中間選考作品
忘川河の守り人
忘川河の守り人
作者 白玖黎
https://kakuyomu.jp/works/16817330647584711728
妻が忘川河を訪れるのを待つ彼岸花園を管理する見習い鬼使いは、古い友人で燈籠師の范から依頼され、猫の迷魂の未練晴らしの手伝いをする中で妻とめぐり逢い、彼女が訪れるその日まで守り人としての使命を果たすと誓う話。
中国の玄幻小説(東洋風のファンタジー小説)。
死後の世界を描きながら、未練をテーマにした作品。
もの悲しさはあるものの、ハッピーエンド。
主人公は、彼岸花園を管理する見習い鬼使い。一人称、私で書かれた文体。零は、主人公は猫の迷魂。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
描写や比喩、象徴的なイメージを用いて鮮やかな世界観と、登場人物の内面的な感情や思考を深く掘り下げて感情の複雑さを描いている。
それぞれの人物の思いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、女性神話、メロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
現世で人間として生を受けていた数十年前。
家は界隈に名だたる芸術一家で、若くして将来を嘱望された伶人だった主人公は、かつては国内外をめぐって、うたとことばを人々に語り歩いていた。
旅の途中に立ち寄った山村で、女性から白き氷雪の花をもらい、それをモチーフにした歌謡を歌ってほしいと言われる。娯楽の少ない辺境の村では吟遊詩人でさえめずらしい。村娘は花々や鳥獣、天地や自然のあれこれについて知っていた。見聞を広めることは嫌いではなかったので、教えてもらう代わりに得意な歌で応えていただけだったが、気づけば心が通じ合い、村から離れなければいけない頃になったときには手放せなくなっていた。
両親はみすぼらしい田舎娘を連れて帰ってきたことを嫌がり、主人公も不確かな存在である将来に変な期待をかけられて辟易していたため、バッサリ縁を切り、駆け落ちするように家を飛び出す。
愛する人のために音楽の道を捨てるなどたやすかった。それでも時折、妻は気を使ってか、時間さえできれば数日限りの小旅行に誘われる。妻と同じ景色を見、同じ体験をし、同じ時間を共有する旅が生き甲斐だった。やがて歳を重ねて家族が増え、老いていき、この世を去って先の来世でも二人の関係は限りなく続くと思っていたある冬の日。二人が乗る鉄道に、阿片に酔った狂人の暴走車が衝突した。
無惨な事故現場から煉獄の花が咲き乱れ、気づけば迷魂となっていた。冥土へ渡っても妻と忘川河を越えたいと思っていたのに、現れなかった。そこでとある鬼使いに未練晴らしの依頼、妻に再び会いたいと。時間の許す限り探し続けるも、見つからず、己の未練を受け入れることのできなかった魂の成れの果てとして、鬼使いとなる。しかも、わざと彼岸花園を管理する見習いを続けているのは、妻がいつか忘川河を渡る日まで待ち続けようと密かに決めたから。
仕事に勤しむ同朋を遠くから眺め、彼岸花の絨毯で惰眠を貪るある日、本来は上位の鬼使いの務めである仕事の書簡が届き、とある迷魂の未練晴らしの依頼を任せられる。
隠居して現世で燈籠師をしている范が鬼使いの現役だったとき、迷魂だった主人公を未練晴らしの手助けをするも助けることができなかった。以来、一人待ち続けているのを不憫に多い、仕事をこなして昇格させてあげようと今回の依頼を送っていた。
とある迷魂が白猫だった頃、足が不自由で外に出歩けない鬼使いとなる前の妻に出会い、月下美人の花を贈る。また、彼女は茉莉花も好きだと知る。「本当はね、わたしよりも上手に歌える人がいるんだけど。でももう、あの歌声は聞けなくなっちゃった」「もうこの世にはいないんだ。事故で亡くなったから。わたしの足も、そのときに怪我したものだから」猫は寄り添っては慰め、きれいな花や石を貴女の枕元に運んでゆく日々が続く。ある日、今までに見たことのない大輪の月下美人を見つけ、持ち去ろうとするも、花屋の店主の逆鱗に触れ、ひどい仕打ちを受けてあっさりと死んでしまったという。
