筆先のシャウラ
筆先のシャウラ
作者 夜賀千速
https://kakuyomu.jp/works/16818093079210626374
美術部の幽霊部員だった西野景は北見ありさと出会い、彼女の描く青藍の世界に惹かれ恋し、結ばれる話。
誤字脱字等は気にしない。
現代ドラマ。
繊細で美しい描写が魅力的な作品。詩的な表現が素敵。
主人公は、男子高校一年生の西野景。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在、過去、未来の順に書かれている。
恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に書かれている。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
高校生の西野景は、美術部の幽霊部員として静かな高校生活を送っていた。入学してから一月も経っていない、葉桜の頃。ある日の放課後の美術室で北見ありさと出会い、LINE交換をすることとなる。以来、放課後は美術室へ行くことになった。
ありさは星や夜空をテーマにした絵を描くことが好きで、お互いに蠍座であることを知る。『語る』ことを歓迎し、感情に宿る美しさを分かち合える人だった。
景と共に美術室で過ごす時間が増える。夏休み、学校で共に星を見ながら絵の話をし、「私の見出す美しさは、全部青の中に在った。秘められてるような感じがするんだ。空も海も宇宙も、全部青でできてる。夜空の中に薄っすら見える、黒みがかった青も好き。青は、愛なんだよ」彼女の描く青藍の世界に惹かれる。
次第に景はありさに恋心を抱くようになる。八月十日、夏休みにプラネタリウムへ行く約束をし、二人の関係はさらに深まっていく。
プラネタリウムで二人は幻想的な時間を過ごした後、現実に引き戻される。駅でストリートピアノの演奏を聴き、感動を共有する。彼女はピアノを弾きたいと願うが、実際には弾けない。彼女の美術の才能と星座の話を交えながら、二人の関係が深まる。
夏休みの終わり、たくさん花火があるから一緒に花火をしようと彼女に提案され、彼女の家でラムネを飲み、花火を楽しむ。
線香花火を見ながら、人生の儚さについて語り合う。彼女の絵に対する情熱と、夜空の美しさに触れながら、主人公は彼女への想いを自覚する。
夏が終わる。放課後の美術室で、「夜空が泣いてる」と言い出し、彼女はキャンバスに向かい合う。最終的に、彼女の絵が完成し、空を眺めるだけの部活を一旦中止し、彼女のもとに駆けて行く。時計は十時を過ぎたあたりを指していた。
「僕は、貴女に刺されたんだ」
主人公は彼女に対する愛を告白する。彼女も同じ気持ちであることを告げ、二人は唇を重ねる。共に彗星を見、世界の美しさを、とこしえの温もりを信じあうのだった。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場の状況の説明、はじまりは、主人公が告白する場面を描いている。
二場の目的の説明、美術部の幽霊部員の主人公が、美術室で北見ありさと出会い、LINE交換し、放課後は美術室へ行くことになる。
二幕三場の最初の課題、美術室で話し、互いに蠍座であることを知る。夏休みに学校で星を見る約束をする。
四場の重い課題、学校で星を見る。
五場の状況の再整備、転換点、夏休みは二人でプラネタリウムを見に行く(デート)。ストリートピアノを聞き、白鍵と星座の数が同じことに、素敵なつながりだという思いを共有する。
六場の最大の課題、ありさの家で花火を楽しみ、彼女が好きだと思う。
三幕七場の最後の課題、ドンデン返し、夜空が泣いているといったあの女が絵を書き出す。絵が完成し、「僕は、貴女に刺されたんだ」「ありさ、僕は貴女のことが好きだ」と告白する。
