三年前の年初めは……」

 新年早々、宮を出されると聞いて泣きに泣いてね、欠席したのは苦い思い出だ。

 乙琳はくすくすと品良く笑う。

「涼永はすごいよ。平民出の女騎でありながら左軍将と渡り合う。去年の打毬では惜しくも敗れたがもうコツは掴んだだろうね。今年は良いものが見られるよ」

 咲歌は目を輝かせた。

「楽しみ……!それはそうと、他の姉さま方は遅いですね」

 ああ、と乙琳は酒杯に口をつけた。「他は来ないよ。思晟しせい姉上は本宮にいらしているが寝坊して準備が間に合わないから。そもそも興味が無いしね。いらした意味とは、だ。あとの二人はいつも通り嶺宮いえから出てきやしないよ」

「そうですか……」

「泉主がいらっしゃるというのにけしからんこと。まあ暑苦しいものが嫌いなのさ。私たちだけでも御目を悦ばせられるよう尽くそう」

 はい、と頷いて太鼓が鳴った。集まった人々は一斉に立ち、拝礼する。公主である咲歌たちは腰を折った。

 やってきた行列の最前を歩む男こそ、彼女たちの父王。あかざの杖をついた現七泉主は一度ぐるりと会場を見渡してから玉座にどっかりと身を沈めた。周囲に妃嬪ひひんが侍る。

 もう一度太鼓が鳴り、速やかに一回戦の用意が整った。



 打毬とは羽打毬と騎打毬に分かれるが大きく異なるのは乗り物で、騎打毬は馬を、そして羽打毬は神鳥・螭吻ちふんを騎獣として使用する。

 魚を混ぜ合わせたような大鳥は代々の七泉主が従える。貴重な国鳥であるがゆえに公の場では多用されず、馬と違い飛行するので扱える騎手も限られる。


 色とりどりの羽を持つ螭吻に乗る者たちは長い柄のすくい棒を手にしている。それで地面に転がしたたまを打ち、または放り上げて自陣に数多く入れたほうが勝者となる。


 合図で一斉に飛び立った鳥たちが配置につき、いよいよ始まった。

 目を引く大輪の巻丹おにゆりを頭に飾るのは醍亜の軍。自軍の決め事で花を落とさず闘うことを誇りとしていて、醍亜本人は耳の上に二つしている。しかし今までに彼女が花を落としたことはなく、今年こそははたしてどこかの組が落花に成功するか如何やという妙趣だいごみもあった。そして毎年のことだが始めから勢いがいい。序盤の盛り上げ役にもうってつけ、すぐにはやし立てる声が大きくなった。

 戯場の端で次試合に控える涼永の姿を見つけた。大声で声援を送りたい衝動を抑え、拳を握り締めてたまの行方を追う咲歌に再び乙琳が話しかけた。

「そういえば、案珠姉上に贈り物をしたそうだね」

「はい。阿膠あきょうを」

「それはさぞ喜ばれたろう」

「はい、とっても。醍亜姉さまは鹿蜀ろくしょくひなを差し上げたのですって。明日見せてもらうんです。乙琳姉さまは?」

「私はこの試合が終わったら献上する予定だよ。だからまだ内緒だ」

 咲歌はなんだろうと手を合わせわくわくと見返した。姉は妹の幼い様子にふと笑み、話題を変える。

「封地の準備はどうか?」

仮宮かりみやも建って、道の整備もあらかた終わりました」

「八県六十郷とか。泉主は太っ腹だな。領民にしっかり挨拶するのだよ。僕射ぼくやはもちろん連れて行くのだろう?」

 ちらりと淳佐を見た乙琳はさらに問う。「宜漣宮の者たちは皆あなたのことを慕っているから離反も起こらずなによりだ。特にあのよく働く女官……香円とか言ったかな。頼もしいね」

 顔を曇らせた。「実は、姉さま……」

 朝のことを話す。乙琳は喉で軽く唸り、平静とした様子でまた酒杯を一口あおった。

「そうか、禁ぜられたか。まあよく考えたらそうだろうな。……可哀想に」

 喧噪のなか、彼女の周囲だけが静かでまるで凍てついた水面のように澄んでいた。

「さぞかし惜しいだろう」

「はい。とても心残りで」

「だろうな」

「すごく仲良くしているのに」


 かん、と高い音を響かせて白い毬が舞い上がる。空で捕らえたのは大鳥を操る涼永。そのまま自陣に叩き入れ、観客は沸き立った。

 会話を途切れさせ思わず見入った咲歌の隣で、乙琳は飲みかけのものをそっと捨てた。



 試合は毎年のごとく第二公主醍亜の組が圧勝したが、咲歌の組も涼永の働きのおかげで次位に食い込んだ。一時得点が僅差になり大いに熱狂し、二組は泉主から褒誉を賜ることになった。

 座ったままの泉主は足下でひざまずいた涼永に頷き、錦包を差し出して無感動に言祝ぐ。恭しく受け取り退さがるのと入れ違いに組の総帥である咲歌が進み出た。

「拝謁、いたします、泉帝陛下」

 まさかこんなことになるとは思わず喉がからからに干上がる。震えをなだめ額づく上でしばし沈黙があった。

「……楽にせよ」

 重々しい声にびくつきつつ視線を合わせる。久方ぶりに見た父はどんな感情なのかまるで分からない顔で、随分寛いで頬杖をついていた。

「……瑞嶺ずいれいくん。そちの組が上位に昇るのは初めてだな。欲しいものはあるか?」

 思いがけない言葉にぱちくりとし、なんと、と訊き直そうとして慌ててつぐむ。せわしなく目を泳がせた。

「どうした」

 灰混じりのひげを扱く手を凝視して、ごくりと喉を鳴らした。もしかして機嫌がいいのだろうか、と窺う。今なら――。

「……おそれながら、泉主。お願いがございます」

「申せ」

 衣を握った両手に力がこもる。

「わ、わたくしの封領、め、鳴州へ、……鱗人の侍女香円を共に連れて行かせてください………‼」

 尻すぼみになりつつ頭を下げる。再び沈黙が降り、自分の鼓動だけが耳に響く。嫌な汗が垂れた。

 突然、引き揚げられる。胸ぐらを掴まれ立たされた。驚いて見上げると間近に乙琳の冴えた顔があった。

「不敬だ。礼をわきまえよ。所望を問われたからといって愚直にも口に出し泉主にたかるとは無恥千万。泉主、お許しください。瑞嶺君は滅多にない場に酔うているのです」

 ぐい、と後ろ頭を押されて涙目になりながら従った。一気に後悔が襲い、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。

「……鱗人を出すことはならぬ」

 やがて素っ気なく放たれた声からはなんの色も読み取れなかった。乙琳に引き摺られるようにして退った咲歌の後に、場を取りなさんと醍亜が笑顔で膝をつき目を伏せた。

「耀、参りました」

「琥嶺君、今年もすこぶる楽しませてくれたな」

 手で指図し褒美を与える。ありがとう存じます、と押し戴く娘に泉主は、ふう、とはかなげな溜息をついた。


「……ほんに、お前が男であれば良かったのに」


 醍亜は驚き、それから一瞬傷ついたように唇を引き結んだ。しかしすぐに笑みを浮かべ「勿体ないお褒めの言葉です」と深々と頭を下げた。

 それでもう、彼女がどんな表情をしているのか見えなくなった。




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