見習い鬼使いは猫の迷魂とともに現世へ降り、燈籠師をしている范の元へ行き、鬼車にのって未練晴らしの想い人の元へと向かっていく。かつて住んでいた家を訪ね、庭には二人で植えた月下美人が咲いていた。猫の迷魂はかつての記憶を思い出し、天を翔け山々を通りすぎ、見上げるほどの高層ビルが林立する都市の中心にある、白い外壁が一際目立つ病院の療養所にたどり着く。
「いました。間違いない。あの方が、僕の愛する人です」
猫の迷魂に言われ、窓から部屋のなかへと視線を向ければ。小ぢんまりとした部屋に初老の女性。ずっと探し求めていた妻の面影があった。猫の迷魂に手を借りて、導かれるまま窓辺に、いつのまにか頭についていた小さな茉莉花と大輪の月下美人も置く。
猫の未練は無事はらされて成仏し、小さな球根のようなものだけが残された。そろそろ刻限だと、最後に病室を振り向くと、妻が窓辺におかれた花々に目を丸くしていた。彼女が窓の外に目を向けたときには尽きはなく、登りかけた陽の光だけが顔を出していた。
冥土に戻った見習い鬼使いは球根を埋めると、真っ赤な彼岸花が咲いた。現役だったとき助けられず気がかりだったからと、今回の依頼が范だと知る。「ところで、今後はどうする? あたしの権限で、あんたを昇格させてやってもいいんだよ」といわれるも、「私は、あのひとをこの場所で待つと、決めたのですから。それまでは、守り人としての使命を果たしましょう」と答える。
悲願が実り花と化す死者の国に生え出る花は、どうしても果たさなければならなかった迷魂の悲願を那由他の果てまで映し続ける悲願花である。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場のはじまりは、現世では鬼月(旧暦七月)の頃。数十年も前から霊魂が渡ると今世の記憶を忘れる忘却の河川のほとりで彼岸花園を管理する見習い鬼使いがいた。同じ時期に鬼使いとなった同朋は高位に進み、日々現世と冥土をせわしなくゆき交っている。自分だけは永遠に彼岸花園のかかしであればいいと思っている。
二場の主人公の目的は、上位の鬼使いの仕事依頼の書簡が届き、目の前に青白い光の白装束の迷魂に「どうやらあなたの案内役を承ったようです」と、未練晴らしの手助けをすることになる。
二幕三場の最初の課題では、未練を晴らすに当たっての注意事項を迷魂に語る。あくまで迷魂自身で未練を晴らすこと、鬼使いの許可なしに遠くへはいけないこと、現世の人に会っても向こうからは見えないこと、逃亡を測れば強制的に冥土へ戻されること、自由に活動できるのは一夜のみ。迷魂はあまり覚えておらず、ただ愛する人がいてもう一度会いたくて依頼したという。
四場の重い課題では、数十年ぶりに現世に降り、かつて自身の未練晴らしを手伝ってくれた冥土の高位な鬼使いで、現在は隠居して現世で燈籠師をしている范の元を訪ね、霊魂の行くべき場所の道しるべとなる燈籠を頼りに、あとをついていく。
田畑に囲まれた田舎道のわきに咲く白い花が鬼使い謝の目に留まる。懐かしい香り。久しく思い出さなかった歌謡かようを鼻で唄ってみると、迷魂が「その歌です。茉莉花をうたったものでしょう」と口を開く。「草花に関する歌謡はそれなりに知っています。彼女がよくうたっていましたから」
迷魂の言葉に「生前のことです。歌が得意なので、他人によく歌って聞かせていました。特にあのひとは花が好きでしたから」と答えて湿原だったと口を閉ざす。
五場の状況の再整備、転換点では、迷魂は気づけば冥土の忘川河のほとりにいたと話し、川を渡ろうとすると足がすくみ、橋の手まで途方に暮れていたとき、記憶の種がほころび、先に進む訳にはいかないと思い未練晴らしをしようと思ったという。現世に舞い戻ってからは顕著になってきたという。
鬼車に乗り込んだあと、自分が何者なのかを知りたいと話す迷魂に、見習い鬼使いは、記憶を完全に取り戻すことを選んでいる時間はないことを伝え、記憶と未練のどちらを選ぶのかは迷魂の自由であるが、いまは燈籠を信じるよりほかなかった。
六場の最大の課題では、あの人のことを教えてほしいと迷魂に言われ、数十年前の現世で人間だったころ、伶人をし、妻となる女性と出会い、旅先で事故に遭遇、自分だけが冥土に来て未練晴らしの手助けをしてもらったが妻は見つからず、落ちこぼれの鬼使いをしていることを話す。