八場の結末、エピローグでは、「私、大好きだよ。景くんのこと」彼女の気持ちを知り、二人は結ばれ、彗星をみながら世界は美しいことを知る。
タイトルが、とても興味深かった。なんだろうと、初見ではわからなかった。だから、ぜひ読んでみたいと思った。そう思わせるタイトルの付け方はよかった。
「僕は、貴女に刺されたんだ」の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな関わりを持ち、どのような結末に至るのか、興味を持って読んでいく。
書き出しが実に衝撃的。
殺人事件でも起きたのかと思うくらいのインパクト。初見では、タイトルからは想像もつかない。実にいい書き出し。
本作内でも説明されているが、シャウラは、さそり座を構成する星の一つ、尾の先の毒針を意味している。アラビア語で「針」を意味する(アル・シャウラ)に由来。
蠍座である彼女(主人公も)に恋をしたことを、主人公なりの詩的な表現をしている。
いわゆる、告白のセリフの一つからはじまっており、物語全体をうまく言い表している。でも初見ではなんのことかわからない。
わからないけれども、忍ばせた書き出しは、非常に上手い。
大きな遠景
遠景で物語全体を表すようなセリフを描き、近景で、「流れる月日の中で膨らみ続けた想いを告げる」と説明をし、心情では、言葉を口にした後、吐息となって宵の空気にほどけていく情景を描いていく。
大きな近景
つづけて、遠景で「八月二十五日、午後七時」いつを示し、近景で、南の空に見える蠍座のことを描き、心情で「彼女の憧れるその星のかがやきを、無力な僕は今日も望む」と語る。
大きな心情
さらに、遠景で「星が回ってる。世界は今日も、美しい宇宙の中で」目に見えている星空を語り、近景で「貴女が美しいと思う世界は、貴女の心が映し出す鏡」で空の下で一番美しいと示し、心情で「ありさ、僕は貴女のことが好きだ」と打ち明ける。
冒頭の導入部分、一幕一場の書き方がすばらしい。
読む相手に外側から内側へ、カメラワークのズームインしていくように描くことで、ぐっと深みが増して印象深い場面となっている。
ツカミは完璧。
この場面で、愛や美徳をもち、人間味を感じさせている。告白だから、優希も情熱もいる。誰もが望む魅力で、読み手の心を掴むため、共感を覚える。
そんな主人公が、彼女である北見ありさにであったのは、葉桜の季節。満開の桜が終わって、綺麗じゃなくなっている。主人公は美術の幽霊部員で、放課後、忘れ物を取りに行くという一人きりな状況。たいして描けないのに入部して、在籍だけして顔を出さないでいようという後ろ向きな感じから、悲しそうなところから、可哀想な感じから、共感を抱く。
彼女の容姿がよく描けている。
キャンパスに向かっているので、座っていたのかしらん。それなのに、「女子にしては高めの身長」とある。たった姿勢で絵を書いていたのかもしれない。そういうことは書いてない。
全体を通して、それぞれの場面の情景描写は少ない感じ。どのような美術室なのか、どんな自室なのか、学校のどこで星を見たのか。プラネタリウムも、どれだけ混んでいるのかはセリフでしかわからない。セリフで説明されているだけでもマシなのだけれども。
主人公が彼女に対して、「彼女はきっと、『語る』ことを歓迎してくれる人だ。さっきの一文で、それが分かった。彼女なら、繊細な心のうつろいを言語化してそのまま伝えても、笑うことはせず受け止めてくれるのだろう。例えば感情とか、そういうものに宿る尊い美しさを、分かち合える人だ」と語っているように、主人公もまた『語る』人なのだ。
この場合の語るは、自分が見ている情景を文字起こしのように文章で描いていくことではなくて、見たものに対して心の中に生まれた気持ちや考えを言語化すること。
