4話 彼氏。書道で黒帯。

 いや、どうしようと言いましても、私に選択肢なんてないわけで。


「ねえ、あんた達なんなのよ。本当に」


「た、達ってウチも入ってるの!?」


 不服そうに香澄が愚痴るが、それは今の空気にそぐわぬ発言だと気付いたのか、その次に素知らぬ顔をした。


「私言ったよね?もう話しかけてこないでって」


「は、はい。言いました」


「じゃあさ。なんで今私に向かって言葉を発したの?あと、私に馴れ馴れしく触れたのかな?ガチでうざいんだけど」


 こ、怖い。

 いや、普通に。


「あ、あのそれは本当にすみませんなんですけど——」


「すみませんで済むと思う?こんなにも可愛い私と喋るだけに留まらず、触れたのよ?あなたは——」


 髪を靡かせながら彼女は腕を組んだ。


「そんなの万死、いいえ兆死に値するわ」


 なにその言葉聞いたことないんですけど。


 というか、これは絶対海音ちゃんじゃない。

 

 天使のような海音ちゃんとは数十分の付き合いだけれど、それは分かる。流石に。

 だから、この人は悪魔の海音と名付けよう。そうしよう。


 でもどうして急に天使の海音ちゃんは消えたのだろう——


「何よ」


 ギロリと睨まれた。


「あ、いえ。なんでもないです!」


 失礼なこと考えてたのがバレたのかと思って変な声出たし、恥ずかし。


「とにかく、あんた達は私の彼氏にボコボコにしてもらうから」


「ボ、ボコボコって——具体的に言うとどーいう状況なんですかね?」


 私はおそるおそる悪魔の海音に聞いた。

 すると至って真面目な顔で怖いことを言い出す彼女。


「半殺し」


「ひぃ」


 その声は私の声ではなく、隣の香澄からだった。


「ウ、ウチは関係ないんですよ!いや、マジで!」


 いつにも増して香澄はダサかった。

 へっぴり腰で首を全力で横に振りながらで『ウチは!ウチは!』なんて言っている。


「そうなんだ」


「はい!」


 決めた。こいつと縁切ろう!


「じゃあなに?私があなたにしばかれたのは気のせいだったの?」


「え、ええっとお——」


 どんどんと香澄の顔が青ざめていく。

 一歩二歩と後ずさる。


「あ、あのぉ。そのぉ」


 香澄のその声はほとんど消えかけていた。


「あーあ!痛かったな」


 わざとらしく海音は自身の頭をさすり、痛かったアピールを行った。


 そうすると香澄は突然に黙り、視線を下へと落とした。

 

 諦めたのだろう。


 たぶん瞳の色は絶望しかない。


「とりあえずあんたらはここで待機しておくこと」


 言いながら海音はなにやらスマホの操作を始めてしまった。


「今からあんたらを半殺しにする主役を呼ぶからね」


「主役って?」


「決まってるじゃない?私の彼氏よ」


「ち、ちなみに聞きますけど——彼氏様はそ、そんなにやばいお方なんですかね?ふ、普通の方っすよね?」


 それは確認だった。

 海音の彼氏が普通の人だということの確認のはずだった。

 これ以上の不幸が起こるはずがないというある種の慢心。


 しかし、どうやらそれは確認にはならなかったっぽい?


「いいえ。普通のはずがないでしょ?だってこの私の彼氏だよ?超可愛い私様のよ?超ハイスペックに決まっているじゃない!柔道空手合気道少林寺拳法剣道書道茶道ぜーんぶ!黒帯なの!」


「えっ!?それはやばいじゃん!」


 絶望していた香澄は更なる絶望の声を上げる。

 

 海音の言う通りの人が本当に来たらそりゃあやばいけど。

 しかしなんだろう——この『僕が考えた最強のヒト!』みたいな属性てんこ盛りは。


 どう考えても胡散臭いし、と言うか書道や茶道に帯なんて存在しないし。


 絶対嘘でしょ、これ。


 隣のバカは綺麗に騙されているみたいだけどさ。


「ふんっ!大人しく待っとけっての!」


 誇らしげに鼻を鳴らして、海音はスマホを鳴らした。


「あっ!もしもし?ちょっと来て欲しいところがあるんだあー!」


 猫撫で声で海音は誰かと通話をし始めた。

 こういうタイプって百発百中で彼氏の前では演じるよなあ。


 それから5分ほどが経った。

 海音の話によると10分ほどで例の黒帯てんこ盛り彼氏が来るらしい。

 

 隣の香澄はずっとブルブル震えている。

 バカはこう言う時嫌だよな。


 香澄に対して辛辣な言葉のナイフを投げているところで、それに気付いたのか香澄は突然に体をビクンと震わせた。いや、絶対気付いてはないわ。


 と、それから︎——香澄は蛇を見た猫のように飛び上がり、そのままのモーションで走り出した。


「いひゃああああ︎——」


 そんな意味不明の言葉を発しながら。

 詰まるところ香澄は逃げたのだ、書道黒帯彼氏から。


 いや、ダサ!


