一章
「いいなあ」
羨ましげな嘆きに女官は華やかな笑みを見せた。
「何をおっしゃいます」
そうして寝そべった
「また増えてないかな?」
心配そうに首を
「ねえ、どう?」
「……小さきものがひとつ。これで七つになりました」
「ええ、やっぱり増えた」
主は枕に顔を埋めた。「嫌になる」
「誰も気にしませんわ。
「
「それはわたくしが
「分かってる。それでもいいなあ」
髪を
わたしだけ、と
「けれど姫さまは大きな病ひとつせず健やかにお育ちあそばされました」
「そうだね。背は低いのに骨太で肉付きがいいってからかわれる」
どこまでも卑屈な言に内心溜息をついたところで
「姫さま、着替え終わりました?」
「ちょっと、
ずかずかと入ってきた下官は腰に手を当てた。「着てるじゃないですか」
「これは
投げつけられた枕を平然と受け止め、くるりと後ろを向いた。
「それは失礼。でも早くしないと
「分かってる!」
「もうすぐ
「分かってるってば!いいから出てって!」
淳佐は肩越しにちらりと香円へ視線を寄越すと枕を渡して出て行った。
「淳佐のばか!」
腹立たしく掛布を蹴りやって立ち上がる。香円が広げた衣に腕を通しながら頬を膨らませた。
「わたしだっていつまでも子どもじゃない!」
「ようく言っておきます。……とはいえ、あの手この手で宮を脱走する姫さまに昔からいちばん手を焼いてこられた御方です。あまりにお姿が見えないと心配なさるのですわ」
それに、と寂しげに笑う。
「第一の侍女がわたくしのような者ではさらに気が休まらないのでしょう」
「香円は何も悪くないよ。わたしが寝坊したから……後ろの髪は結い上げないでね」
それで上と横のみを纏め、
あまり派手な装いは好きでない。それに、明るい色は顔だけが浮いて衣に着られている道化のようになる。
言われるまま帯を締め終わった香円は小首を傾げた。
「……地味すぎませんか?」
「大丈夫。ほら、
「それはそうですが……」
「行ってくるね」
侍女の心配をよそに隔扇を開ける。そうそう、と振り向いた。
「お昼は呼ばれてるから帰るのは夕方になる。
「かしこまりました」
しかしその七泉宮の形状は初めて見る者には珍奇だった。王宮は箸を立てたような山の頂上にあり、麓の市街とは一線を画す。巨大な御殿を戴く山の周囲にはさらに六つの小峰が連立し、それぞれに宮が構えられていた。七泉宮一山六
泉帝とはつまりは
七泉人は
生きとし生けるすべての月に、
…………と、幼い頃から
泉主が生きる為に欠かせない水を与えてくれるのは間違いない。七泉四百三十万民の全てを支えるたった一人の尊い王は決して失われてはならず、しかし神仙ではなく業ある人ゆえにその一人を得るのに多大な労力が支払われることもしばしばだ。
現七泉主は齢六十八、即位二十一にして
天は二物を与えず、とよく言うが、そんな彼に対して天はとんでもないものを差し引いた。
六女一男と
それはこと王宮――
七泉主にはかつて弟が二人いたが一人は夭折し残る一人はつい一昨年、病をこじらせ
それでかくなる上の希望は公主たちが産み参らす王孫に託された。泉国の王とは王統系譜に連なる男子にしか継承できないものであるがために、すでに上三人の公主たちには
そして
「……さて、どうなるか」
小さな呟きを
「何か言った?淳佐」
「いいえ。ところで、それが王太女さまへのご進物?」
「うん、そう。手に入れるのが大変だったそうなの」
包みを撫でる主をしげしげと見る。
「……なんだか、いやにババくさい格好してませんか?」
「うるさい。いいの、今日は父上もいらっしゃるのに、わたしが目立ってどうするの?」