本作は一人称で書かれているので、主人公が思ったことが現れているから、視覚的描写も美しいもの、きれいなもの、興味があるもの、関心があるものは言語化されるけど、そうではないものは書かれない。
だから、彼女がキャンパスに向かっているとき、椅子に座っているのか立っているのかはどうでも良くて、とにかく彼女が、キャンパスに藍を描き、闇夜のような絵を描いていることに意識がむいているのだろう。
主人公はそういう人物で、本作は彼の感覚で書かれていることを理解すると、より楽しめるのではと考える。
長い文にはならないよう、数行で改行している。一文も長くない。ときに口語的で、登場人物の性格がわかる自然な会話がなされている。
一部の対話がやや不自然に感じられる。彼女の絵に対する情熱がそうさせるので、いつもの口調と若干かわる。主人公にしても、気持ちを伝えるときは変わる。それはそれで効果が出ていて、いい気がする。
キャラクターの感情がよくわかるのも、良いところ。
若干、どちらが話しているのかわかりにくいところがある。「別に、僕たちに変えられることはないんだから、どうするも何もないんじゃないかな」
「そうだね」
「自然の条理のまま生きるのが、一番だよね、やっぱり。そもそも、私たちがここに生きているのってどうしてなんだろうね。景くんは、そういうこと思ったりしないの?」
「え、いや。たまに、ある、けど」
ここの「そうだね」は彼女のセリフで、その後も彼女のセリフだとおもう。区切ったのはなぜだろう。区切るなら、その間になにかしらアクション、微笑むなりうなづくなり、を入れてわかりやすくしてもよかったのではと、余計なことを考える。
短文と長文を組み合わせてテンポよくして、感情を揺さぶっている。本作では多用されていて、主人公の内面の思いや、彼女のセリフなど、特徴的な部分でよく使われている。
たいしたことではないけれども、たとえば「ねぇ、窓の向こうの星まで、どれだけあれば辿り着くかな」「あ、そうだ。景くん、誕生日いつ?」「夏休みって、夜まで学校開いてるのかな。夕方とかで閉められちゃう気がするんだけど」句読点を用いて、短文と長文を組み合わせることで、短文で読者の注意を引き付け、長文で詳細な情報を効果的に伝えることができる。
本作は、やたらと言葉にこだわりが感じられる。繊細で詩的な文体が特徴的で、本作の魅力だ。
とくに美しい比喩や象徴的な表現が多く、物語に独特の雰囲気を与えている。
たとえば、「すっかり暮れた日に目を向け、青褐の空に光る一番星に目をやる。『ポラリス』吐き捨てるように呟いて、駅までの道を急ぐ」この時点で、星が好き、興味があるのがわかる。
ポラリスとは北極星のこと。
「人と会話したのが久しぶりだったからだろうか、不規則に跳ねあがる心臓の鼓動を感じる」この表現もいい。
「ねぇ、見て。夜空が泣いてる」も詩的な表現である。
主人公の内面の葛藤や感情が深く掘り下げられている。
美術部は幽霊部員の巣窟ではないだろう。彼女のように、まともな美術部員がいてもいい。たとえば二年生や三年生の先輩。
でも、本作にはでてこない。
むしろ、廃部寸前の美術部なのかしらんと心配になる。
だけれども、主人公は興味のないものは入らないので、他の部員は興味がないから出てこないだけで、いるかもしれない。
幽霊部員で、たいして描けないといいながら、「僕は白紙にエスキースを描いていた。構図決めという名の、暇つぶしだ。何かに情熱を注ぐ気力などない僕には、それくらいが丁度いい」用語を用いて、一応描いている。
美術の授業を真面目に受けているか、中学時代も美術だったのかもしれない。
主人公の詩的な表現が実にいい。個人的に詩的表現が好きだからもあるけれども。
「ありさの絵って、本当に青で溢れてるよね。その筆の魔法で、世界を青藍に染め上げてるみたいだ。……本当に、綺麗だと思う」