三幕七場の最後の課題では、鬼車から降りると、それまで微動だにしなかった燈籠とうろうが再び動き出す。山間にあるのどかな集落。見覚えのある光景が広がっていた。行き着く先の屋敷に見覚えがあった。二人で作り上げた花園があり、妻が好きだと言ったから植えた月下美人が美しい花を咲かせていた。
迷魂は猫だった生前、足の不自由な彼女に月下美人を送る。茉莉花も好きだったと古い歌謡を口ずさみ、事故でなくなりその時足をけがしたことを聞いた。花屋でみつけた月下美人を持っていこうとすると花屋の店主に殺されてしまい、花を見せたかったと思いながら死んでいったことを思い出す。
猫の霊魂とともに妻が入院している病室の窓辺に小さな茉莉花と月下美人を置く。妻は、窓辺には花が置かれているのをみつけ、朝日を迎える。
八場のエピローグでは、未練を晴らした迷魂は球根に変わり、冥土の植えると真っ赤な彼岸花を咲かす。「初仕事は無事に終えられたかい?」と范にいわれ、依頼書を出したのは彼女だと知る。彼女の権限で昇格もできると言われるが、妻が来るまで待つと決めたので、守り人としての使命を果たすと答える。范は帰っていき、迷魂の悲願が実った彼岸花を見守り続けるのだった。
「常夜の空から星が降ってきた」という謎めいた書き出しと、主人公に起こる様々な出来事が、どんな関わり合いをみせながら、どのような物語の結末に行き着くだろうかと、期待しながら読み進めていける。
冒頭の書き出しは、冥土の世界の情景を描いている。
「常夜の空から星が降ってきた」ということは、あの世である冥土は常に夜。続いて、同胞に起こされた主人公が見ている景色とともに自分語りがなされ、そこで得た共感が読者の共感となって伝わっていく。
再度、世界と場所を遠景、近景で説明をし、巡回して鬼津愛としての心情を描くことで、深みが増していく。
「牡丹雪のごとく淡く、やわらかに落ちゆく星を仰ぎ見て」とあることから、星に白さをイメージする。
迷魂は、生前は白猫だったことが読んでいくとわかるので、暗示されている書き出しが実に良かった。
主人公は亡者であり、彼岸花の守り番を続けており、同胞はすでに出世して死者の国の役人となっている。いわゆる、落ちこぼれで、可哀想な印象がある。あいている時間は、昼寝をしてのんびり過ごすなど人間味のあるところもあり、そんな主人公にも初仕事だと同胞から書簡が届けられる。阻害されているわけではなく、気にかけてもらっていると感じられるので、主人公に共感が持てる。
そもそも、依頼をしてきたのは古い友人の范であるし、生き別れた妻のことを忘れず気にかけている点もまた、人間味を感じる。
ファンタジーなので説明する部分は必要だけれども、主人公の行動を示した書き方がなされており、五感も意識されている。死者なので飲み食いすることはないため味覚はないし、触感もすくないけれど、音や匂いは意識的に描かれているところはよかった。とくに、「弐」に入ってから、音の表現が増えた感じがした。
現世に降りてきたからかもしれない。その書き分けが良かったと感じた。
ときに口語的で読みやすいところがあるものの、前半は迷魂の初対面したり古い友人に久しぶりに再会するなど、営業的で言葉に固い雰囲気を感じる。だけれども後半、迷魂の話を聞いてから自身の生前の話をするあたりから、饒舌になっていく。自然な会話になっていて、会話からも性格が読み取れるし、全体的にメリハリがあっていいなと思う。
主人公は妻を愛していた。ある意味、弱みであり強みであり、だからこそ未だに見習い鬼使いをしているのであり、面白い物語として展開できたのだろう。
未練晴らしの手伝いをする努力の過程を描く構図はわかりやすく、主人公たちの目標を明確にし、性格や価値観、過去にどのような行動を取ったか、直面している問題や葛藤を描写することで、読者はどんな展開になるのか予測しやすくしている。それでいて、裏切るような予測外の展開を加えている。
迷魂が愛していた人に会いに行くのを手伝ううちに、相手はかつての妻であると主人公は気づき、修羅場になるのかと匂わせて実は猫ですかとわかる展開を挟んでから、妻が入院する病室の窓辺に花を置く。