「ちょっ!逃げるな!」


 そう言って、海音が追いかけるが全然追いつける気配はなかった。

 なるほど。運動は苦手なんだな。


「あいつっ!足早すぎでしょ」


 20メートルほど追いかけたところで海音は香澄を追いかけるのを諦めてしまう。


「いや、あの子部活も入ってないし足は私より全然遅いけどなあ」


 海音には聞こえないくらいの声で言ってみた。


「ま、待てっ!あんたも逃げる気でしょ!そうはさせないんだから!」


 別にそんな素振りは見せていなかったのだが、海音はなぜだか勘違いしてしまった。

 そして、腕をたくさん振って小刻みに足を動かして、頑張ってこちらへと走ってくる。


 ちょっと、遅すぎないかな!?


 私は心の中で海音を『頑張れ!』と応援してしまっていた。


 私の目測ではあるが15メートルで10秒はかかっている。


 うーん。やっぱりちょっと遅すぎないかな?


 しかし、私への距離は残り5メートルというところまできた。


 でもそこでハプニングが起こってしまう。


「きゃっ——」

 

 海音はすっ転んでしまったのだ。

 それも豪快も豪快に。


「だ、大丈夫!?」


 私は心配して海音の元に駆け寄った。

 先程の転び方は流石に心配になる。


「ぐ︎——うう」


 海音は音にならない音を発しながら、ゆっくりと顔を上げた。


「あ、ふゆちゃん——えへへ。あれ?海音なにしてんだろ︎——あ、もしかしてまたなんかやっちゃった?」


 すっ転んだ姿勢のまま。

 今度は天使の海音ちゃんが顔を出した。


 これでもう流石に分かった︎——


「う、海音ちゃん。だ、大丈夫?」


「え、へへ。だいじょばないかも?すっごく痛いし!」


 痛みと戦いながらも私に笑顔を向けてくれる。

 なんて良い子なんだろう。


「で、でも!ふゆちゃんが!魔法をかけてくれたら治るかも!」


「ま、魔法——」


 よく分からないけど、海音ちゃんがそう言うならやってみよう。

 私は両手を海音ちゃんの方に向けて、こう言った。


「痛いの痛いの飛んでいけー!」


 こ、これで良かったのかな?

 定番の魔法とやらをやってみたけど。


「ううーん。それも良いけどー。海音は愛の魔法のことを言ってるんだよ?」


「あ、愛の魔法?」


 いよいよさっぱり分からない。

 海音ちゃんはすっ転んでおかしくなってしまったのだろうか。


 いや、それはそうなんだけど︎、そうじゃなくて——


「ほら!さっきやってくれたじゃん!海音に『すきーっ!!』って——海音あれがほちいな!」

  

 海音ちゃんはあざとく首を傾げて見せた。

 いや、流石にすっ転んでいる今の体勢の海音ちゃんではあざとさは半減ってところだけど。


 って、ちょっと待って!好きをもう一度伝えろって?

 改めてお願いされるととっても恥ずかしいんだけど。


 でも海音ちゃんの頼みとあらばやるしかないよね。


「す、好き!海音ちゃん!」


「えへへ!もっと!」


「す、好きだよっ!」


「もっとー!」


「すっ、好きー!」


「もっとでござる!」


「えっ!?好き︎——!」


「はーい!満足!えっへへ!ありがとね!ふゆちゃん!」


 そう言うと、海音ちゃんは心底満足そうに立ち上がった。

 先程の苦悶の表情とは打って変わっている。


 それを見て、私はちょっと自己肯定感が上がった。


「もう!ふゆちゃん!海音のこと好きすぎだよ!」


「う、うん」


 海音ちゃんはご褒美とばかりにとびきりの笑顔を私にくれた。

 いや!可愛い!


「否定しないんだ!まあ知ってるけども!」


 とびきりな笑顔は崩れず、海音ちゃんは言った。

 

 しかし、次の瞬間で海音ちゃんのそのとびきりな笑顔は崩れてしまった。

 

「やあ、海音!助けに来たよ!」


 いきなり現れ妙に馴れ馴れしく、海音ちゃんの名前を呼ぶ男。

 その男はえらく軽薄そうな男だった。


「あ、あ、あなたは——」


「んー、どしたの?海音?」


 男は薄気味の悪い笑顔を作った。

 それから数拍後に納得した表情を。


「あー、そういうこと——今は変わっちゃってるんだ」


「な、なんなんですかあなた?いきなり馴れ馴れしく話しかけてきて!」


 私は男を睨みつけ言葉を吐いた。

 その男に対しての感情は嫌悪しかない。


 初めから無理だと。

 これが生理的に受け付けないということなのだろう。


「ひどいなあ。まあ君のことは知らないけどさ。僕は海音のことはよーく知ってるんだよね」


「な、なにを︎言って——」


 言い終わる前に、海音ちゃんに腕だけで制止された。

 その時の海音ちゃんには笑顔なんて一つもなかった。


「気をつけてふゆちゃん。海音はこの人に前乱暴されそうになったの——だから——」


「あはは、ひどいな。乱暴なんて!合意の元だよ」


 男は気持ちが悪かった。

 今の私は殺意でいっぱいだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二重レンアイ 瑞々 桃夏 @potato0807

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