別れの言葉は聴こえない
別れの言葉は聴こえない
作者 睦月
https://kakuyomu.jp/works/16817330660760254606
十年前にピアノを始めた少女が成長とともにやめたことを惜しみつつ、ピアノを近所の子供に譲る話。
現代ドラマ。
ピアノを手放したときのことを思い出す。
主人公はピアノを手放すことを決心した女子高生。一人称、私で書かれた文体。もう一人の主人公は、手放すことになったピアノ。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。女子高生とピアノの視点が交互に描かれながら、現在、過去、未来の順に書かれていく。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。
主人公の女子高生は、ピアノを手放す決心をする。
十年前、学校の友達がピアノを習っていたので憧れたが、ピアノは家になかった。少女はピアノ教室に通い始め、練習に励みますが、成長とともにピアノへの興味を失い、高校生になってピアノをやめ、ピアノ教室もやめてしまう。
荷造りをした少女はピアノと向き合い、三年ぶりに座り、電源プラグを差し込み、曲をひく。
しばらくして近所の子供がピアノを取りに来た。七歳くらいの女の子。ピアノはさようならと告げる。
昔していた音がもうこの部屋で聴こえないのが、無性に哀しかった。
四つの構造で書かれている。
序章は、ピアノを手放す決心をするシーン。
回想は、少女との出会いからピアノをやめるまでの思い出。
クライマックスは、ピアノを弾く最後のシーン。
結末は、ピアノを譲り渡すシーンと、その後の感情。
その日、とある決心をした謎と、登場人物における様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
本作は、主人公が二人いる。
女子高生とピアノ。
それぞれの視点で、交互に描きながら過去の出来事を振り返る形で物語が進行する回転形式が取られている。
それでも、遠景で女子高生が「その日、私はとある決心をした」と描き、近景でピアノが「君と出会ったのは、今から十年くらい前だった」と出会った頃を振り返り、心情で出会った頃のことを語っている。
つまり、本作は二人の主人公で書かれているけれども、メインの主人公はピアノだということがわかる。
だからラスト、女子高生の視点で終わるのだ。冒頭の導入は客観的状況ではじまり、本編は主観、カメラワークのアップで撮り、結末はズームアウト、再び客観的視点で描かれるから。
女子高生の視点で読むと、現在が語られながら昔を思い出す。ピアノ視点では過去から現在へと語られていく。
全体からすると、現在、過去、未来の順に書かれているのがわかる。
登場人物ごとに、書き方が微妙に違う。
どちらも長い文にならないよう、数行で改行している。でも、どちらかといえばピアノは、あまり読点を入れず、一文が長い。
短文と長文を組み合わせ、テンポよくし、感情を揺さぶるか着方がされている。どちらも、感情が細かく描写されており、共感を呼び起こしている。
ピアノや音楽に関する描写が多く、音楽好きや興味がある読者には響く内容であり、魅力的なところが良い。
五感を使った詳細な描写が、物語にリアリティを与えている。
視覚は、写真やピアノの外観、部屋の様子などが詳細に描写されている。聴覚は、メトロノームの音やピアノの音が強調されている。
触覚的要素は、ピアノの鍵盤や椅子の高さの調整など。
ピアノに電源プラグがある。
電子ピアノ、またはデジタルピアノだと思われる。
ただ、ピアノとするのではなく、そのあたりの描写が欲しいかもしれない。
主人公である女子高生の弱みは、ピアノを手放すことに対する未練。
「独り暮らしすることに決めたのに、荷造りすらろくにしないのは良くない。それに、実家に残す物を極力減らすため、このピアノを近所の子にあげることを決心したではないか。ピアノを弾くことはもうないからとあげることにしたのに、このタイミングでピアノを弾くのはおかしいだろう」
つまり、女子高生は大学などに合格して家を出て一人暮らしをすることになった。引越し先には持ってはいけないだろうし、もうひくことはないのに実家に残しておくのもどうかと思い、近所の子供に上げることにしたのがわかる。
ピアノの弱みは、過去の思い出に対する感情的なつながり。
「高校生になり、君はとうとうピアノをやめてしまった。当たり前だが、君がわたしのもとに来ることもなくなった」とあり、部屋にあっても三年間弾かれることはなかったのだ。
小学生の頃、学校の友達がみんなピアノを習っていて、憧れてピアノ教室に通い始めたころに購入し、毎日楽しそうに必死に練習し、演奏技術は上がってはピアノの発表会にで出て、中学生まで続けてきたのに。
ピアノの弱みは、女子高生の弱みでもあり、ピアノを手放す決心をするまでの葛藤が描かれている。
三年ぶりに椅子に座り、メトロノームを鳴らし、「ド」を鳴らし、何かしらの曲を弾く。
最後のお別れをしていると、近所の子供が取りに来る。
「女の子は七歳くらいだろうか。目を輝かせてピアノを見ている」
かつて、少女も同じように目を輝かせて、ピアノをみたことだろう。
ピアノが別れを告げる。
「名残惜しいけど、仕方のないことだ。君が最後にわたしで演奏をしてくれただけでよしとしよう」達観しているようなところが、別れを切なくしていていい。
「さようなら」
口もないわたしの別れの言葉が、君に届くことはあるのだろうか。
ピアノの去り際がクールである。
見た目も黒いだろうから、余計に潔く思えてしまう。
「これで正式に、ピアノとはおさらばだ。これを決心したのは私だ。後悔なんて無い。そう思いたいのに、昔していた音がもうこの部屋で聴こえないのが、無性に哀しかった」
少女にとって、ピアノとは半生を共にしてきたのだ。
大学に入ってからもピアノを弾くならば、家にあってもいいけれど、弾かれずオブジェとして置いておくのは、ピアノにとってもよくない。手放す選択肢しかない。ただ、お別れを、少女の中できちんとできたのかといえば、心残りがある別れだったと思う。
読後、タイトルがさらに別れを切なくさせている。
少女は、ピアノに「ありがとう」も「さようなら」もなかった。
ピアノの「さようなら」は、少女には聞こえない。
それでも、なにかしら曲を奏でた。
それがせめてもの別れの言葉になりえたかもしれない。
本作はピアノだけど、読者も大事にしてきた人や物と別れを経験してきたはず。あっさり捨ててしまったものもあるかもしれにし、手放したくなかったのに別れなくてはならなかったものもあるだろう。
別れはいつも突然で、前もって準備できることは少ない。
大切なものに変わりはないのだから、せめて別れるときは、心残りがないようにしたいものである。
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