成仏する迷魂。手伝いを終え、時間の限られている主人公は、去り際に振り返り、妻の姿を見る。妻は窓辺の花に気づき朝を迎える。妻の心情は語られていないが、迷魂の回想から、主人公がよく歌っていた茉莉花の歌を歌っていることから、死んでしまった夫である主人公の想いをいまも胸に秘めていることを感じさせており、猫と主人が病室を訪れたのだと気づけるのではないか、と読み手も想像できる。主人は死んでいることを知っているので、よく来ていた白猫も死んでしまったことに気づけたに違いない。
読者に追体験させることで、妻の気持ちがわかってくるだろう。
本作は未練の話である。
登場人物全員が、何かしらの未練を抱えている。
主人公が、猫の迷魂の未練晴らしの手助けをすることで長年会いたかった妻にひと目会うことができ、そのきっかけをくれたのは燈籠師をしている范であった。
かつて鬼使いをしていた范が、未練晴らしの手助けをするも叶えることができず、ずっと気になっていた。
当時は、燈籠という便利なものがなかったから。
だから現世に降りて燈籠師となり、ひそかに妻の消息を探してくれていたのかもしれない。ようやく見つけ、猫の迷魂の依頼をおちこぼれの鬼使いに送ったのだ。
猫の未練が晴れたことで、亡くした夫のことを思っていた妻も、あの人があの世から会いに来てくれたと思えて嬉しかっただろう。
鬼使いも、妻が死んだときに迎えようと希望が持てたと思う。
范としても、手助けできてよかったと安堵したはず。
これも一つの愛の形。
もの悲しくも良かったねと思えるハッピーエンドな作品だ。
范以外に、人物名がでてこない。
とはいえ、ほとんど主人公視点で書かれた作品なので、迷うことなく読み進めていくことができる。鬼使いは死者なので、名前に関して希薄になるのかもしれない。
霊魂が渡ると今世の記憶を忘れてしまう忘川河を渡っていないので記憶はあるが、数十年も彼岸花園管理といいながら、彼岸花の上で寝そべって過ごしていたら生前の名前など意味をなさないので、作中にでてこなくても違和感はないと思えてくる。
さまよえる迷魂は「冥土にふさわしくない、生命の誕生を見ているようで。見上げるほどに大きくなった燐火――もとい、魂の奔流が人の形を成してゆく」と主人公の前に現れる。
現世は白猫だったのに、どうして人の形になるのか。
手塚治虫の漫画『ブッダ』に、すべての生命のかたちは人の形をしたものが絡み合うような描写がされていたのを思い出す。すべての生き物の魂は兄弟みたいなもの。猫の魂の形も、人の形をしていてもおかしくないと思える。
魂の奔流は人の形をしているならば、すべての生物が死んで冥土にたどり着いたとき、人の姿をしていることになる。
生物進化の終着は、人の形になるのかしらん。だから魂は人の形へと行き着くのだろうか。実に興味深い。
「現世では青桐の花が満開になる頃だというのに」
青桐といっても、青い花が咲くわけではない。
七月ごろ、夏に薄黄色の花を咲かせる。
旧暦の七月を「鬼月」と呼ぶ。
鬼は中国語では幽霊を意味する。中元節であり、中国の伝統行事で日本でいうお盆にあたる。
祖先がこの世に戻ってくる為、ごちそうを用意して迎える。 祖先だけがこの世に戻ってくるのなら構わないが、鬼月は地獄の全ての門が開くため、悪い霊もご先祖様と一緒にこの世に戻って来るという。
仏教の盂蘭盆会(いわゆるお盆)とも重なっている。
中元節では、お墓参りをした後、燈籠に火を灯し、死者が帰る道を照らす。この際、燈籠は川に流す。
陰陽の思想から来ており、水は陰となる。昔の人々は、水は神秘的で暗く、死者の魂は水底にあると考えていた。
ゆえに、中元では燈籠を川に流して死者の魂に「陽の世界へ導く明かり」を提供する。陰の世界から陽の世界への道は暗いため、明かりがなければ道は見つけられず、死者がただしい経路を見つけられないだろうという考えに基づく風習である。
こうした考えを元にして、燈籠師の范が登場した際、魂が湖に入っていく描き方がされているのだろう。
とある迷魂の前世が猫だったところが面白かった。
「僕たちは三年の恩を三日で忘れる、と古くから言われます」と、猫の特性が語られている。
逆に、犬は三日の恩を三年忘れず、と言われるとか。
猫だったから前世の記憶もあやふやで、名前や住所、職業を答えられなかったのだ。名前以外は答えられるわけがない。満月に反応するのも、生前が猫だったと気づかせてくれるものだったことがわかる。