それでいて、よく考えている。
自分のことを客観的に捉えていて、この人なら大丈夫だろうと推し量って使う冷静さが常に持っている。前半部分はとくにそう。
でも、主人公もさることながら、ありさの個性的で魅力的なキャラクターの方が強く、それでいて物語を引き立てている。
「うん。私、夜が好きなんだ」
「人間という自分の存在が、街の電気と共に、一斉に消灯されるような感じがするの。暗闇の中に溶けていくみたいな、そんな感覚がして。だから、くだらない人間の命の代わりに光る、星も好き」
「私さ、夜空の絵を描いている時しか、筆を持っている時しか、生きている感じがしないの。どうすればいいんだろうね。それ以外の瞬間は全部、惰性で過ごしてる」
主人公と違って彼女の感性はむき出しで、相手に遠慮がない。だから冒頭、一人でキャンパスに向かっていた彼女は、個性が強すぎてある意味、周りから浮いていたのかもしれない。
「今日さ、部室で一緒に話してて。私が一方的に変なこと、語っちゃって。でも景くん、嫌な顔ひとつしなかったよね」「こんな深みのある話を人と交わしたの、初めてかもしれない」そう語った彼女は、心底嬉しそうに話している。
クラスメイトや他の美術部員に話したら、そうではなかったのだろう。でも、本人も変なことだと自覚があるらしい。
「私はね、美しいものが好きなの。知ってるでしょう」
「私の見出す美しさは、全部青の中に在った。秘められてるような感じがするんだ。空も海も宇宙も、全部青でできてる。夜空の中に薄っすら見える、黒みがかった青も好き。青は、愛なんだよ」
「ねぇ、景くん。あの星が、落ちたらどうなると思う?」
かなり、グイグイ来る。
いままで話せる人がいなかったのだろう。
主人公の感情や心の動きが丁寧に描かれていて、共感しやすい。
美術室や夜空、プラネタリウムなどの情景描写は豊かに描かれていて、物語の世界に引き込んでいる。
プラネタリウムを見に行っている場面は、視覚や嗅覚、聴覚、主人公の心情を用いて、読者も一緒に見に行っているような追体験をさせる書き方がされている。幻想的で、非日常感がよく出ていた。
とくに女性のアナウンスが臨場感を起こしている。聴覚と視覚の描写をし、主人公の思考をはさんでから、「ふいに、幼い頃の七夕の季節、幼稚園でベガの話を聞いた記憶が蘇る」回想したり、彼女から教えてもらった最初の星だと思い出したりして、「言えない優越感に浸った」とさらに感情を添えていく。
アナウンスを聞くという行動と、聞いて思考し、回想など思いを馳せて感情を描く書き方をくり返し、最後に、「綺麗」彼女が唇を動かして、小さく呟く。
すべてを集約した言葉、単純だけど真理。
言葉に語り尽くせないほどの景色を眺めつつ、アナウンスの語らいを聞きながら高揚し、彼女と共に覚えた共感は、読者の共感ともなる。
主人公が「僕の身体は、宇宙の最果てまで飛ばされてしまったような気がした」とそえられた心情もまた、読者も共感する。
ストリートピアノの場面も、音楽を聞いたことに対しての感想、会話を交えていることで、曲が聞こえてくるよう。
主人公が、プラネタリウムを見た後でピアノの曲を聞き、さきほど見てきたプラネタリウムを思い出すことで、読者も先程の思い出す。そうした追体験を起こさせる。
星に関連しつつ、読者層の十代の若者の多くが知っているのではないかという『ホルスト、組曲 「惑星」より 木星』有名どころの曲を選んでいるところも、良かったと思う。
ピアノの白鍵と星座の数が同じ、という発見は面白い。
五感を使った細やかな描写が多く、情景や感情が丁寧に描かれているので、臨場感もありよく伝わる。
視覚では、ありさの絵や美術室の風景、夜空や星座の描写が豊か。夜空の星、花火の色、彼女の絵の美しさなどが詳細に描かれている。