「さいですか。後ろ髪も上げたらよかったのに」
鬱陶しい、と思って言えば頬が膨らんだ。
「
あどけないさまにくすりと笑う。十八になったはずが中身はいつまでも変わらない。ひょいと荷を取り上げた。
「持ってあげます」
「落とさないでね?」
「箸より重いものを持ったことがない姫さまのほうが落としそうですよ」
それにまた反発しつつ、大殿を構える長姉の居宮へ向かった。
「姉さまはまだいる?」
拝礼した衛兵はこのまま入るようにと促す。それで二人は広大な宮の奥へと進んだ。
大扉はすでに客人の為に開け放たれている。呆れるほど広い
「姉さま?」
「…………あら、
眠たげな声がした。「入ってきて頂戴」
「ごめんなさいね、こんな格好で。最近起き抜けは脚が立たなくって」
「いいえ。ちっとも気にすることないです、
七泉国第一公主・
「おはよう」
「おはようございます。赤ちゃんはどうですか?」
「順調よ。何か持ってきてくれたの?」
咲歌はにっこり笑って淳佐を促す。
「
「とっても体に良いと聞いて。本当はもっと早くお贈りしたかったのですけど取り寄せるのに時間がかかってしまって。それに……
聞いて案珠は一転、切なげな顔になり、男たちを
「
「うん、そう」
体重をかけないよう遠慮がちに隣へ座り、姉も妹の頭飾りに気を遣いつつ肩を抱く。
「可哀想に、咲歌。なぜお前だけ」
「……しょうがないです。
七嶺ある泉宮のうち中心は本宮、残り六つは全て姉公主それぞれに下賜されており、各城下のいくつかの郷を
「いくら封公主とて、身はこのまま後宮に置いてもなんら問題はないのに」
「……父上の
気丈に振る舞う姿に案珠もそれを見ていた淳佐も何も言わなかったが、咲歌の冊封は
当時すでに房事に疲弊を訴えていた王が寵妃の必死の求めにやっと
咲歌は親の愛なく育った。無論、泉主とはたとえ同じ宮に住んでいる実子だとしても頻繁に顔を合わせられはしないが、ことさら疎遠になっている父からいきなりそんな下命を受ければ誰だって自身が不要とされていることなどありありと分かろうというものだ。
案珠は嘆息した。
「咲歌。どうしても耐えられなくなったらいつでも帰ってくるのよ?私から父上に進言申すわ」
「だめ、姉さままでご不興を買ってしまう」
「大丈夫よ。父上はああみえて道理の分かる方。今はただ、とてもお疲れになっているだけなのよ」
咲歌はしばらく黙り、それから体を離しておずおずと姉を見上げた。
「あの…あのね、姉さま。父上にお話ししてくださるのなら、その、引越し自体のことじゃなくて、別のお願いがあるのだけど」
「お言いなさい」
「香円を連れて行きたいの」
淳佐はわずかに眉を
「宮に仕える
「でも香円はもう十年もわたしの侍女だよ?」
すると姉は不快げにした。
「あの者たちは特別に選ばれて後宮で仕えているのよ。宮を出るのも入るのも厳しく取り決めがある。泉主はお許しにはならないわ」
「それでも、一度言ってみてくださったら」
「咲歌。私たち泉民とあの者たちではまるで違うの。分かるわね?」
「…………」
「殿下、そろそろ行きませんと遅れます」
沈黙が満ちた間に淳佐が割り込むと案珠も頷いた。
「今日は
「……姉さまもいらっしゃるのですか?」
「胎教にはよろしくないと言われたけれど遠目に観戦するだけだし、久しぶりに父上に
そうですか、と咲歌は呟き、ようやく切り替えて笑った。
「たぶん今年は面白くなります。わたしの軍に涼永が入ってくれましたから」
「あら。楽しみね」
「陽射しが強いから、ご無理なさいませんよう」
それで姉の
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