「迷魂の後ろ姿は、かなり変わっていた。前世もそういう体質だったのだろう、肌は女性顔負けの白さだった。それも蒼白というよりも、どちらかといえば色が抜け落ちたような純白で。くせ毛なのか、頭の上で左右に跳ね上がった毛先が動物の耳を思わせる。少し長めの髪も死装束も白色なので、どこからが本体なのか衣服なのかわかりにくかった。輪郭がおぼろげなのも相まって、それはまるでつつけばすぐに崩れてしまいそうな、粉雪をかき集めてできた人形のように見えた」
後ろ姿から、白い猫の片鱗が伺えたのだ。
とはいえ、迷魂が人の形をしていたのならば、生前は動物だったと思い当たらなくとも仕方がない。
そもそも怪鳥が曳いている鬼車とは、なんだろう。
線路の奥からやってくる九つの目のついた鬼車とは、あやかしが乗車する電車のようなものなのかしらん。
中国に伝わる怪鳥に、鬼車がいる。
東晋の小説集『捜神記』には「羽衣女」の話がある。
江西省のある男が数人の女を見つけた。一人の女の脱ぎ捨てた毛の衣があったので、男がそれを隠して女たちに近寄ると、女たちは鳥となって飛び去った。が、毛衣を隠された一人だけは逃げられなかった。男は彼女を妻とし、後に子供をもうけた。後に女が隠されていた毛衣を見つけ、鳥となって飛び去り、さらに後に別の衣を持って子供たちを迎えに来て、皆で鳥となって飛び去った。西晋代の書『玄中記』によれば、この羽衣女が後に「鬼車」と呼ばれるようになったという。
『太平御覧』には、斉の国(現・山東省)に頭を九つ持つ赤い鳥がおり、カモに似て九つの頭は鳴くという。
「線路の奥から何やら九つの光が接近していた。不思議なことにひとつひとつが独立する生き物のごとく、きょときょととせわしなく動いている」「無数の怪鳥に曳かれた鬼車に乗りこむ」から、鬼車という怪鳥に曳かれた乗り物を総称して、鬼車と読んでいるのだと想像する。
この際、九つの目から光がでているとあるが、九つの頭がある、もしくは九匹の怪鳥がいることを意味しているのだろう。
つまり鬼車とは、怪鳥ではなく、怪鳥が曳いている乗り物を指すと考えられる。
駅があり、線路があるのだから電車だろ、という考えは正しいのか。急行列車か蒸気機関車、あるいは気動車かもしれない。先頭だけ怪鳥が引っ張っていて、残りは客車だけなのか。ひょっとしたら、トロッコのようなものかもしれない。人力車のようなものを想像してもいいのか。全体を覆うカバー付きのソリのようなものはどうか。
水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』などの作品に登場するような、無数の鳥に結ばれた紐の先に取り付けられたクラシックカーが空を飛んでいくような感じなのか。
どんなものを想像してほしいのだろう。
「彼女と小さな旅をすることが生きがいだった」というところが良い。ずっと新婚旅行に行っているような感じがする。
田舎娘の妻は、いろいろな場所を旅するのが夢だったのだと思う。だから旅して歌ってきた夫と一緒になったと邪推する。
結婚したら旅をしなくなるでは、納得いかなかったかもしれない。だから小さな旅に出ようと声を開けては、出かていたと想像する。
未練晴らしの依頼を出して、探しに行ったとき「彼女と初めて出会った山間へ、しばらくのあいだ世話になった集落へ、結ばれてから居を移した屋敷へ。しかしいくら探せど、健康的で芯の通った凛々しい野花の面影はなかった」と、見つからなかったことが書かれている。しかも「当時は便利な燈籠もなかった」とあり、一夜であちこち探し回るのは大変だっただろう。
おそらく、怪我をして入院していたのではと考える。
病院を探せばよかったかもしれないけれど、どこの病院かもわからないでは探しようがない。そういった苦労があったから、「あなたはなにも、わかっていない!」と、迷魂が記憶を取り戻す方が重要な気がするといったとき声を荒らげたのだろう。
一夜という限られた時間では、未練の相手に出会えないかもしれないから。
猫が送りたかったのは月下美人。
促されて鬼使いが窓辺においたのは茉莉花(ジャスミン)。
茉莉花の花言葉は「愛想の良い」「愛らしさ」。
白い茉莉花の花言葉は「温順」「柔和」。