聴覚は、ありさの声やプラネタリウムのナレーション、ピアノの旋律、花火の音、静かな美術室の雰囲気、静寂の瞬間などが印象的に描かれている。
嗅覚は、プラネタリウム内のラベンダーの香りや、美術室の絵の具の匂い、ラムネの香り、ありさの匂い。
触覚は、ラムネの冷たさ、夏の暑さ、花火の熱さ、夏の夜風や冷房のひやっとした感覚が描かれている。
味覚では、ラムネの味が描かれている。
たとえばラムネの場面。
受け取ると、
「ひんやりと水滴がついた」と触感、感覚的なもので思考。「浅葱色のラムネ瓶」視覚。みるという行動。「上についていた部品を外し、キャップの部分を必死で動かしてみる」行動。「それなのに、振っても擦ってもなかなか開けることができない」主人公の感情であるので心情。
台詞のあと、
「今までで一番大きい、彼女の叫び声だった」聴覚、聞くという行動。聴覚は距離を感じるので遠景。「目を丸くさせ、心底びっくりしているようだ」視覚。より近く感じるので近景。主人公が彼女の目を見て思った思考。「ラムネを開けられないなんて、彼女を前に情けない。風流な心がないと思われてしまったかもしれないな」心情が描かれる。
セリフを挟んで、
「彼女は僕から瓶を奪う」触覚と視覚、行動の遠景。「赤い部品を蓋に押し込み、逆さにして片手で叩く」聴覚と聴覚、近景。「へぇ、そうやって開けるんだ。小さな破裂音と共に炭酸が溢れあがり、音を立てて泡が立ち上る」主人公の心情とともに、聴覚と視覚描写。
台詞のあと、
「そう早口で言われたので、こくりと頷いて瓶に口をつける」聴覚と視覚、行動。「染み渡っていく冷たさと爽やかな香りに、身体が喜ぶのが分かった」触覚、嗅覚、味覚、体感。ここでようやく飲めた。
「夏だね」と、飲んだ感想を述べる感情。
「こくりと頷く彼女のその仕草を見て、好きだ、と思う」視覚描写と思考。「手の瓶からは僅かに液体がこぼれていて、汗ばんだ手で慌てて拭った」視覚、触覚の描写、行動。ここでは冷静さを描いている。
ラムネの場面だけではないけれども、じつに臨場感ある描き方がされている。
ちなみに、はじめは落ち着いていていたけれども、彼女がラムネ瓶をとってフタを開けるところから緊張が起き、はじめてラムネを飲む体験を経て、最後ようやく落ち着いていく様子が、実にうまく描かれているのがよく分かる。
通常、思考→行動→感情で書かれている。でも突発的や緊張などは行動→思考→感情になる。感情→思考→行動は、思考と感情の結果として行動が選ばれるので、ここではクライマックスの強調である。
こうした書き方が臨場感を生み、読者に対して主人公に共感をもたせ、物語に感情移入を促していくだろう。
テレビのキャスターのニュースの言葉という情景を用いて、夏の暑さを強調しているのは上手いなと思った。
最近の夏はとにかく暑い、ということも描きながら、そうした情景描写を利用して、二人きりで花火をしている場面は熱い、主人公も彼女も意識しつつ熱く感じていることを示しているのだろう。
説明や伝えるということをせずに、動作や情景で示してくれているから、読み手にも伝わってくる。
主人公の弱みは、人見知りであること。
幼いころからの人見知りが直らず、人と関わることを避けている。この弱さから、自己評価の低さを生み、自分の絵の技術に自信がなく、ありさと比べて劣等感を少なからず抱いている。
感情表現の不慣れで、感情を言葉にするのが苦手で、冷たい文面になってしまうことがある。
彼女と出会った頃の場面を読めばわかるけれども、表現が固い。
「僕が無思慮な考えを持っている」とか「瞬刻。その場に流れる時が、空気が、止まったような気がした」とか「人と会話したのが久しぶりだったからだろうか、不規則に跳ねあがる心臓の鼓動を感じる」など、関わり合わないようにしようと感じられる。