黄色い茉莉花の花言葉は「優美」「優雅」。
月下美人の花言葉は「ただ一度だけ会いたくて」「儚い美」「儚い恋」「艶やかな美人」。
とはいえ、妻にとって茉莉花は、夫が歌ってくれた歌謡を思い出す花として好きなのだろう。
妻が月下美人を好きだったのは、好きな主人と出会えたこと、その思いがあってのことだろう。主人と出会えた、他の出会いはいらない、そんな思いの現れかもしれない。
白猫が月下美人を贈った気持ちは、まさしく「ただ一度だけ会いたくて」だった。実に素敵である。
ちなみに茉莉花の民謡は、中国民謡の中でも特に広く流布し愛唱されている。作者は不明。
清朝乾隆帝の時期には江蘇省あたりで歌われていたといわれる。当時の題名は「鮮花調」。歌詞や旋律はバリエーションに富み、曲名も一定しなかったが、一九五七年に南京前線歌舞団が整理し、曲名は「茉莉花」に統一。今に伝わる。
また京劇はじめ、中国各地の伝統劇では、茉莉花の曲が「打花鼓」「花鼓調」として歌われる。
江戸時代、日本にも伝わり歌われてきた。江戸時代に伝わった古い「茉莉花」は、西廂記の物語をふまえた長い歌詞をもつ歌である。
『茉莉花』(正調)
好一朵茉莉花
好一朵茉莉花
滿園花開香也香不過她
我有心採一朵戴
又怕看花的人兒罵。
好一朵茉莉花
好一朵茉莉花
茉莉花開雪也白不過她
我有心採一朵戴
又怕旁人笑話
好一朵茉莉花
好一朵茉莉花
滿園花開比也比不過她
我有心採一朵戴
又怕來年不發芽
(日本語訳)
きれいな茉莉花
きれいな茉莉花
庭中に咲いたどの花も その香りにはかなわない
一つとって飾りたいけれど
怒られてしまうかしら
きれいな茉莉花
きれいな茉莉花
雪よりも白く咲いた茉莉花
一つとって飾りたいけれど
笑われてしまうかしら
きれいな茉莉花
きれいな茉莉花
庭中に咲いたどの花も その美しさにはかなわない
一つとって飾りたいけれど
来年芽が出なくなってしまったらどうしましょう
最近よく歌われている『茉莉花』
好一朵美麗的茉莉花
好一朵美麗的茉莉花
芬芳美麗滿枝椏
又香又白人人誇
讓我來將你摘下
送給別人家
茉莉花呀茉莉花
(日本語訳)
一輪のきれいな茉莉花
一輪のきれいな茉莉花
香しく満開にきれいに咲き誇る枝
より白く香る花を人々は讃える
枝を手折って
誰かにあげたい
茉莉花よ 茉莉花
未練が晴れたら球根となり、冥土の彼岸花となる。
彼岸花の花園はすべて、未練が晴れた迷魂の成れの果てだったのだ。
「冥土の土を掘るのは初めてだった。しかし花を植えるのには慣れていたので、さほど時間はかからなかった」とある。
鬼使いは彼岸花園を管理しているはず。冥土の土いじりをしたことがないのは、どういうことかしらん。守り人といいつつ、昼寝をしているだけなのだろうか。
きっと、鬼使いが手助けして成功した後、成仏した球根を自分で埋める約束になっているのだろう。
主人公は初仕事だったのだから、掘るのが初めてなのは、そういう意味だろう。
土いじりをしていないのに「花を植えるのには慣れていた」のは、生前、妻と良くしていたからだろう。
迷魂の悲願は実り彼岸花と化すその花は悲願花、とかけて表現しているところが素敵だと感じた。
ひと目会いたいという願いがかなった証に花を咲かせる。
次から彼岸花の見方が変わる、そんな素敵な作品だ。
こういうところは上手い、と感服する。
読後、いいタイトルだと思った。
主人公が、妻のことを「あのひと」と呼んでいる。いまはもう遠い、二度とは会えぬ忘却の彼方に去りながら忘れ得ぬ人の呼び名に、これほど最適な言葉はない。
また、妻も亡き夫のことを「あのひと」と呼んでいる。
互いに思い合いながらも、会えないのだ。
主人公が妻に会えたのは猫の迷魂のおかげだし、その迷魂の手助けができたのも范のおかげ。三者のお陰で、妻も夫の気配を感じ取れただろう。
縁とは、実に不思議。
一つはすべて、すべては一つ。
お釈迦様は、全ては縁起という縁のつながり、と仰った。
来世で会おうという話はよくあるけれど、あの世で迎える話は珍しい。二人が巡り合って川を渡ると記憶を忘れてしまうのは寂しいけれど、いつかあの世で想い人に出迎えてもらえる妻は、うれしいかもしれない。
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