音痴であることや、ラムネの開け方を知らないなど、日常的な弱みが描かれている。これらは、人と関わることを避けてきた結果であり、よく現れている。
彼女に対する想いを素直に伝えられない内気な性格。
いっしょに星をみていたときから、主人公は彼女のことが好きなのだ。そんな素振りを見せずに、プラネタリウムのデートをし、ピアノを聞き、花火をしていく。
こういう書き方をすると身も蓋もないのですが、恋愛ものなので、不安やトラブル、ライバルが起きる。
彼女が 「ねぇ、見て。夜空が泣いてる」「描かなきゃ。今この瞬間の、美しい空の色を」「今じゃなきゃ、描けない何かがある。何の確証もなしに、そう、強く思うことが、時々あるの」「そんなのどうでもいい。あの絵を、シャウラの絵を、今ここで完成させなきゃ」「何か。何かがあるの。今じゃなきゃ、いけない理由が」
一般的には、ライバルキャラが登場するけれども、本作では、彼女の絵を描く情熱がまさにライバル。なのだけれども、警備員に咎められることもなく、絵も完成してしまう。
ハラハラする感じがない。
それでいて、告白する主人公の感情の変化が急に感じられるので、もう少し段階的に描写するなり、もう少し内面描写を深めることで、成長や変化がはっきりするのではと考える。
人見知りで人と関わることを避けてきた主人公が、彼女と出会って、いろいろな経験をし、恋をして変わった。彼女の絵の完成とともに告白しようとする気持ちの変化が訪れるなら、できあがった絵を見せてほしいと思った。
空に星が見えて、流れ星かと思ったら、彗星だとある。
流れ星は一瞬に流れ落ちて消える。
でも彗星はしばらく留まって見えているので、間違わないと思う。主人公は星座や知識はくわしくプラネタリウムも見ているけれど、実際に見たのは、はじめてだったかもしれない。
それに、ここでは流れてはいけない。
恋に落ちたわけではなく、二人は結ばれたのだから。
彗星は、ほうき星とも呼ばれ、見た目は筆のよう。筆は絵を描く彼女を表している。
「私さ、夜空の絵を描いている時しか、筆を持っている時しか、生きている感じがしないの。どうすればいいんだろうね。それ以外の瞬間は全部、惰性で過ごしてる」
夜が好き、美しいものが好きな彼女の象徴のような彗星を、二人で観る。
たとえ終わっても大丈夫、と話をするのは、以前彼女から「あの星が、落ちたらどうなると思う?」のお返しみたいなもの。彼女はあのとき、「自然の条理のまま生きるのが、一番だよね、やっぱり。そもそも、私たちがここに生きているのってどうしてなんだろうね。景くんは、そういうこと思ったりしないの?」と答えていた。
二人でいることを永遠だと信じる生き方が、自然の条理のまま生きることに感じられたのだ。
そのことを「綺麗」と表現する。
綺麗なもの、美しいものが好きな彼女。まさにハッピーエンドである。
「地響きを立てながら、燃えるような美しさを見せる星屑に、どうしてだか胸が強く高鳴る」
地響きとは地面が揺れることなので、いささか大げさな表現な気もするが、それだけの印象を主人公に与えたということだろう。
冒頭で、告白したのが「八月二十五日、午後七時」とある。
でも絵が完成したのは、「ふと腕時計に目を落とすと、針は十時を過ぎたあたりを指していた」とある。時刻はどちらが正しいのかしらん。
非常に美しく感情豊かな物語だった。
読後、タイトルを見て彼女のことを表していたのかなと思った。
彼女の描いた絵がないから見せてほしいと先程書いたけれども、ラストの光景、二人で観た夜空がキャンパスに描かれているのかもしれない。
そこには蠍座のシャウラも輝いているだろう。
彼女の描いた絵のタイトルが、本作のタイトルにつけられているかもしれない。
素敵な作品だった。
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